第七話
日曜のバイトは午前中だけだった。
昼からは家で過ごす予定だ。自宅の最寄り駅に到着した。
駅前広場のところに人が集まっていた。屋台のテントが見える。そういえばイベントは今日だっけ。
自分は参加を断ったのだし、百合岡さん達と鉢合わせになったら何かと面倒そうだった。足早に立ち去ろうとしたとき、嫌なものを見つけてしまった。
左横にある広場、そこから車道を挟んで斜め先のバス乗降場にワニ人間が立っていた。周囲の人はじろじろとながめながら通り過ぎていく。映画の特殊メイク並みのコスプレに目が向くような感覚だろうか。
キライーヤが現れたら、ここを素通りできなくなる。せめて別の場所にしてほしい。思わず声をかけそうになったが、変身前の正体がバレるのは避けたくて我慢した。
私の願いもむなしく、ワニ人間はリンゴほどの真っ黒な怪しい玉を取り出した。水晶や他の宝石とも異なる、光沢も何もない黒色だった。
「お前の心のイヤイヤ、世界を闇に染め上げろ」
広場の隅、雑貨屋の出張スペースの付近でタブレット端末を手にしている大学生ぐらいの男子から、煙のように黒いオーラがじんわりと出てきた。
あの人、どこかで――百合岡さんの事務所で働いている学生スタッフじゃないか。おいおい、マジかよ。前に日程を一日間違えてやって来た彼だ。
近くに百合岡さんとか秘書の守田さんとかもいるかもしれない。とっさに、バス乗降場の先にあるトイレの建物に走った。とりあえず個室でプリンセスタに変身する。
建物から出ると、広場のほうから何十人が逃げてきているところだった。彼らをかわしながら広場へ。プリンセスタならば、ほんの数秒だった。
広場には、屋台の骨組みである金属パイプや屋根に使われるビニールシート、ポータブルチェア、あとは逃げるときに打ち捨てられたドリンクや食べ物が散乱していた。キライーヤはそのごちゃごちゃの中を歩いている。
「センセイ‼」
抑揚のない特徴的な発声には聞き覚えがある。守田さんは屋台のビニールシートの下敷きとなって、頭と肩先だけをカタツムリのように出していた。彼の見つめるところには、キライーヤと真正面から向かい合った百合岡さんが。
さすがの彼女でも未知の怪物を前にして呆然と立ち尽くしていた。キライーヤが右腕を振り上げる。守田さんが叫んだ。
「先生! アブないです‼」
キライーヤの右手が、私のクロスした両手に受け止められる。間に合った。ほぼ瞬間的に飛び出したのだが――運がよかった。
ワニ人間が私のほうに目をやる。
「来たな、プリンセスタ。祭りだか何だか浮かれやがってよお。お前もそういうのが好きなクチか? そんなに騒ぎたいなら大暴れしてやるぜえ」
そうじゃない。あんたがキライーヤを出現させたから、寄り道して戦うことになっているんだ。などと、キライーヤの攻撃を受けながらなので、主張している暇もなかった。
百合岡さんは愕然としていた。
「ど、動画に出てきたコスプレの……」
「今すぐここから避難を」
彼女がたずねた。
「あなたは?」
質問には答えないで、百合岡さんと守田さんの二人が乗降場へと走っていくのを見届けた。
自分のやることは決まっている。今回のキライーヤの攻撃は単調だった。腕を振り上げて張り手が繰り返される。見切るのは簡単だが、それだけでは相手にダメージを与えられない。
キライーヤの攻撃の隙を狙いパンチや跳び蹴りを当てても、あまり効いている感覚がなかった。連続で放ってもダメージが蓄積されている様子がない。
何回か続けて、自分のほうが疲れはじめていることに気づいた。相手の身体にこぶしがぶつかるとき、返ってくる力がいつもより弱かったのだ。
しばらく相手の張り手を避けていると、ふわふわモコモコの物体がすっとこちらへ飛んできた。
「キャル! プリンセスタ、来てたキャルか」
キャメルンだ。家で動画を観ていたところ、キライーヤの気配がしたので、慌ててやって来たという。キャメルンは私を見てすぐにしゃべった。
「プリンセスタ、星の力が少なくなっているキャル」
キライーヤの黒い身体をながめた。向こうが左腕を振り上げている。
「キャメルン! 危ない」
両手を正面に広げて攻撃を受け止めたが、腕にじんわりと痛みを感じた。キャメルンは広場に面した駅舎の陰にさっと移動した。
「プリンセスタ‼ プリンセスタの星の力がキライーヤへと流れ込んでいるキャル」
彼のほうをちらりと目にする。
「それってどういうこと?」
「相手がこちらの星の力を吸っているキャル」
今回のはそういうタイプね。よくある攻略法は、限界を超える圧倒的な量のエネルギーで相手をパンクさせるとか、吸収のできない別の力を利用するとかだろうか。
「星の力はどうしたら増やせるの!」
「空に輝く星から降り注いでいるキャルが……」
今は日曜の真っ昼間。星は一つも出ていない。キャメルンの言い方からして、追加で力を得るのはだめそうだった。
ワニ人間が品なく高笑いをした。
「何だあ? 敵のでたらめな力を税として徴収する? よくわからねえが、プリンセスタをやっつけろ!」
また小難しい設定を。経験上、キライーヤの性質はもとになった人間の影響を受けるらしかった。あの青年は法学部かどこかの学生なのかもしれない。
吸収でも徴税でもいいが、このままでは星の力を失って負ける。どうにか考えなければ。
駅舎のほうに視線を向ける。
「キャメルン、星の力は今見える?」
「見えるキャル。プリンセスタが全身にまとっているキャル」
キライーヤの攻撃をひらりとかわす。指先で相手の黒い腕に触れてみた。ほとんど同時にキャメルンへ質問した。
「今、星の力の動きは⁉」
「プリンセスタからキライーヤへ少し流れたキャル」
どうやら相手に接触すると星の力を奪われるようだった。向こうに触らなければいいのだが、そうすると自分の攻める手段がない。プリンセスタの遠距離攻撃は、ステラ・ブリリアント・シャワーしかなかった。
左目の高さぐらいで横ピースをする。
「チカキラりんっ」
両腕を肩と平行になるように――キライーヤの張り手が飛んできた。よけることはできたが、ステラ・ブリリアント・シャワーのポーズが崩れてしまった。
「ステラ・ブリリアント・シャワー‼」
むなしく掛け声が響く。一応言ってはみたが、ベビーピンクの光は出てこない。
今までは、まともに身動きできない手負いの相手に放ってきたから、邪魔されたことがなかった。何かの形で先にダメージを与えなければならないのか。
あたりを見まわす。相変わらず屋台の残骸が散らばっている。
女の子向けのアニメでこれは邪道なんだけどな。屋台骨の金属パイプを手に取ってジャンプ。キライーヤを目がけて思いっきり振り下ろした。パイプは相手の右肩らへんに当たった。
星の力をなくしかけた自分のパンチが、命中したぐらいの感覚だった。パイプはぐにゃりと直角近くに曲がった。もう使えないだろう。
付近に、乗り捨てられたクレープ販売のキッチンカーが見える。この騒ぎで食材やら包み紙やらがばらまかれていた。サイドに取りつけられていたはずの日よけ――オーニングは破損して地面に転がっていた。
カウンターに改造されたサイドの部分から車内の様子がわかった。中はぐちゃぐちゃだった。
「あーもう‼」
キッチンカーの後ろにまわり込む。両手で荷台の下部にあたるフレームを両手でつかんだ。中身入りの五〇〇ミリペットボトルぐらいの重さを感じ、ぐっとキッチンカーが持ち上がった。
体感はペットボトルほどだったわけで、持ったままでも跳躍できた。キライーヤの頭を高く越え、荒れ果てた広場が真下に。
相手の巨体に向かって、手にしたキッチンカーを放り投げた。頭上からのほうが防がれにくい気がした。
一説によると、ヒロイン達が直接的な武器を使わないのは、小さな子が真似して怪我を負わないようにするためだという。実際にキッチンカーを持ち上げる所業は、人間じゃ真似できないが。いや、ミニカーでもぶつかれば怪我につながるか。
キッチンカーは相手の左肩に直撃し、燃料のガソリンなのか積んでいた調理用のガスなのか、火炎と轟音とともに爆発した。衝撃でキライーヤがふらつく。
しかし、相手の動きは止まらない。単調な攻撃も続く。多少のダメージは与えられたようだが、決め手には至らなかった。
ダメージの蓄積を狙おうにも、そう手近に爆発物があるわけでもない。先程のような攻撃を連発するのは難しい。
日が沈むのを待つか。だが、あと六時間程度はある。そのときまで自分の中に星の力がまだ残っているかの確証はない。
降車場に設置された時刻表のあたりで、ワニ人間は戦闘を観察していた。
「いいぜえ。敵の力を吸い尽くして干物にしてやれ」
自分に不利な局面で、余裕ある相手の冗談ほど腹立たしいものはないな。といっても、何か現状を打開する案を探さなければ。
張り手を避けながら考えたことがある。実体は吸収にすぎないのに、徴税としているのはなぜだ。わかりやすさを犠牲に、あえて難解な名目にした意味は。単に青年が法学部だとかそんな理由にすぎないのか。
月曜の一時限目、私は全学部生を対象にした法学の授業を選択していた。そこで教授が税制についても話していた気がする。何か参考にできるかもしれない。思い出せ――残念ながら、眠かった記憶しかなかった。
もしかして詰んだのか。通算六体目の敵に敗北。打ち切り作品かな。
わずかだが、心に諦めの気持ちが生まれてきた。やっぱり私はヒロインになれなかったのか。
駅舎のほうからキャメルンの声が聞こえた。
「プリンセスタ! 見えるキャル。プリンセスタに星の力が集まっているキャルよ‼」




