第三話
大学の昼休み、教室で横長の机の一台に集まり私達はご飯を食べていた。
惣菜パンを手にしながら、ひさぎがしゃべった。
「そういえばさ。最近、うちの大学の前にすごいイケメンがよく現れるんだって。噂になってるよー」
自分は相づちを打った。はじめて聞く話だった。
グループの中の一人が興味深そうにたずねた。
「それ気になる。どんな人?」
「芸能人レベルのすごいイケメン。いつもダークネイビーのスーツを着ていて、これが背の高いのによく映えるんだって。三時限目の途中とか早いときは昼過ぎとかに、門の前で立って誰かを待っている風みたい」
ひさぎは雰囲気の似ている男性俳優の名前を挙げた。芸能に詳しいわけではなかったが、女性向けライトノベルの実写版ドラマに出演していたから、自分にもわかった。おとなしくて誠実そうな見た目をした俳優だ。
別の一人が思いついたようにしゃべった。
「彼女のお迎えとか? そんなすごいダーリンなら、女性側も相当な人なんじゃない?」
私が応じた。
「二年生にモデルをしている有名な先輩いたよね。その人かも」
惣菜パンを食べ終えたひさぎが包装袋を丸める。
「それが不思議なんだけど、毎回誰とも会わずに帰っているらしいんだよねー前に勇気を出して声かけた子もいるけど、そっけなく断られたって」
最初に質問をした子がはしゃいだ。
「本人も知らないけど、大学に通っている誰かが名家の血筋を引くとびっきりのお嬢様で。そのお嬢様を迎えに来たイケメン執事……とかだったら最高じゃない⁉」
小学生の頃に人気だった少女マンガじゃないか。私以外にもさらに一人気づいたらしく、彼女がツッコミを入れていた。
翌日、ひさぎと一緒に大学を出るときだった。彼女が校門の先に目をやった。
「噂のイケメン来てるんじゃね。ほら、あれ」
ダークネイビーのスーツを着用した男性が立っている。この距離からでも背丈のあるのがわかった。周囲も気になっているようで、彼のほうに視線を向ける女子生徒がたくさんいる。
彼の正面を通り過ぎる瞬間、ちらりとその顔を見た。横幅の広い目、細くすっきりとした鼻、きりっと引き締まった口元。それらがバランスよく、全体に整った目鼻立ちだった。なるほど、イケメンと騒がれるのも理解できる。
ふと私と目が合った――気がする。いや、勘違いだな。これじゃ執事の妄想をした子と変わらない。
二日後の授業の合間に、その彼女がうれしそうに話してくれた。
「あの人、黒い高そうな車に乗っているんだって。昨日、大学の門の近くで乗り降りしていたとか。ヤバっ、マジで本物の執事じゃん」
「うちの大学に、そんな御曹司とかお嬢様とかいるかな」
実際に彼が執事だと信じているわけじゃない。だが、執事でないとして、あの男性は何者なのだろう。送迎でも待ち合わせでもなく、大学の前をうろついているのだ。外見でごまかされているが、実は不審者じゃないのか。
彼に関する話題は絶えなかったが、以降、姿を見かけなくなった。誰かが通報でもしたか。不審者としてか、生徒達の騒ぎになるからか、もっと別の理由なのかはわからないが。
日曜の昼過ぎ、家でタブレット端末を使いアニメを観ていた。午前中はバイトでリアタイできなかったのだ。
キャメルンも私のスマホを借りて何かの配信を楽しんでいた。そのせいで、自分のほうのアニメがときおり停止し、画質が粗くなる。
目が疲れて休憩なのか、キャメルンはスマホをテーブルに置き窓辺に行った。おかげで私のほうの再生はスムーズに。
「あの車、最近ずっと停まっているキャルね。今日もいるキャル」
私はアニメを観ながら返事をする。
「偶然でしょ。近所の家にお客さんでも来てるんじゃないの」
「いつも朝に来て夕方には帰っていくキャルよ。変なお客さんキャル」
「のぞきなんかして、逆に姿を見られないでよ」
キャメルンは納得しきれていないようで小さくうなった。少しお腹が空いたので、キッチンからお菓子と飲み物を持ってくることにした。そのついでに、例の車を窓からのぞいた。
家の斜め向かい道路脇のところに、白いワゴンタイプの車が停められていた。自動車に詳しくないので何という車種かは知らないが、商店の配達や工事業者の資材運搬などで使われているイメージがある。
「キャメルン。あれはどっかの会社の車だよ。仕事で使う車。近所の家が、庭の手入れか家の工事かを頼んだのでしょ」
翌週が始まってすぐの月曜、大学から駅まで歩いている道の途中だった。バイトの予定はなく、このまま帰るだけだ。
朝、キャメルンが留守番に飽きたとうるさかったので連れてきていた。授業中はバッグの中でおとなしくしていた。彼も大学生活にはすっかり慣れたものだ。
コンビニの前を通り過ぎたあたりで、右肩にかけたトートバッグの口からキャメルンが顔を出す。慌てて彼の頭を押さえつけ、周囲をたしかめながら小声で話しかけた。
「ちょっと、いきなり出てこないで。見られちゃうでしょ」
キャメルンは私の手を払いのけた。
「あの車、最近家の前に停まっていた白いやつキャル」
彼の視線の先には、コンビニの駐車場に停められた白いワゴンが――あれと一緒の車種だった。
「そんなわけないでしょ。いっぱい走ってるから同じ車種なだけだよ」
「書いてある番号がおんなじキャル」
ナンバーのことか。自分も見てみたが、よくわからなかった。ゾロ目でも語呂合わせができるのでも、誰か知っている人の誕生日というのでもない。何の特徴も見つけられず、すぐに忘れそうなナンバーだった。正直、家の前に停まっていたやつも記憶にない。
「よく覚えていられるね」
「ステラヤードから、まがりりゅうぜつらん座一等星フンデルトの年周視差がちょうどあの一〇〇〇〇分の一キャル」
何の話かさっぱりだった。理解する気もなかったけれど。
その翌日、今度は地元の駅であの車を見かけた。つい気になってしまったのだ。運転席にはおじさんがいた。相変わらずナンバーは覚えていない。が、その場で暗記し、駅の構内に入ってスマホにメモしておいた。
夜、キャメルンにメモしたナンバーを見せた。彼の記憶と私のメモ、どちらも一致していた。
気になって調べてみると、車のナンバーにおける四桁の数字は普通に重なることがあるそうだ。これに地域名と分類番号、ひらがなの組み合わせで構成されている。つまり、四桁の数字が同じでも他が違えば、別の車なわけで。地域名は地元だったはずだが、分類番号とひらがなはキャメルンも自分も思い出せなかった。車種にカラーまで一緒なのは珍しいだろうが。
考えすぎか。仮に同じ車だったとして何なのだ。この地域の会社で、偶然に私がよく見かけているだけかもしれない。
水曜、大学の後にバイトのシフトが入っていた。一八時半頃、ドアのベルが鳴った。やって来たのは中年の男性客だ。彼は空いていた店内隅のテーブルに座った。
コーヒーとサンドイッチのオーダーを私が受けた。にしても、この人はどこかで見たことある、ような気がする。
ずっと心に引っかかっていたが、閉店の間際に彼が支払いをして出ていった後でひらめいた。あの白いワゴンに乗っていたおじさんじゃないだろうか。
わずかばかりだが恐怖を感じた。まさかストーカーなのか。でも、アイドルでも女優でもモデルでもない、ただの女子大生にすぎないのに――プリンセスタではあるが。
それで、バイトから家へはまわりを警戒しながら帰った。
電車では最後尾の車両に乗り、ドア越しに一つ前まで向こうの姿を何度も確認した。乗客は少なくて簡単にわかった。あのおじさんはいなかった。
駅に着いてからは、店の照明や街灯などで明るく人通りの多いところをできるだけ歩いた。しかし、自宅の近所にはさすがに誰もいない。後ろをつけられていないか、何十回も振り向いた。怪しい人影はなかった。車のヘッドライトが近づきすれ違うたびに緊張で呼吸が止まりそうになったが、何事もなく済んだ。
家に到着すると、まず自分の部屋へと向かった。
「キャメルン! プリンセスタの正体がバレたら記憶がなくなるんだよね」
キャメルンはベッド上で居眠りしていた。叩き起こされた彼は目をこすりながら、大きなあくびをした。
「そう……言い伝えられているキャル」
自分にはまだ記憶が残っている。ということは、プリンセスタとしてつけ狙われているわけではない。
だとしても、あの人は何者なのか、その動機も目的もわからなかった。単純に一人の女性として怖い。
次の日に大学でひさぎに相談した。彼女は真剣に話を聞いてくれて、家族とそれに被害が深刻なら警察にも話したほうがいいと回答をもらった。
本当にあの人はストーカーなのだろうか。考えるだけでも気分が悪くなるが、今度自分の前に現れたらそのように判断して家族に話そう――と決めた。
翌々日、大学が終わると私はひさぎの家を訪れた。テーブルの前に腰を下ろし、バッグからジッパー袋に入れた四角い電源タップを慎重に取り出した。
ひさぎが質問をする。
「これが例のやつ?」
「そう。昨日の夜、リビングのテレビ裏で見つけた」
詳しくは既にメッセージでひさぎに伝えていた。昨夜、リビングのテレビ裏のコンセントに挿された電源タップを発見した。何にも使われていなかった。普段なら別に気にしない。けれども、直近のストーカー騒ぎで調べて知っていた。盗聴器の中でも手軽なものは、しばしば電源タップに偽装されているという。両親にもたずねたが、二人とも購入に心当たりがないと返事をした。
それで、実際に盗聴器なのかをたしかめるため分解を思いついた。自宅だと勘づかれるかもしれないから、わざわざ、ひさぎの家まで移動させた。ジッパー袋に入れたのは空気を遮断できるからだ。昔、中学の理科で音は空気の振動だと習った。
使い捨てのビニール手袋をはめ、父親から借りてきたプラスドライバーを準備する。興味深そうにひさぎが見つめる。
「ずいぶん本格的じゃん」
「ネットに書いてあった。分解のときは指紋が残らないように、だって」
ジッパー袋から電源タップを取り出す。プラスチックカバーを上下に組み合わせた構造で、ネジで留められていた。ドライバーでネジを回す。カバーはすぐに外れた。
中には金属の板が規則正しく並べられていた。電源プラグの差し込み口にあたるところだ。ネットで分解した写真を探し、保存しておいた。それと見比べてみても、おかしな点はない。内部の部品も一つずつ目を通したが、接着剤で隙間に埋められた超小型マイクは見つからなかった。
「どう? わかりそう?」
部品のぎっちり組まれた下側のカバーをちらりとながめ、私は思った。
「ごめん。勘違いだったかも」
分解した電源タップは自分の家に持って帰り処分した。母親には爆笑された。
あくる日の土曜は午前から夕方までバイトだった。ひさぎも一緒のシフトだ。
二人とも順番に昼休憩を済ませ、忙しく働いた。休日の午後は、特にお客さんが多く混雑する時間帯だ。
一五時近くのことだった。支払いを終えて退店した老夫婦が、再び戻ってきた。ちょうど入口に付近にいたひさぎが忘れ物かたずねると、夫のほうが焦った様子で答えた。
「外で変なのが暴れとる! 黒い影のような巨人だ‼」
現れたか、キライーヤ。オーナーとひさぎに向かい私は叫んだ。
「店の前がどうなっているか、確認してきます‼」
ドアを開けて、そのまま店の外に飛び出した。建物の三棟分ほど離れた先の車道に、のそのそとキライーヤが歩いていた。




