3.完遂への道
グライフが聖域を目指すという確証を得たルミナは、トルトゥーガ港の軍施設の客室――自室に戻っていた。
これからハウリー少佐と幹部が待つ部屋へ作戦の最終打ち合わせをしに行かなければいかなかったが、まず臭いを落とすことにした。あの海のゴミども臭いを落とすために。
これからのことを漠然と考えながら、適当に身体を洗う。
空気圧を利用したこのシャワーの製造元は、貴族向けの生活製品の製造を主にするソハイン社のもの。だが、元の技術はこのトルトゥーガ港を半ば支配するツェツィンデヌ社のものである。
(得体の知れないという意味では〝怪物〟並みだな、あの会社は)
ツェツィンデヌ社は《博雅の徒》が結成されてから半世紀も経たずに、その名が記載されていた。だが、創立の正確な時期は分かっていない。社員でさえだ。
秘密主義という点を除いても数少ない資料によれば、創立当初から兵器製造を主に置き、技術力は他の追随を許さなかったという。
こと造船技術に於いては、今から約六〇年前に突如として参入し、当時の市場を食い荒らした。技術力は一~二〇〇年以上先のものとまで言われるほどだった。
ツェツィンデヌ社の参入を機に、他社の造船技術も飛躍的に向上した。それがなければ、ここ二〇年の技術進歩は絵空事さえ抱けなかったであろう――ただ当初は、あまりのオーバーテクノロジーに技術を盗むことが困難だったと記録されている。
一方で、技術の応用力は乏しいという評価もある。
常に最新兵器を製造するものの、小型化や改良、転用などはあまり見られない。『説明書か何かを見て作っているだけなのでは』と揶揄されるほどだ。
(〝オケアノス〟が隠している知識を使っているという噂まであるしな)
帝国がそれを真に受けているかは定かではないが、今作戦に軍部が積極的だった理由に兵器技術の向上はあったのかもしれない。
兵器シェアの大多数はツェツィンデヌ社製のものである以上、武力による他国の圧倒は厳しくなる。さらには国庫をより圧迫することとなるだろう。
そんなことを想像しながら、身体を洗い終える。
バスルームを出て簡易正装に着替えて少佐の元へ向かう――前に、海賊との交渉が行われている会議室へ寄ることにした。
本来なら交渉の代表であるデイラーが報告に来るべきだが、たまには気を使ってやらなければかわいそうだ。ただでさえ、神経を擦り減らす仕事を押しつけられているのだから。
会議室の扉に前に、若い女性海兵が背筋を伸ばしたまま立っている。同年代、あるいは少し年下くらいか。
彼女は見張りという雑用にも関わらず、勇ましく、この仕事に矜持さえ抱いているのが如実に窺える。
数歩近付くとこちらに気づき、敬礼をした。
「ごくろうさまです」
《博雅の徒》の会員は海兵達によく思われていないため――ルミナの場合はデイラーの腕を奪った分、余計に――、彼の真面目な態度に苦笑した。
「彼で交渉は最後です。顔を見ておきますか?」
「いや、遠慮しておく」
見張りの海兵の申し出に、ルミナは払うように手を振る。
見ずとも誰がいるのか察せる。何せ、交渉リストを作成したのはルミナ自身なのだから。
最後なら、《フリビュスチェ》の長であるルイル・ゴリフがくつろいでいるのだろう。
ルミナは戦争に備え、すでに取引をしていた海賊と、このトルトゥーガ港で勧誘した海賊との最終契約をデイラーに結ばせていた。
契約内容はこれから行う『とある作戦』の護衛となり、敵勢力が出現した場合、排除を行うこと。対価は今作戦成功に於ける報酬と、作戦後の帝国の私掠船としての雇用。
海賊側から見れば私掠船のメリットは大きい。海賊行為自体に変化はないものの、国の許可という大義を得、軍を恐れる必要が減る。加え、資金面で頭を抱える回数が減るのだ。
そういう利得はあるものの、予想ではこちらにつく海賊は六割くらいだろう。その中の一握りが、戦争中に裏切るだろうが。
と、扉が開く。
客室から出たデイラーの顔はますますやつれている。海賊相手の交渉だ。無理もない――そんな顔が見たいから彼に任せたのだが。
「ご苦労様です」
「いえ」
要点だけを纏めた簡潔な報告書を手渡すデイラーが言葉短くするのは気疲れか、はたまた苛立っているのか。
報告書に目を通す。内容を一通り把握したあと、頷いた。
「予測の範囲内ですね。ここまで契約数が減ったのは――ま、実際はこんな数字は問題ではないですからね」
ぽんぽんと資料を叩きながら、デイラーの努力を吐き捨てる。
だが、言われた当人もすでに、交渉そのものに意味がないことを既知している。
海賊達には『とある作戦』『帝国の繁栄を拡大させる任務』と伝え、〈水伯の証〉の強奪であることは隠すようデイラーに命じていた。
ただ、港ではその話がもっぱら盛んだ。
誤魔化しには神経を使ったであろう。否定も肯定もしない誤魔化しは。
「確かに、この交渉の真の目的は海賊を聖域近辺に集めることです。が、こちら側につく海賊が多いと分かるだけで、成功の確実性が増すんですけどね」
今作戦は本気で〝怪物〟と戦争をして、ましてや聖域から〈水伯の証〉を奪うなどという現実味のない馬鹿なものではない。
これを帝国海軍に話した当初、誰もが困惑していた。
彼らは本気で力さえあれば、準備さえ整えば奪えると夢想していたらしい。
ルミナはそれを否定し、〈水伯の証〉の真実を話した。
俄かには信じられないようだったが、ある程度の指針――その主は、海軍達が危険に晒される確率の低さ――を説明すると海軍側がようやく重い腰を上げた。
「海賊の数が少なくなったら、そちらの犠牲が増えるのはすでに伝えてありますよね?」
デイラーにもすでに、先の内容を含めた今作戦を一通り説明はしてある。
今作戦の形としては人間と〝白鯨〟の戦争という構図だ。
だが実際に行われるのは、〝白鯨〟の同族殺し。
それに、どれだけ人間を巻き込めるかが成功の鍵となる。
作戦が首尾よく進めば〝オケアノス〟は性質上、罪を犯した〝怪物〟を裁き始める。
そしてその時、世界の果て――〝オケアノス〟の聖域への扉を開く。
「……〝白鯨〟の咎人がいない現状で、作戦は成功するのでしょうか?」
今まで押し黙っていたデイラーが、渇く喉から絞り出す言葉には棘があった。しかしそれは、気道を通過する際に自身を傷つけるもので、ルミナに届く頃にはなくなっている。
彼自身が不利になってまで訊くのには、相応の理由がある。何せ、〝白鯨〟の咎人は今作戦の要といっても過言はないからだ。
〝白鯨〟の咎人は、人間では区別できない〝白鯨〟の群れ中から、群れに戻った協力者――洗い流される前の『個』を持った〝白鯨〟――を見つける役割を担っていた。
「協力者の強力な『個』の意思で〝白鯨〟を支配し、戦場を掌握するはずでしたが……」
「その保険がメーアですよ。彼女は〝白鯨〟ほどの把握こそできませんが、他との区別はできます。罪が洗い流される瞬間に立ち会っていますからね。それに協力者もまたメーアを知っていますから、卑屈になることはないですよ」
納得していないのか、理解していないのか。どこか浮かない顔をするデイラー。
だが、今の彼は信じるに値しなくともルミナの言葉の通り動かなければいけない。動かざるを得ない。少なからず彼の未来は、ルミナが敷くレールを走ることになるのだから。
ふっ、とルミナが優しく笑む。
表面上は労いの微笑だが、彼にどう見えるかは分からない。ただできれば、気分が僅かでも悪くなってくれた方がこちらとしては心地いい。
「私が、《博雅の徒》が動くというのは、それが機であるが故です。ただの学者が、無謀をする勇気など持ち合わせているはずがないでしょう?」
「いえ、そんなことは……」
自嘲気味にルミナのつけ足した言葉は、海兵が思っていることそのものだ。
海上で勇敢に戦っていると驕っている者に取ってみれば、間近で死に接触する機会のない学者にあれこれ言われるのは、当然面白くないはずだ。
「何、大船に乗ったつもりでいて下さい――といっても、ドゥンケル・ハイト号は小さいですけどね」
冗談交じりにルミナは肩を叩く。その先の延長が失われている方の肩を。
ルミナはそれ以上彼の顔を見ず、ハウリー少佐が待つ部屋へと進んだ。




