4.理解は届かず
――から隔絶された、この世界。
何かがある。目の前に、何かが。
が、何があるのか分からない。
大きさも。形も。色や温もりさえも不明だ。だが確かに、正面には得体の知れないものがあると分かる。
周りを見渡すが、広さや高さもまた把握できない。
「……と、いうか……俺、生きてんの……?」
アリュオンが自分の身体を触ってみると、確かに感触はある。
だが、この何一つ分からない空間で、今触っているものが本当に自分の身体なのか。触れようとしているのが、本当に自分の手なのか確信できないでいた。
落ちつこうと一呼吸した(ような気はした)あと、先程までの光景を思い出してみる。
メーアを説得しようと踵を返した瞬間、世界が縮んだ。
それは瞬間移動のように自身が時空を超えたのではなく、アリュオンがいた場所から二人がいた場所までの距離が省略されたのだ。
「なんで、俺……そんなこと、分かってんだ……?」
知らないはずのことを、知っている。
それどころかあのあと、〝白鯨〟と〝リヴァイアサン〟の戦争が始まってしまっていることさえも分かっていた。
「戦争って……このことだったのかよ……」
シロが隠していたことの事実に呻く。ただ、それに対する怒りはなかった。どうして隠していたのか、その葛藤に苦しんでいたのか、もう分かっているから。
そして、奇妙なことにも気づき始める。肉体はないということにも。
もう一度、触れる――触っている、という感覚の情報は確かにある。
その事実に、置かれている状況が理解できた。自分の存在は今、『言語』化されているのだ。
一つの真実に気づくと、まるで堰を切ったかのように次から次へと情報が雪崩れ込んでくる。
あの中央にそびえていた巨大な石碑。あれこそ、今いる〝オケアノス〟の聖域――『情報の海』。そして、全〝怪物〟の聖域だ。生命という枠から隔絶され、情報という非命たる事象となった存在のみ至ることのできる到達点だ。
(還って来た、のか……)
アリュオンが漠然と出した解答の通り、自分は元に戻ったのだ。
元々、全ての〝怪物〟はこの石碑の中にいた。
今、世界に解き放たれている〝怪物〟は、保存されていた『言語』が生命化した姿だ。
そして、人間のみが獲得した能力――言語。それ故に自分達は〈水伯〉の遺志を理解し、継ぐことができた。
――おめでとう。アリュオン――
声が響く。
すると先程まで『何かがある』程度の認識しかできなかったもの全てが、一気に知覚できるようになる。
目の前にあったのは円卓。七人――数える間もなく理解した――がすでに座していた。
足元からは、気泡のようなものが浮き上がっていた。どこまで続くのだろうかと見上げると、遥か上までそれらは上がり、結局終点を見届ける前に姿を消してしまった。
一帯には大小様々な魚のようなものが空間を浮遊している。
それらは常に色や形を変化させ、状態を定めていない。
本能的に触れようかとしたが、実行に移すことはなかった。
何せ、その魚は単なる形状保存した情報だ。姿を変えるのは、常に保存内容が更新されるため。触れたところで感触も温もりもない。あるとすれば、すでに持っている情報を閲覧できるだけ。
――さて。君もこれで、〝家族〟の一員だ――
語りかける声は、先とは違う。それは円卓に座す金髪の男のもの。恐らくだがこちらが、アリュオンがこの海を模した空間を理解することを待っていたのだろう。
――さぁ、話しましょう。あなたのことを知らなければいけないわ――
今の声の主もまた、先二つとは違う。藍色の髪をした女性が、こちらを興味津々な眼差しで見つめている。その〈蒼海の瞳〉で。
――シャルル、その前にまずは我らが名乗らなければいけないのではないか?――
始めに語りかけた声の主――茶金の髪と髭を蓄えた老人――がそう諭すが、アリュオンのことなど問わずとも知っているはずだ。彼らが、この世界の原始から現在に至るまでの全てを知っているのだから。
同様に、名乗られなくともアリュオンはすでに彼らを知っていた。
しかし、そんなことはお構いなく始める。それこそ課せられた義務であるかのように。
――我は〝リヴァイアサン〟を管理する〈管理者〉。ティレスタ・オケアノス――
彼は人間だった頃、《博雅の徒》を創設した張本人だ。
アリュオンの中で彼の情報が更新されていく。全てを知っていたと思っていたのだが、どうやらあくまでも〝オケアノス〟としての基本的なものだったようだ。
――私は〝蛟竜〟の〈管理者〉。リーシェ・オケアノス――
そこから声が続く。アリュオンが所持する情報に肉付けしていくかの如く。
――〝バハムート〟の〈管理者〉。サルムンド・オケアノス――
――〝クラーケン〟の〈管理者〉。トランセオルディー・オケアノス――
――〝スキュラ〟の〈管理者〉。ウィラー・オケアノス――
――〝人魚〟の〈管理者〉。シャルル・オケアノス――
――〝白鯨〟の〈管理者〉。フィランジェシー・オケアノス――
間が空く。これで自分以外の各〝オケアノス〟の代表達が紹介を終えた。
――そして君が、〝白鯨〟の〈管理者〉。アリュオン・オケアノスだ――
驚きはなかった。もはや知悉しているのだから、なんの新鮮味もない。
ただそれでも、それらを当たり前のように受け入れていることに、気味の悪さを抱かなかったわけではないが。
そしてこの時にはすでに、円卓に自分の席が用意されていた。座れと言わんばかりに。
当然、座る気になどなれず、その場で立ち続ける。彼らとの隔たりを作っておかないと、自分が自分でなくなりそうで怖かった。
と、〈管理者〉の総代表であるティレスタが口を開く。
――我らは〈管理者〉であり、〝家族〟でもある。『世界の果て』に存在する海原を血液として持つ、唯一無二の〝家族〟だ――
何故、彼らが〝家族〟と名乗るのか。理由は単純で、どちらかと言えば不愉快なもの。
単に〈水伯〉がそう定めたから。それ以外になく、彼らは疑問すら抱かない。
何せ、ここは〈水伯〉が遺した言葉そのものなのだから。
――もっと話しましょう。私達は〝家族〟なのだから、もっと知り合いましょう――
〝人魚〟の〈管理者〉シャルルは嬉しそうだ。好奇心が如実に伝わる。
彼らが人間のように振る舞い、会話にこだわるのか。アリュオンは理解し始めていた。いや、させられているというのが正しいのだろう。
数多の情報がアリュオン自身の中に蓄積されているとはいえ、はあくまでも〝オケアノス〟一人分の情報量であり、それ以上の処理能力は持ち合わせていない。
故に、〝オケアノス〟は複数人必要となる。
自分が保管していない情報を〝家族〟内で情報を共有させ、並行処理させる。この場を知覚で来たのも、共有化の作用によるものだ。
この共有こそが、〝家族〟内で行われている会話――人間らしく振る舞うのはこのためなのだと、共有した情報からアリュオンは察した。同時に、自然と問うてしまうのもこの影響だ。
だから、理解ができない。
シロが今なお、自分達に声をかけているのは分かっている。
〝オケアノス〟は海と人間を媒介とし、情報の送受信している。
故に、海に保存された情報はすぐさま『情報の海』に保管され、それぞれが管理する海の情報を処理する。
少なからずアリュオンがそれを分かっているということは、同時に他の〝オケアノス〟が共有しているということになる。それを無視していることが理解できない。
その無知を補完させるように、ティレスタが言葉を紡ぐ。
――本当に、あの咎人が望んでいるのか?――
――それにあなたも、それを望んでるの?――
シャルルのそれは、まさにアリュオンの本心だった。
だから、何も言えなくなってしまう。
――そもそもだ。あの〝白鯨〟の咎人には、刑期を終えるまで聖域に足を踏み入れることを禁じた。だから当然、こちらから聖域に導くことなどするはずがないだろう?――
――〈水伯〉と誓った『約束』は絶対。刑期を終えていない咎人は何があろうとも、聖域に足を踏み入れさせてはいけない――
――何、アリュオン。案ずることはないわ。戦争は永遠には起こらない。終戦は必ず訪れる。それは神話の時代から証明されていることよ――
ティレスタの言葉にアムルシャートが続き、シャルルが能天気に加えた。
「だけど、一生は起こるかもしれないだろ!」
――面白いことを言うものね――
「面白いわけないだろ! くそっ! 俺はこんなとこにいる場合じゃねぇんだ! シロと一緒にいるって『約束』をしたんだ!――戦争を止めるって『約束』したんだ!」
シャルルの言葉に憤るアリュオンに対し、ティレスタが厳かな声で諭す。
――いいか、アリュオン。我らに託された使命は、この世界の情報を次の世界に託すための管理であって、〝怪物〟の管理などではない。ましてや戦争の管理などは、まるで使命から逸脱している。我らがこの戦争に於いてすべきことは、流れ変わる状況と結末の情報収集だ――
全ての〝オケアノス〟も同調する。それに唯一、抗おうとしているアリュオンを除いて。
確かに〝家族〟として繋がっている。だが、孤立をしていた。
寂しさはない。所詮は仮初の繋がり。偽りの〝家族〟。
それに自分には、本当の家族がある。
血の繋がりはなくとも、《ブルーレイス》の仲間達の方がよっぽど繋がりは深い。
――そうか。分かった――
急に物分かりのよくなったティレスタに、アリュオンは確かに寒気を覚えた。
彼らが何を考えているのか分からない。
それが意味するもの……
――なら、君を裁こう。アリュオン、君は咎人だ――
途端、円卓の椅子が一つ消滅する。
「なっ――!? ふざけんなっ!」
これでは、シロが必死に聖域に来ようとした意味がなくなる。
これでは、みなが必死にここまで辿り着いた意味がなくなる。
しかし、抗おうにも独りでは多数で行われる情報処理を改竄することはできない。
――それを、最後まで言えたかどうかは分からない。
「戦争を止めろ!」
その時にはもう、〝家族〟の輪から外されていたのだから。




