第六話 二人目はどこに? その三
当然のことなのだが、ビルの屋上はそう広いのでもない。プリンセスタの動体視力でもとらえられない速度で移動する敵だ。ここからうっかり足でも踏み外して転落でもしそうなものだが、その気配は全然なかった。
むしろ、相手の攻撃を受けた私が落ちるかもしれない。ダメージは大したことがないが、ゼロでないし。
屋上から飛び降りる。商業ビル前の歩道に着地した。屋外に設けられたテナント案内の集合看板を見た感じでは、飲食店とIT系の会社事務所が入っているようだった。
ビルの窓ガラスがバリバリと割れる。キライーヤが壁面を両腕と両脚との四本で這い下りているのだ。あのキライーヤのことだ、すぐ追いつかれるはず。
経路案内の標識がポールごと倒れた。青色の四角いやつだ。相手も地上に到達している。歩道脇の茶色い箱が、ばちばちと音を立ててへこみ壊れた。プリンセスタの視力だとあまり気にならないが、バイト先のカフェだけでなく、一帯が停電し暗くなっているのはこれと同様のことが何箇所で起きたせいだろう。
相手からのパンチを左胸あたりに受けた。自分の体力からすればまだ耐えられるが。
ところが、どのようにキライーヤに勝つのか、私には方法が思いついていない。それにたぶん、この戦いは体力の消耗を互いにじっと待つようなものではないのだ。
相手のスピードが、じっくりと思考するのを妨害してくる。またまたパンチを浴びる。今、大事なのは一瞬のひらめきと即座の実行だった。
まわりに目をやる。片側二車線ずつの大きな道路に従ってビルが建ち並んでいる。交差点やら道路標識やら路上駐車の車やらの細かな違いはあるけれど、しばらくはずっとこの景色が続く。
ここじゃない。自分が注目するべきは、場所ごとの細かな違いだ。
キライーヤが連続でパンチを仕掛けてくる。だが、無視する。車道を一気に駆け抜ける。
逃げているのではない。記憶ではこのへんのはずだった。探しているのだ。
見つけた。反対側の車線、そこの歩道にあった。車道の中央をへだてるフェンスを跳び越えて向かう。
そのとき、キライーヤによる攻撃を右側から受けてよろめく。自覚するほどでないが、ダメージがじわじわと溜まってきていたようだ。
とにかく目的のところまで行かなければ。再び相手のパンチが飛んでくる。足がもつれて転びそうになった。しかしもう目の前だ。
たどり着いた。地下鉄の駅、その出入り口だ。手すりにもたれかかり、急な階段を駆け下りた。
第六出入り口――ここは、二人が横並びで通れる程度の幅をした階段があるだけだった。利用者が少ないのかもしれない。
駅構内も停電していたが、非常口を案内する誘導灯や緊急用のライトがついていて、うっすらと暗いだけだった。
背後ですさまじい音がした。キライーヤが頭から突っ込んだのだ。かがんで入ろうとしたようだが、両肩がつっかえている。変にもがき、階段の側壁が半端に崩れて引っかかったらしい。身動きが取れなくなっている。
保育園のときに観た海外アニメのシーンだ。壁に開いたネズミの巣穴に頭を突っ込んでしまったネコ、有名な作品ね。
このあたりに地下鉄が通っていて、ちょうど近くに駅があってよかった。もし地元で戦っていたとしたら、車道を渡るための地下通路を探して何キロも走ったと思う。
駅には全部で七つ出入り口があった。最初に見かけたところは利用者が多いのか階段も広くエスカレーターまで設置されていたので、素通りすることにしたのだ。
海外アニメの展開じゃないが、こうなれば簡単だ。動けないなら、せっかくのスピードも意味がない。
キライーヤの顔面へとパンチとキックを浴びせる。一方的だった。
相手が弱々しくつぶやいた。
「イエニカエッテ……ツマトムスメカラハ……キラワレテ……フタリノタメニ……ハタライテイル……ノニ」
心の声だった。横ピースをする。
「チカキラりんっ」
突然、駅構内の奥のほうからざめわきが聞こえてきた。地上での騒動から階下のホームに避難した人がいたのかもしれない。
階段を駆け上がる足音がばたばたと響く。改札のほうから駅員の声がする。
「お客さん、それは――とにかく外は危ないですよ‼」
改札窓口のところで、制服を着た女の子がパスケースを駅員に突きつけるように示している。焦っている様子だった。
「いいから通してください。早く‼」
しばらくのやりとりの後、駅員が諦めたのか、女の子が改札窓口から出てきた。停電で自動改札は使えなかったのだろう。胸元のバーガンディーをしたリボンが上品で目立つ――というか、光っている。薄暗い中でだから目立って当たり前だ。
即座にわかった。プリンセスタだ。
自分の正面ではキライーヤが心の声をつぶやいている。このまま当分は動けないだろう。ちょっとだが放置だ。
二人目のプリンセスタのほうが大事だった。女の子のほうへと行き、話しかける。
「あの……ちょっと」
彼女の制服は今頃には珍しいセーラー服タイプ、ブラウスとスカートはくすんだ濃い緑の千歳緑で、襟と袖はオレンジに近い鬱金色だ。リボンはバーガンディーだった。おでこがちらりと見える程度の前髪ぱっつんで、長さは首元あたりまでのショートボブ。眼鏡をかけている。つり目がちで少しキツそうな印象を受けるが、美人だった。なによりも、胸元がまぶしく輝いている。
「なんですか、あなたは」
彼女が胸元に右手を当てる。それでも光を隠すことはできなくて、あちらの右手の甲が色白く見えた。きめの細かい整った肌だった。
私が答える。
「私は――」
困ってしまった。なんて名乗ればいい。本名では役に立ちそうもなかった。
「――プリンセスタ。伝説の戦士です……」
話しているうちに自信がなくなってきた。自分でも何を言っているんだと思う。
女の子は不審者でも見るかのように目を細め、こちらをじろりとにらんだ。
「早く帰るように親から言われているので」
私のことを変なコスプレ女とでも考えているのだろう。その認識は正しい。彼女と同じ状況に直面したのなら、自分だって警戒し足早に立ち去りたいのだ。
下のほうに目をやる。
「その光だけど」
「あなたには関係ありません」
彼女が歩こうとしたのを、正面に立ってさえぎった。
「ほんの一〇分、いや五分だけでいいから。お願い」
私がスマホを取り出す。女の子は厳しい口調で言い放った。
「警察に通報します」
「違うから! 撮影じゃない。通話するの‼」
必死に説明しながら通話アプリを起動する。発信先はキャメルンだ。
スマホの画面にキャメルンが映し出された。カメラ設定とスピーカーモードはオンにしてある。
「ドラマがいいとこだったキャルのに……何キャルか?」
「見てほしいの! プリンセスタ。二人目のプリンセスタ‼」
スマホの画面を女の子のほうに示す。彼女は顔をしかめた。
「もういいです! 今すぐ警察に通報します――」
私が制止する。
「待って待って。スマホの画面をよく見て」
疑いの眼差しで彼女が私のスマホを見つめた。画面の向こうではキャメルンも、女の子とそして光とを目にしているはずだ。
「キャル。間違いなく星の力、プリンセスタキャル」
女の子はじっとスマホを見たままだ。キャメルンを見て驚かないのか、愕然として動けなくなったか。私がたずねる。
「この動物、キャメルンというんだけど」
「AIで生成したんですか?」
そうじゃない。私は彼女に何かしゃべるように頼んだ。はじめ女の子は拒否したが、何度もお願いしてようやく実行してもらえた。
「じゃあ質問します。正直に答えてください。あなたはAIですか?」
「キャル? キャメルンはAIじゃないキャル。ステラヤードから伝説の戦士プリンセスタを探しにやって来たキャル」
AIは基本噓をつかない。正直に答えるように念押しで指示をした上で、AIかどうかをたずねて確認したのだ。彼女は頭いいな。これで、キャメルンの存在がAIによるフェイクでないことは理解してもらえただろう。
帰ろうとする女の子を引き止めて、第六出入り口の前に連れて行く。その子は中学生か高校生――字面だけだと完全にヤバいやつだ。自覚はある。
彼女は出入り口につっかえているキライーヤをながめた。
「何ですか、これは」
「キライーヤ。私達の敵だけど、詳しい正体は知らない」
キャメルンが補足する。通話はまだ切っていなかった。
「ユルセナイヤの幹部達が、人間の弱った心に悪い星の力を混ぜて生み出すキャル」
解説を女の子に聞かせるためだけでない。待たせたな、キライーヤ。自分のスマホを彼女に押しつけるように手渡すと、再び横ピース。
「チカキラりんっ」
両手の指先をダイヤの形にする。
「ステラ・ブリリアント・シャワー‼」
ベビーピンクの光が相手に向かって放たれる。キライーヤの実体がなくなっていく。
グレーのスーツを着た三〇代後半ぐらいの男性が立っていた。黒いブリーフケースを右手に持っている。会社帰りだろう。
「へそくりあるし、今度の休みは家族に内緒でこっそり遊びに行こう」
彼は出入り口の階段を上がり去っていった。
半端に崩れた階段の側壁がすっかり修復される。地上に設けられた茶色の箱も戻ったのか、駅構内が明るくなった。私もバイト先の制服を着た姿に元通りだ。
自分の目の前にいる女の子にしゃべる。
「信じられないかもしれないけど、ここまでのおかしな出来事は、星の力という超常のせいなの。私とかスマホで通話したラクダのぬいぐるみとか、さっきまであなたの胸に現れていた光とかもそう」
彼女の胸元の光は、キライーヤの消滅と同時に失われていた。実際にこの子が本物のプリンセスタだとしたら、記憶のほうは消えずに残っているはずだ。
女の子は冷静に回答した。
「信じないも何も、こうやって起こっているのですから、事実として受け入れるしかないでしょう」
やはり彼女はプリンセスタにほかならなかった。ちゃんとわかってくれて助かる。私は話す。
「さっきのように私はプリンセスタに変身してキライーヤと戦っています。あなたにもその素質があります。胸の光がその証拠です。お願いします。私と一緒に戦ってくれませんか」
女の子に強引に渡していた私のスマホ――今は彼女が右手に持っていた。スピーカーからキャメルンの声がする。
「キャメルンからも頼みたいキャル。ステラヤードを救うには、プリンセスタ、あなたの力が必要キャル」
右肩に掛けた合皮で作られたダークブラウンのスクールバッグを、女の子は引っ張り上げるようにして動かした。ちなみに、彼女の履いているローファーも同じ色だ。どちらもきっと学校の指定だろう。
女の子が私のほうを見た。
「嫌です。そのプリンセスタとやらになって、私に何のメリットがあるんですか?」




