5.世界は止まらず
戦場の音が嫌というほど耳に入る。遠方の海から届くもののほとんどは発破音ではなく、二種の〝怪物〟の雄叫び。そこにはもう、人間の名残を感じることはできない。
ただ、それらは無意味なのだ。なんの意味もなく、なんの意味もない争いが続くだけ。
二体の〝怪物〟の咎人は黙することしかでいなかった。もう、戦う気力は失せている。
隣で呆然と同じ光景を眺める純白の少女を、メーアは見やった。
(同じものを見てはいるが……見えているものはなんなんだろうな……?)
メーアが〝白鯨〟の咎人の元に来たのは、彼女の存在がもう必要ではなくなったから。
〝白鯨〟の咎人が聖域に辿り着き、ピークォドが肉体を取り戻した場合。〝怪物〟の戦場から扇動者が退場するので状況は混乱する。そうなれば戦争は長引き、より悲惨になる。
それこそが、ルミナが思い描いていた理想だ。
そしてもう、戦争は充分な悲劇を生んでいる。
戦争をより拡大させる必要こそあるが、そこにはもうピークォドのいる意味はない。そして当然、残された〝白鯨〟の咎人も必要はなくなった。それどころか、敵対している以上、排除せねばならなくなったのだ。
ただ、メーアがここに来た理由はそれらを果たすことではなく、知りたかったから。
アリュオンが『約束』を交わしたという咎人を。命を賭けてでも守りたいという〝白鯨〟の咎人を。
憎んでいたのだ。妬んでもいたのだ。だが何より、羨んでいた。
何せ、自分はルミナと『約束』を交わしていないのだから。
それどころか、今作戦の終わりに自分は切り捨てられる。〝リヴァイアサン〟を唆し、〝白鯨〟との戦争を企てた罪を背負って――ルミナは管理責任を問われるだろうが、入会した理由が復讐の達成であるのだから未練はないのだろう。
自分もまた、その結末には納得していた。
自分は今作戦のために生まれたのだから。
それどころか、罪を背負うことで愛する人の未来を守れるとさえ思っていた。
だが、アリュオンと出会ってしまって、自分の心と向き合ってしまった。目を背けようとしていたことに気づいてしまった。
(私は……)
それをメーアは思わないようにする。自制しなければ、すぐにでも彼の元へと行ってしまうから。ここはそういった場所だから……
今にも溢れそうになる感情を思考に入れないようにするため、メーアはシロの肩を掴み、耳元で囁く。
「もう、船に戻りなさい」
メーアのそれは、外音に埋もれてしまいそうなほど弱いものであった。
しかし、シロは首を横に振るだけ。
「帰りなさい。あそこはあなたがいるべき場所――もしあなたの言う通り、アリュオンとの『約束』が消えていないというのなら、彼の守りたかったもの最後まで守りなさい」
メーアの言い分は分かる。リートとの『約束』こそ果たせないが、アリュオンのためならそうすべきだ。だがどうしてか、それを実行できない。
シロのそんな心境など構わず、メーアが続ける。
「いい? ここは意志が優先される場所。あなたが本当にいたい所を想えば、時間も空間もその意味を消失し、想いの先に繋がる。そうやって《ブルーレイス》の誰かの人の元へと行って、この戦いから手を引くように伝えなさい。もう、戦う必要なんてないのだから」
告げられた聖域の特性に自分がどうして聖域に辿り着けなかったのか、シロは胸の痛みから察した。
「私は……アリュオンの傍にいたかったんだ……」
口にすることは辛いが少しすっとした。矛盾しているが、それしか表現のしようがない。
もしかしたら、《ブルーレイス》が聖域に到達しなかったのは、グライフや仲間の傍を離れたくはなかったからかもしれない。仲間のために戦っているのだから、なおさらその想いは強いはずだ――確かに、そういった意味では聖域を目指す者は試されている。
シロは自分の感情だけでなく、自然と他者の気持ちも考えるようになっていた。
他者を想う心。それがより強くなったからこそ、シロはとある疑問が浮かんだ。
そして、訊かずにはいられなかった。
せめて、少しでも救いたかったから……
「なら、あなたはどこにいたいの? あなたの本当の願いはなんなの?」
シロとメーアの〈蒼海の瞳〉同士が向かい合う。
不意の問いに惑うメーアに対し、シロはなんの躊躇いもない。
「私はアリュオンの傍にいたい。今でも」
「……私、は……」
――瞬間、二人の世界が縮小した。




