第一話 望まぬ出会い
夜、私はテーブルの前に腰を下ろし、スマホでLINEの友達一覧をながめていた。
テーブルには、帰りにコンビニで買ったロールケーキが袋に入ったままで置いてある。イチゴ入りだ。バイトだけでなくキライーヤとの戦いもきっちりこなした自分へのご褒美だった。それと、新しいプリンセスタが見つかったお祝いも兼ねて。
キャメルンはベッドに寝転がって私のタブレットでアニメを観ていた。
「日香里、そのお菓子食べないキャルか? 食べないならちょうだいキャル」
食べないわけではない。バイトをしたのもキライーヤと戦ったのも、新しいプリンセスタを見つけたのも自分なのだし。タイミングが合わないだけだ。
スマホの画面には、地下鉄の駅で出会ったあの女の子のアカウントが表示されている。アイコンはシンプルにどこか草原の写真だった。ネットの素材なのかもしれない。
彼女の名前は御法山凛子、私立茴香女学園の高等部に通う一年生だった。最近だと珍しいセーラー服タイプの制服が示す通り、茴香女学園は長い歴史を有する名門のお嬢様学校だ。それこそ、特別な関係を結んだ上級生を「お姉さま」と呼んでいるような。イメージだけれど。自分は世代でないが、中学の友人の年の離れたお姉さんが大好きだったとかで、全部借りて読ませてもらった。
御法山さんの話だったよな。何回かも思い出せないぐらいに頼み込んで、ようやくLINEを教えてもらえた。プリンセスタという共通点がある自分でもこんなに苦労したのだ。ドラマや少女マンガでは、男性が女性に連絡先をたずねる場面が出てくるが、どうやって聞き出しているのだろうかと疑問に思う。
彼女へのプリンセスタとして一緒に戦ってほしいとのお願いは、きっぱりと断られてしまった。何のメリットもないからだという。
プリンセスタになるメリットか――すぐには答えられない。色々な体験はできるが、いいことばかりじゃないからね。むしろ、苦労のほうが多いかもしれない。授業やバイトの最中でも抜け出さなきゃいけないし、家でのんびりしているときならメイクや服装を考えなきゃだし。
LINEのほうでもお願いしてみようか。しかし、しつこくしすぎてブロックされたら困る。悩んだ末、けっきょくやらなかった。私は恋する乙女か何かか。
翌日も、どうやったら御法山さんが変身してくれるかをずっと考えていた。
ちょうど視聴していたアニメシリーズが終わったようで、キャメルンは大学についてきていた。ちなみに、『プラチナドリーミングス』のほうも順調で、現在は後続シリーズ『プラチナドリーミングス♪♪』の第一シーズン中盤のあたりだ。
今日はアルバイトの予定が入っていない。授業が終わって、まっすぐ家まで帰るつもりだ。
自宅の最寄り駅で電車を降りる。念のために言っておくが、地下鉄ではないぞ。私の地元にそんな先進的なものはない。駅の構内を出て歩道を行く。
ずっと考えている。まじめそうな女の子のことだから、メリットといえば将来につながることとかだろうか。キライーヤと戦うときは授業を抜けるので、学力が下がることはあっても向上はない。先生にも知られるはずはないし、内申点が上がることもない。逆に、教室を抜け出た言い訳によっては下がってしまうかもしれない。じゃあ、いったいメリットって何だ。
突然、通学用トートバッグの中からキャメルンの声がした。
「危ないキャル‼」
横断歩道の信号は赤色になっていた。気づかなかった。車側の信号は青。トラックが走ってきている。
これって異世界に転生するときの――そう思う余裕があった。横断歩道に向かってくるトラックの先には、私ではなくて、一人のおじさんがいた。
やっぱり異世界に――急にバッグが前方に引っ張られた。キャメルンが中で動いているのだ。私は横断歩道に踏み出していた。キャメルンはかなり強く引っ張っているようで、私も駆け足だった。
トラックが迫ってくる。ヤバい。はっきり音が聞こえてきそうなほど、心臓の鼓動が高鳴っていた。
激突。私とおじさんとが。私達は前に倒れ込んだ。その直後、トラックが走り抜けていった。
這うように歩道まで行き、しばらく呆然としていた。心臓が止まるかと思った。だが、少しして左胸に手を当てたら、ちゃんと動いているのが確認できた。
「ありがとうございますぅ」
おじさんがお礼を述べてきた。四〇代後半から五〇代前半ぐらいか。イエローをしたスウェットの袖口とベージュスラックスの裾はところどころ黒ずんでいる。ブラックのスニーカーからはほつれた糸が。髪は寝癖なのか梳いていないのかぼさぼさで、口元には雑草のようにチクチクと無精ひげが生えていた。これ以上は、悪口に聞こえるかもしれないからやめるが。
おじさんは過剰にペコペコしている。
「本当にありがとうございます。ありがとうございますぅ」
まわりの人達がこちらをじろじろ見ている。私は軽く会釈した。
「いいえ。もう大丈夫です」
それから、おじさんはとんでもないことを言い出した。
「これも何かの縁だから、この後お茶でもどう?」
恐怖だ。即座にこの場を立ち去りたい。驚きと不快感で返事をしないでいると、おじさんはさらに誘いを続けてきた。私には聞こえていなかったと勘違いしたか。
「お茶でもどうかな。ちょっとだけ。もちろんおごるよ」
無視して私は歩きはじめた。彼が背後でしゃべっている。
「だったら連絡先だけでも。ちゃんとお礼をしたいから」
実際、ただの五〇代間近のおじさんなのだ。少女マンガにたまに登場するイケおじでもなければ、俳優なのでもない。別に彼らだったら了承したという話じゃないぞ。五〇歳にもなる普通のおじさんが、どんな気持ちで二まわり以上も年の離れた女の子を誘っているんだ。もしかしたら、世界のどこかには彼のことを好きな若い女の子がいるかもしれないけれど――私じゃない。自分には恐怖でしかなかった。
人助けをしたのに最悪の気分だ。帰宅すると、キャメルンに散々文句を述べたが、よくわかっていないようだった。
週が明けた。平日、月曜と火曜はバイトだった。水曜、この日は大学が終わるとすぐに帰った。
最寄り駅近くのコンビニ駐車場で、嫌なものを見かけてしまった。イエローのスウェットにベージュのスラックス。あのおじさんだ。ぼさっと立っている。右手にそこの店のものらしいビニール袋を持っていた。何をしているのかは知らない。
見えないふりをして通り過ぎようとした。けれども、向こうが気づいてこちらへとやって来た。
「また会ったね。お礼がまだだったから」
袖口や裾の黒ずみはまだ残っていた。スニーカーまで一緒だ。彼は私にコンビニの袋を押しつけてきた。
「この間のお礼。受け取ってもらえない?」
中身はわからないが、本当にほしかったら自分で購入する。コンビニの商品ってそういうものだろう。
「ほんの気持ちだから。受け取ってくれないかな?」
しつこい。こっちは人助けをしたのに、なんて最悪な。LINEだったらとっくにブロック済みだ。
相手が目の前に立ち塞がって邪魔だった。怖い。おじさんが何かをつぶやいている。
「そのストラップ、何のアニメのやつ? 俺、結構アニメ詳しいんだよ。最近は――」
一言だって交わしたくなかったのだが、私は話した。
「これ以上話しかけるなら、警察を呼びます」
警察という言葉にひるんだのか、相手は二、三歩下がった。それで、私は無言でさっさと歩き去った。
翌日以降、さすがにおじさんはいなくなっていた。もし再びつきまとってくるなら、本気で通報するつもりだ。
この一週間、警察に通報すると言われ、さらに自分でもこの言葉を発することになってしまった。あまり気持ちのいい経験ではなかった。




