第29話 警鐘と闇の魔獣
その魔獣は仄暗いガリアの森の奥から、ゆっくりと這い出してきた。
今までは光の届かない谷の底から、どうやっても出ることが出来なかったが、何故か自分たちを押さえ込んでいた力が急速に弱まっているのを感じていた。
そして遂には、その力が消えたのだ。
森に生息していた多くの魔獣たちは、我先にと群れをなして人間を探し始めた。彼らは人間を喰らうと、良質な“マナ”を取り込めることを本能で知っている。
何より、ガリアの森の“主”が人間を襲えと命じてくる。決して逆らうことの出来ない、圧倒的な力を持つ“主”。
その“主”に導かれるように、魔獣たちは一路バリスタの街を目指す。
◇◇◇
トリーヤはゴドリックを捕らえ、役場へ連行しようとしていた。
ゴドリックは概ね聖獣を監禁していたことを認めたが、危害を加えるつもりは無かったと言う。
「本当ですトリーヤ様! 聖獣が住みよい環境を作って……そう! 保護していたのです。聖獣は弱っていました。私が保護しなければと……」
「何と愚かな……」
トリーヤは眉間にしわを寄せ、顔を歪める。ゴドリックを後ろ手に縛り、連れて行こうとすると、屋敷から子供が飛び出してきた。
「父上!」
「おお、エリウス!」
連れて行かれる父親の服を掴んで追いすがる。
「司教様! どうかお許しを、父は決して悪い人間ではありません!」
金色の長い髪をした少年がそう言って懇願した。トリーヤは利発そうな子だという印象を持つが、明らかに嘘を言っていると確信する。
彼は昔から人の嘘を見抜くのに長けていた。この子は知っているのだ父親の悪事を、そして知っていながら、父を守ろうとする子供に不快感を覚える。
「行きますよ」
トリーヤが冷酷に言うと、ゴドリックは子供から引き離され連れて行かれる。
トリーヤが残された子供の顔を一瞥すると、その顔には憎しみが浮かんでいるように見えた。
その時――
カンッカンッカンッ!
「何の音ですか?」
「警鐘のようです。何かあったのでしょうか?」
トリーヤの言葉に、騎士団長のライカが応じる。警鐘は街の至る所に設置されており、遠くから警鐘の音が聞こえてきた。
警鐘が鳴ったのを確認すると、別の市民が近くの警鐘を鳴らす。そうやって街全体に危機を知らせるのだ。
耳を澄まして聞けば、どの方角から警鐘の音が広がっているか分かる。
「東からのようですね……。どうされますか、トリーヤ様?」
「東……ガリアの森か……」
トリーヤはしばし考えるが、すぐにライカに指示を出す。
「街の外にいる騎士団に伝令を! 半数は街に入り我々と合流。残り半数は街の外から回り込み、ガリアの森がどうなっているか確認しろ」
「この男はどうされますか?」
ライカの視線は、怯えた顔のゴドリックに向けられる。
「少数の騎士に役場まで連れて行かせろ。引き渡した後は、街の東端に向かうように伝えよ、そこで合流する。急げ!」
「ハッ!」
トリーヤは嫌な予感がしていた。最悪の場合は戦闘になるかもしれないと―― だが、彼にとって、それは想定内の出来事だ。
そのために五千もの兵力を連れて来たのだから……。
◇◇◇
僕たちは、母さんとコロを連れて避難所へ向かっていた。
この辺りで一番大きな避難所はクレティアス学院だ。何が起こっているのか詳しいことは分からないけど、取り合えず急いで学院に行くことにした。
「家の親、大丈夫かな……避難してればいいけど」
アルが心配そうに言っている。
アルの家族と仲がいい、僕の母さんが「大丈夫よ。あなたの家の方が学院に近いから、とっくに避難してるわよ」とアルを元気づける。
道なりに進んでいると、避難して来たご近所さんとも合流し、一緒に避難所に向かうことになった。
ご近所のおばさんから話を聞くと、ガリアの森からたくさんの魔獣が現れて、人々を襲っているらしい。
今も増え続けていて、警鐘はそのために鳴ったようだ。
「にしても、何なんだよ! 魔獣が集団で襲ってくるなんて、今まで一度も聞いたことないぞ!」
「うん……」
魔獣が単体で森を抜け、民家に近づくことは今までもあった。でも今回のように集団で来るなんて……。アルが言うように、僕も初めて聞いた。
「とにかく学院まで行くことが出来れば大丈夫よ。学院にいる先生は国軍出身の人も多いんだから!」
パメラが励ますように言ってくれる。今はトリーヤ様もいるし、きっと大丈夫。そう思って進んでいると、道の先で騒いでいる人たちがいる。
大きな川に架けられた橋の前だ。近づいてみると、その光景に驚く。
「何だよ……アレ!?」
アルが戸惑いながら見ていた。そこにいたのはスライムだ。橋の上、欄干、川沿いに張り付くようにいる。
それも普通の大きさじゃない。大人がすっぽり入るほどの、巨大なスライムだ。ニジの数百倍はあるんじゃないかな……。
そのスライムに男の人が飲み込まれていて、周りの人が助け出そうとしている。パメラが「私が行ってくる!」と言い、スライムに向かって氷の魔法を放つ。
スライムは体の一部が凍り、動きが鈍くなった所をパメラは見逃さなかった。
「今よ! 男の人を引きずり出して!!」
周りにいた大人たちが全員で力を合わせる。男の人をスライムから引きずり出し、何とか助けることが出来た。
「嬢ちゃん、助かったぜ。すげーな魔法が使えるなんて!」
「本当にありがとう」
パメラが大人の人たちに褒められていた。僕の母さんも「パメラちゃんは凄いわね。さすが特別学級に通ってるだけあるわ」と感心している。
それを聞いたアルが「俺だって助けることぐらい出来たよ!」と無駄な対抗心を燃やしていた。
「良かった……男の人が無事で」
「でも、これじゃ橋が渡れないわ」
僕がホッとしていると、パメラが酷く困った顔でスライムを見ている。
「どうする? 橋を強行突破するのは難しそうだけど」
アルの言う通り、橋の上には沢山のスライムがいて、橋を渡るのを妨害している。別の橋もあるけど、ここから数キロ先だ。
かなり遠いけど、やっぱり迂回するしかないかな……。
僕が弱気になって、そんな事を考えているとパメラが「そうだ!」っと何か閃いたような声を上げる。
「ルウト、ニジは連れてきてる?」
「ニジ? うん、水筒の中に入れてるけど……」
僕はコロが帰って来て以来ニジを水筒などに入れ、コロに合わせないようにしていた。もちろんそれは、コロに食べられないようにするためだ。
ニジとは仲良くなれたし、もう家族だと思ってる。
コロに食べさせる訳にはいかない。僕はバッグから水筒を取り出し、蓋を開けてニジに「出ておいで」と言って外に出す。
キラキラ光るニジを見るなり、歩いて付いて来ていたコロがピクッと反応した。駆け足でこちらに来るが、僕はコロの顔を手で押さえて近寄れなくする。
「プーー!」
「ダメだよ! ニジは大事な家族なんだから、絶対食べちゃだめ!! それでパメラ、ニジをどうするの?」
「ニジはスライムを吸収する能力があるから、この大きいスライムにも通用するんじゃないかな?」
「こんな大きいスライムに!?」
ニジより遥かに大きいため、僕は心配になった。だけど、ここから大きく迂回して別の橋に行っていると、避難が間に合わないかもしれない。
僕は意を決してニジに「出来る?」と聞いてみると、ニジはプルプルと体を震わせ「出来るよ!」と答えているようだった。
ニジに「お願い!」っと言って送り出すと、ピョンピョンと飛び跳ねながら、橋の上にいるスライムに向かって体当たりした。




