忘却
アレクシオスがいくつもの厳重に封印された扉を抜け、長い地下階段を上がっていく。その後ろをルシフェルが無言でついて行く。
長い階段の先に光が見え始めた。二人はその光に向かって歩みを進めていく。
アレクシオスが先に出口を抜ける。ルシフェルが続く。その二人の目に広がったのは、緊張した面持ちの白魔法使いの集団。
その先頭にいるのは豊かな金髪を持つ、整った顔をした長身で豊満な女。女が無言で手をかざし、探知魔法を展開し始めた。緩やかな波紋が小刻み動き、アレクシオスとルシフェルを包んでいく。反射した波紋を確認した女が手を下げ、アレクシオスの肩越しに、後ろにいるルシフェルを冷たい目で見つめながら言う。
「どうやら無事成功したみたいね。本当に成功なのかどうかは知らないけど」
アレクシオスが微笑を浮かべながら、女を見つめて言う。
「そうだねアストライア。まだ何も成功していない」
アストライアの表情は冴えない。彼女はこの作戦には反対だった。あまりにもリスクが高すぎるからだ。
アストライアを始めとした白魔法使いたちを、ルシフェルは横目でぐるりと確認していく。
(数が多い。それに恐らく質も高い。こいつは厄介そうだ)
ルシフェルの見たところ、ランク7と思しき白魔法使いが何人かいる。50年前の帝国の戦いの時ですら、これほどの数の精鋭は見なかった。
そんなルシフェルに向かって、アストライアが高い声で警告する。
「魔王ルシフェル。貴方は我々の監視下に置かれます。変な真似を考えないように!」
ルシフェルが挑発するような目つきでアストライアを見ながら嘲る。
「ほう!いい女じゃないか。アクストリウスが好きそうな女だな」
ルシフェルの煽るような言葉に、アストライアが殺気を露にする。アストライアの見開いた青い目が、ルシフェルの紅の瞳を睨みつける。アストライアが怒りを抑えながら、ルシフェルに嘲り返す。
「アクストリウスならもういない。そこにいるアレクシオスが打ち取った。会いたければ、いつでも会いに行けばいい。何なら手伝ってあげましょうか?」
その言葉を聞き、ルシフェルが横目でアレクシオスを見つめる。
(コイツがアクストリウスを殺ったのか?)
アクストリウスはルシフェルの盟友だった。一見すると浅はかな男のように見えるが、実際には思慮深くミスの無い男。ルシフェルは彼の強さを知っている。
そんな視線を感じたアレクシオスが振り返り、ルシフェルを見つめながら言う。
「私一人で戦ったのではありません。それに彼は万全な状態ではありませんでした」
だからと言って、アクストリウスが敗れたという事実は変わらない。ルシフェルが現状での戦力差を知り、内心で苦い顔をする。
アレクシオスがアストライアを振り返り、この後の指示を出す。
「我々は予定通りヴォルガルドへ向かう。ルシフェルにも同行してもらう」
アストライアが軽く頭を下げて了解の意を伝える。そしてルシフェルを見つめて言う。
「現地までは我々ランク7の白魔法使いが交代で見張ります。彼は黒魔法の契約が更新出来ていないので、私たちの監視でも問題無い」
それを聞いたルシフェルが、内心でますます苦い顔をする。
(契約が切れていることがバレているのか……)
皆が歩き始めた。ルシフェルもそれに追随していく。緊張を隠し無表情を保った白魔法使いたちが、ルシフェルから一定の距離を置いて見張っている。拘束までする気は無さそうだが、かといってルシフェルに逃げるすべはない。
ルシフェルは彼らを無視して歩きながら、今後の行動を考える。
(まずは黒魔法の契約更新を何とかせねばならん。そして今後の拠点探しだ。俺の国だったヴォルガルドは使えるだろうか……)
アレクシオス達は魔族の国、ヴォルガルドへ向かって数日かけて北上していった。
アレクシオス達が現地に到着した。
白魔法使い以外の帝国軍も既に現地で展開しており、大きな野営地を構築していた。野営地には魔族の軍も混在している。
帝国兵たちが雄たけびを上げて訓練し、ある者は武具や兵器の手入れをしている。ざわめきと叫び声が響き、鉄と油の臭いが漂う。
そんな野営地をアレクシオス達が堂々と歩いて行く。アレクシオスを先頭に、多くの高位白魔法使いが歩んでいく様を、兵士たちが遠巻きに見つめる。兵士たちは尊敬と憧れの眼差しで、その行進を眺めていた。
ルシフェルもそんな中を白魔法使いに混じって歩いて行く。ルシフェルは白魔法使いに混じって野営地を歩くことに抵抗があったが、周りの帝国兵たちは特に何も違和感を感じていないようだ。ルシフェルが不思議に思って周りを見渡すと、帝国兵に混じって魔族の兵がいることに気がついた。魔族たちもまた帝国兵と同様に、憧れの眼差しでアレクシオス達を見つめている。
時折ルシフェルへ向かう視線もあるが、そこには驚嘆も恐怖も含まれていない。50年という歳月は、ルシフェルの人相を忘却の彼方へと追いやった。
(負けるというのは、こういう事か……)
ルシフェルが内心で独り言ちた。
ルシフェルが野営地に作られたテントの中にいる。ルシフェルが膝をつき、床に契約更新のための魔法陣を描いている。建物の中にはルシフェルと生贄用の山羊しかいない。外では白魔法使いが見張りをしているが、黒魔法の契約に立ち入る気は流石に無い。
魔法陣を描き終えたルシフェルが立ち上がり、魔法陣に手をかざして悪魔召喚を始める。
魔法陣の真ん中から、フード付きのマントを羽織った一人の少女が浮かぶように現れた。紺色の髪に青い肌の風貌は魔族を思わせるが、顔中にある無数の黄色い瞳がそれを否定している。
彼女はランク6の悪魔。
悪魔がルシフェルを見つめて、懐かしそうな顔をして喋り始めた。
「これはこれは、お懐かしい!またお会いできる日が来るとは思いもしませんでした!500年ぶりでしょうか?その間、私はずっと寂しく過ごしてまいりました。なんという吉日、なんという吉報!私は、本当に嬉しい!今日は記念日、再会を祝した記念日ですよ!」
ルシフェルは冷めた目で悪魔を見つめながら内心で呟く。
(俺のことを覚えているのは、コイツだけか……)
ルシフェルは面倒くさそうに一言だけ言う。
「契約を更新してくれ」
ルシフェルの連れない態度に、悪魔はつまらなさそうに口をすぼめる。近くにいた山羊が急激に年老いて、呻き声も出さずに溶けるように崩れ落ちた。それを見たルシフェルが右手の指先を弾くように加速魔法を放つ。その感触を確かめて、自らに黒魔法が戻ったことを知る。
ルシフェルが満足そうな顔をすると、悪魔に目を向けて一言だけ言う。
「以上だ」
ルシフェルは悪魔と慣れ合うつもりなどない。悪魔など信頼できないからだ。
悪魔は意味深な笑みを浮かべながら、魔法陣の真ん中から滑り落ちるように消えていった。
悪魔はルシフェルがこれから何者と戦うのかを知っている。この悪魔は以前、魔神と契約したことがあるからだ。だが、そんなことは伝えない。伝える必要など無いからだ。
ルシフェルが建物から出て行く。従者を持たぬ王が、神との戦いに赴く。




