8.決別への道
(まだ聖域に着かねぇのかよ……)
最奥の聖域へと歩むに中、アリュオンは胸中でうんざりと呟く。いつもの護身用の短剣とは違い、今日はアリュオンでも使い易いナックルガードが廃され、刀身の短くなったサーベル(子供の奴隷兵用として流通されていたもの)を一振り腰に装備しており、身体の左側が焦燥も相俟って余計に重く感じる。
グライフから離れてさらに三分以上は経過しているであろうに、未だに景色が変わらないのだ。ダガージョ達の顔色も悪くなり、疲労と不安が如実に表れてきた。
水平線の向こうを見ると、所々から黒い煙が昇っている。海賊と海軍の戦闘が、ますます激しくなっているのだろう。
さすがのシロにも焦りのようなものが滲み出ている。
「シロ……近づいてんだよな?」
少しの間のあと、彼女が小さく首を横に振った。
「えっ!?」
「分からないの」
「どういう……?」
「私がここに来るのは初めてだから……まだ贖罪を終えていないから、聖域の深層についての記憶が洗い流されてるのかも……」
『もしかしたら、聖域自体に拒絶されているのかもしれない』――その可能性を口にする勇気はなかった。何より、自身がそれを信じたくはなかったから。
もちろん、アリュオンに彼女の不安の原因は分からない。
まだ隠していることや、止めようとしている戦争の真実を打ち明けるべきか迷っていることも、また……
「最奥ってのは、あのひと際大きな石碑でいいんだよな?」ダガージョの問いに、シロが頷く。反応を見、彼は腕を組んだ。「船から見た限りじゃ、とっくに着いていたもいいんだけどな……」
最短ルートの自分達がまだなのだから、サージェス達も着いているかどうか怪しい。
自分達の目的は最奥に着くことではない。その場所で敵を討つことだ。このままいつまでも、歩いているわけにはいかない。
隊を任されたのだからと自制をかけても、ダガージョの苛立ちは背中から感じ取れる。
「まだ戦争は起きていないから、間に合う」
自らが持つ〝白鯨〟の力を駆使し、海の動きは確認していたシロ。
彼女がそう口にしたのは、みなの焦りを少しでも抑えようとしていたのだが、効果はあまりなかった。シロ自身、誰よりも焦っているのだから。
時間が経てば経つほど、自分達が抱えている重責を実感する。
その空気を感じてしまったからこそ、シロは口にすべきかどうか悩んでいた。戦争の真実を。これを教えてしまえば、彼らの足はますます重くなってしまうだろう。
隣のアリュオンを盗み見る。彼もまた、現状に押し潰されそうになっているだろう。
と、思っていたのに――
「間に合うってんなら一安心だな――さっさと行こうぜ。確実に進んでるんだしよ」
それができないから困っているんだろうが――誰もが思っていたが、アリュオンの力強い瞳を見ると、もはやそんな怒りをぶつける気が失せた。そして自然と、みなから笑みが零れる。
改めて最奥の石碑を見やる。まだ遠いが、アリュオンの言う通り、最初よりは近づいたように見える。いや、近づいている。だから、そこまで焦る必要はない――アリュオンの能天気さに、誰もがそう思えた。
一方のシロは、自分の言葉を信じてくれたことに、どこかくすぐったさを覚えた。
そんな彼にだけは、言えるかもしれない。いや、言うべきだろう。
「アリュオ――」
「メーア……」
かけようとしたシロの声を阻んだのは、アリュオンのどこかやるせない言葉だった。
視線の先にいるのは、エメラルドグリーンの髪に海のような輝きを放つ、〈蒼海の瞳〉を持った〝リヴァイアサン〟の咎人。昨日会った時と同じように、場違いなスーツを着こなしていた。
「アリュオン、やはり来たのね……」
まるで独りごとのようにメーア。美しいはずの彼女の蒼い瞳はどこか暗い。
「メーア、そこをどいてくれ」
「……できないわ」
首を振るその仕草はどこか弱々しい。それこそ〝始まりの怪物〟という、恐怖の王の名を冠する者とは思えないほど。
とはいえ、相手は〝怪物〟だ。ダガージョを始めとした船員は戦闘態勢を取るものの、下手に手出しができない。その中で一人、シロが一歩前に出た。
「この咎人は私が止める」
「それじゃあ――」
本末転倒だ――言うのをやめたのは、アリュオン自身がその意味を望んでいないからだ。
確かに自分達の目的は〝オケアノス〟候補を迎え撃つことだ。
だが早急な戦争回避のためには、ここはむしろシロこそ進ませるべきであった。たとえ戦力差が歴然としていたとしても。真の勝利は彼女が聖域に到達することなのだ。そうすれば、こちらの犠牲が最小で済む。
「アリュオン。『約束』は破らない。そのためにも先に行って」
素直に行くべきか。シロが聖域に近づかないのは望み通りだが、この現状で正しいのか?
「行って!」
「行くぞ、アリュオン!」
バッセがアリュオンの二の腕を掴んで急かす。それは迷う彼に対する救いの手であった。
アリュオン達がメーアの横を通り過ぎる瞬間、シロは水でできた無数の角を形成し、放つ。
メーアは防御の水壁を作り、襲いかかる角を防ぐ。が、全てではなかった。ただ、それは防ぎきれなかったわけではない。単に他はメーアから逸れただけ。彼女の横を、アリュオン達の壁となるように通り過ぎていったのだ。
進行妨害をしてくるであろうと踏んで、シロが事前に作った防壁だった。
が、どういうわけかメーアは何もせず、見向きさえしなかった。ただじっと、シロと対峙する。
アリュオンだけでなく、シロ達も拍子抜けしてしまう。《博雅の徒》の会員もそうだったが、どういう腹積もりか想像できない。が、結果としてはなんなく通れたのは助かった。
「どうして逃したの?」
「殺して欲しかったの?」
メーアの返答は嘲りのようだが、表情は反して笑みの一つもない。実に無感情なもの。
だからこそ、シロは分かった。この〝怪物〟の咎人の目的が何か。
(私を殺す。ただそれだけ)
ただそれでも、アリュオン達を逃がした理由は分からない。〝リヴァイアサン〟の力をもってすれば、彼らの命を奪いながらシロの攻撃も対処できるはずだ。
(それとも、アリュオンが彼女と親しかったような、あの違和感に何かあるの?)
二人のやり取りは、どう見ても知り合い同士の会話だ。
だが、自分達は敵対している。それに加え、出会える機会などあっただろうか……
(あったとすれば、アリュオンが港に降りた時……)
それに気づいた途端、胸の奥がざわめく。抑えたくても、そこには当然、手が届くわけがない。そのなんとも言えない部分に、手を触れることさえできない。
(とにかくこの、一対一になった好機を逃すわけにはいかない!)
どうしようもなくなりそうな心を落ち着かせるため、意識を切り替え、自らに言い聞かせる。勝機はある。何せここは〝白鯨〟の聖域なのだから、と。
全ての雑念を捨てると、シロは一つ息を吸い、胸の中に溜める。
そして、敵を倒すための一歩を強く踏みしめた。
次の瞬間、〝白鯨〟と〝リヴァイアサン〟の異能がぶつかり合う。
しばし走り続けると、いつの間にかシロとメーアの姿は完全に見えなくなっていた。
戦争を止めるために駆けるが、アリュオンはの胸の奥はどこかもやもやする。
シロを信頼している。彼女は必ず、自分との『約束』を守ってくれる。
それは分かっている。分からないのは、むしろ……
(メーアは今、何を思っているんだ?)
アリュオンは二人の横を通る際、メーアの顔を少しだけ見ていた。
一瞬ではっきりとはしなかったが、その横顔はまるで……今にも泣きだしそうで……
だから思う。
メーアは本当に、戦争を起こしたいのか?
彼女が好きな人がそれを望んでいたとしても、彼女自身はそれを願っているのか?
その好きな人を裏切りたくないから、自分が存在する確かなものとして離したくないから、望みを胸の奥にしまっているのではないのか?
本当は、彼女も戦争を止めたいんじゃないのか? だから、自分達を通してくれたんじゃないのか?――そう願っていて欲しいという、アリュオン自身の願望も混ざって入るが、それでもどこか自信があった。
(そうだよ。シロとメーアが争う必要なんてないかもしれない)
止められるのは自分だけだ。
話し合えるのは、気持ちを訊けるのは自分にしかできない。
そう思ったら、いても立ってもいられなくなった。
アリュオンは二人の元へ向かうため、踵を返す。だが単独行動を始めようとするアリュオンの肩をダガージョが反射的に掴み、力技で止めた。
「おい! どこに行く!?」
「二人を止める!」
「止めるって、お前!?」
「俺が迷……シロを探してた時、メーアは一緒に探してくれたんだ!」
掴まれている側の腕を大きく振り、無理矢理ダガージョの拘束から逃れようとする。が、力の差は歴然で、どう足掻こうとも振りほどけない。それに思わず苛立つ。
「メーアは話せば分かるやつだ!」
「なんでお前が、そんなこと知って――」
「ああもう! 行け!」
バッゼが訝しむが、ダガージョは降参だと言わんばかりの口調で解放した。
「ダガージョ?」
「いいから行け! 考えてみりゃ、海軍と戦うのにはアリんこは足手まといだ」
「おい! 今なんて言った、この馬鹿!?」
さらりと放たれた悪口に、アリュオンは癇癪を起こす。
そんな彼の背中を、ダガージョは笑いながら数度平手で叩く。それはグライフがいつもやるようなもの。
「親父に言われてんだろ、お前のできることをやれって! だからすぐに追いついてこい! シロと一緒にな!」
「おう!」
もう一度、渾身の力を込めてダガージョは背中を叩いてやろうとしたが、アリュオンが上体を逸らしてギリギリ回避した。
そんな行動にみなが噴き出し、笑う。アリュオンはその笑い声を背に走る。
ダガージョはシロを助けるためと言ったが、アリュオン自身はメーアも助けたかった。
彼女に、救いを齎すものが何かは分からない。
どうすれば助けられるのか、見当もつかない。
だからこそ、メーアと話さなければいけない。
全力で駆ける――と突然、世界が縮んだような錯覚を得る。
時間と空間の一切がなくなり、望んだ場所へと足を踏み入れる。
そこでアリュオンはその光景を目にし、飛び出した――




