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最果てのテスタメント  作者: pu-
第五章 誰もが世界に望んだこと
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9.約束は違わず

「どうして……?」


 シロは自分までも時空を超えたことに、困惑していた。

 メーアが時空を超えて辿り着いた理由は、怨嗟を滾らせながら傷を負って蹲っているルミナのすぐ隣にいることで理解できた。

 では何故、自分までも? 

 その答えは、いつの間にか現れていた――


「やっぱりここに――シロの傍に戻ってきたんだな」

「……アリュ……オン……?」


 どこからともなく、自身の隣に立っていたアリュオンにシロは呆然とするしかない。

 他の三人も、アリュオンの突然の登場に注目する。せざるを得ない。

 そこにいるのは紛れもなくアリュオンだ。

 メーアの暴力によって命が消えたはずの彼だ。


 ただ、服装は何故かボロ臭いものではなく、白い、修道服のように厳かなものに変化している。が、それ以外のまだ幼さが残る顔や、黒い髪は何も変わってはいない。

 いや……少なからず、自分が知っているアリュオンとは根本的に変わってしまったという証拠が、一カ所だけあった……


「〈蒼海の瞳〉だと……?」


 みなの心の驚きを代弁したのは、ルミナの困惑の声。

 つい先程まで黒かった瞳は、海を切り取ったような青色に輝いている。


「アリュオン……なの……?」

「うん。俺だよ、シロ。心配かけてごめん」


 恐る恐る手を伸ばすシロ。

 触れるべきか戸惑うその震える手を、アリュオンは両手で優しく包んだ。

 伝わるのは彼女の温かさ。するとシロの震えは収まり、力強く握り返して来た。

 アリュオンは少しほっとする。〝オケアノス〟の咎人になったとはいえ、自分は変わっていないのだと分かったから。


「しっかし。言っていた通り、〝怪物〟の戦争が止まって来てるな……」


 先程まで海域を混沌に染めていた〝リヴァイアサン〟と〝白鯨〟の戦いはすっかり止み、海は穏やかさを取り戻そうとしている。

 しかもそれだけではなく、衝突していた互いの群れが離れ、自らの聖域へと帰り始めていた。


「まさか……」


 事態の意味を察し、ルミナは表情を強張らせる。

 逆にグライフは実に楽しそうに、いやむしろ嬉しそうに腹を抱えて笑う。


「アリュオンの野郎、やりやがったな!」


 出来の悪い息子が成し遂げた大業に、グライフは喜びのあまり叫ぶ。この事実を、広大な海の端まで、それこそ世界の果てまで届けるかのように大きく。


「〝怪物〟どもの戦争を止めやがった!」

「そんな……どうして……?」

「お前さんの言った通りだろ? アリュオンの強すぎる個性が。協調性のなさが。〈管理者(オケアノス)全体の(・・・)意思(・・)と誤認されたんだ。〝怪物〟の戦争を終わらせるっていう、あいつ(・・・)だけの(・・・)強い意志(・・・・)が」


 愕然とするルミナに、グライフは自慢げだ。

 当然、俄かには受け入れがたいものがある。自分が幾年かけた計画を、あんな子供に、ああも簡単に破綻させられたということなど。


「こんな……」


 わなわなと、膨れ湧き立つ感情に震えるルミナ。


「こんな中途半端なもので終わってたまるか! 〝怪物〟同士の戦争は、まだ波及しなければいけないんだ! この世界の! この海の! 約束された安寧を終わらせるために!」

「それがあんたの望みなのか?」


 アリュオンの純粋な問いが、今のルミナにはまるで憐れみに聞こえた。


「お前に何が分かる!? お前みたいなガキに、俺の望みが分かってたまるか!」

分かるに(・・・・)決まってるだろ(・・・・・・・・)、馬鹿!」


 断言するアリュオンにルミナが声を詰まらせ、目を丸くする。

 愚者は賢者の言葉を理解できないように、賢者は愚者の考えを悟れない。いつしか、師が呟いた言葉をルミナは思い出し、今になって納得してしまった。

 そして、アリュオン・オケアノスという愚か者が言葉を続ける――いや、むしろこの場合、愚者はルミナ自身なのか?


「馬鹿で子供でも分かるに決まってんだよ! 望みなんて、いつだって単純なものだろうが!」


 誰もが望んだこと。

 その単純な答えを知ったからこそ、アリュオンは確信が持てた。


「いいか。俺達に託された願いは、誰もが世界に望んでいたことは、下らないほど簡単なものだったんだ! 『大切な人と一緒にいたい。繋がっていたい』――それを叶え続けることこそが遺言(テスタメント)の本質だ! だから〈水伯の証(テスタメント)〉ってのは、あんたらが考える〝オケアノス〟になるための資格なんかじゃない! 〈水伯〉が俺達に託した、この世界に生きる遺言(あかし)だ! だから、誰もが持っている! 人間だけじゃなく、全ての生命が託されていたんだ!」


 齎された不条理な(・・・・)真理(・・)などルミナは当然受け入れられるわけもなく、感情むき出しに吠える。


「そうだというなら! それを奪ったのは他でもない、お前らだろうが! お前ら海賊は! この海は! どうして俺の全てを奪う!? 家族を奪い、今度は俺の望みさえも奪うか!」

「じゃあ、お前は何も奪わなかったっていうのかよ!」


 アリュオンは左腕を大きく振り、水平線の彼方まで広がる戦場のなれの果てを見せつける。


「見ろよ、周りの海を! お前が企てたことによって多くの命が奪われたんだぞ!」


 アリュオンの憤怒に対しルミナは、今までにないほど狂気に顔を歪める。

 怒っているのか笑っているのか、それとも泣いているのか分からない、感情だけが露わになった顔だ。


「そうさ。今度は俺が世界から奪ってやる番だ……」


 真っ黒な怨嗟にルミナの声が震える。


「この世界に遺したとかいう遺言(テスタメント)を否定してやる! 次は全ての〝怪物〟で戦争を引き起こしてやるよ! そうやって全ての種族が! 生命が! 俺のように孤独に苦しめられればいい!」


 ルミナの深怨の宣言に――


「人間がどうして、神に祈るのか……分かったような気がする……」


 ――ぽつりとメーアが呟く。

 それを誰もが気にも止めなかった。というよりも、ほとんど聞こえていなかった。

 だから、彼女の次の行動を予期などできはしなかった。


「ルミナ……私はあなたを孤独にはさせない……させたくはない……」


 海面が破裂したような巨大な音が、突如として聖域外から響く。

 思わず見やると、シュトゥルム・ケーニヒ号と交戦していた軍艦が真っ二つに割れ、ゆっくりと沈み始めていた。

 まるでそこだけ雨に見舞われたかのように、水が激しく降り落ちる。


「まさか……おま――っ!?」


 彼の言葉を遮られたのは、メーアが自らの唇で彼の口を塞いだため。

 いきなりの口づけに、ルミナが当惑する。

 僅かな間のあと、彼は酷く取り乱した様子で突き放し、メーアと距離を取った。


「すなまい。ルミナ。私は〝人魚〟でも人間でもない……」

「何を、言っている……?」


 自らの唇に触れながら眉根を寄せ、訝しむルミナ。


「私にあなたの罪を洗い流すことはできない。だからといって、人間のように闇を一緒に抱えてあげることもできない」

「だから、お前は何を言っているんだ!?」

「だからせめて、その罪の重さや抱える闇を押し潰してあげる」

「いい加減にしろ、メーア!」

「愛しているわ、ルミナ」


 決して届くことのない告白。

 同時に、巨大な波頭がルミナの背後から上がり、一瞬にして押し潰す。

 彼女の足元が、赤く染まる。


 が、それはほんの一瞬。その色はすぐに海へと還り、跡形もなくなった。

 ルミナ・セトラヴァディンの名残はもう、何一つない……


「さようなら、ルミナ。私に私だけの名をくれてありがとう」


 地から跳ね返る水飛沫を受けたメーアの頬に、水が一筋だけ流れた。

 束の間の出来事に、アリュオンとシロは呆けることしかできなかった。

 それでも絞り出すかのように、アリュオンが言葉を紡ぐ。


「メーア、なんで……?」

「君が言ったんじゃないか。望みはいつだて単純なものなのだろう? これが私の望んだことの結果だ――誰もが望んだことと、同じ願いだ」


 正解ではないが――メーアは最後、口の中でそう呟いた。

 その言葉は、誰の耳にも届かなくていい。そう思ったから。


「アリュオン、もう聖域から離れて。あなたが〝オケアノス〟になったことで作戦は完全に失敗したわ」


 遥か彼方を見据えたままのメーアに何か言葉をかけようと戸惑っていると、背後で耳をつんざかんばかりの渇いた発破音が二つ響いた。

 反射的に振り返ると、グライフが発煙筒を発射していた。筒からは白と赤の煙がもくもくと昇る。

 これが意味するものは、撤退だ。


「行くぞ!」


 グライフがアリュオンとシロの二の腕を乱暴に掴むと、強引に船へと走り出す。


「〝白鯨〟――いや、シロ。私達の一番の罰はなんだと思う?」


〝リヴァイアサン〟の咎人たるメーアを、シロは見つめた。アリュオンも思わず見る。

 その彼女の顔は、どこか悟ったような穏やかさを纏っていた。


「それは、誰かを愛せるという感情を持てることだ」


 やはりシロには分からなかった。

 だが訊こうにも、その余裕はない。その時にはもう、世界が縮小したのだから。

 去り際に映ったメーアの顔はどこか満足げだった。

 それを口にしたことで、どこか報われたような晴れ晴れとした微笑みが、アリュオンとシロには確かに見えた。




 想いさえすれば、ここは時空の概念の一切を超越することができる。

 それ故に、メーアの視界からアリュオン達の姿はあっという間に消えた。

 今までの戦いが、想いの衝突が嘘だったかのように、メーアの周りには何も残ってはいない。

 メーアに言葉をかけてくる者、かけるべき者はもう、自分しかいない。

 それでも外界の喧騒はまだ残る。二種の〝怪物〟達の聖域への帰還もまた、この海を騒がす。

 しばらくはこの余韻は続くだろうが、心の静寂が害されることはない。


「ルミナ。私はあなたの元に行くことはできないから。だから、私が愛していたあなたを、あなたを愛していたというこの感情を持って逝かせて……」


 自分は愛に狂い、愚かしくも咎を犯した哀れな罪人だ。

 自分は誕生から間違っていた。そして、ルミナ・セトラヴァディンという男を愛してしまったのも、ましてやその実りさえも欲していたなど、大間違いだ。

 だがそれを誰にも否定はされたくない。誰にも(・・・)、だ。

 それを正すのは自分だけしかできない。

 正せたと納得させるのも、自分にしかできない。


(それで充分だ)


 メーアは柔らかく微笑む。

『約束』は消えない。

 たとえ相手が消えたとしても、繋がりは消えない。

 それを〝白鯨〟の咎人シロが教えてくれた。

 心と心の繋がりが費えることはないのだと。

 それに時空も生死も関係ないと。

 そう信じられる限り。

 不確かなもの。目に見えないものだからこそ、それを大事にしていたのだろう。

 あるかも(・・・・)分からない(・・・・・)もの(・・)を、誰も全否定することはできないのだから。


 だから、これ(・・)も同じだ。

 神のいない世界でどうして祈るのか。その問いも。


「神とは、心の寄りどころだ」


 神がいるか分からない。それこそが、神なのだ。

 心の数だけ、祈るべき対象――つまり神がいる。


 この世界に神が存在しないことを知り得ないからこそ、人間は祈ることができる。


「……それでも、私も祈ってもいいだろう?」


 目を瞑る。両手を組み、祈りを捧げる。

 この世界に神がいないことは知っている。

 が、どこかに(・・・・)いるかも(・・・・)しれない(・・・・)。もしくは神でなくとも(・・・・・・)構わない(・・・・)


 それでいい。

 それさえ信じることができれば、望む何かに祈りを届けることができる。

 そこに虚無感はない。

 むしろ、心が温かさに満ちる。

 

 祈る。


 最愛なるルミナが、安らかな眠りに着けたことを。

 友のアリュオンがこれからも無事でいられることを。

 シロとともに〈水伯〉の願いを叶え続けられることを。

 そして、メーア自身が、ルミナを愛していられることに。


 それらを信じ、祈り続ける。

 そう、自らに『約束』した。

 許される限りの、瞬間まで。


 最期が訪れる、刹那まで――

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