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最果てのテスタメント  作者: pu-
第四章 少年が少女に願ったこと
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2.約束への道

『女傑組』が普段使っている部屋でシロがつとつとと話した内容のほとんどは、グライフに説明したものと同じであった。

 が、アリュオンに理解できた情報はほんの一握りだけ。


 シロは〝人魚〟によって流された、同族殺しという〝白鯨〟が犯した罪と罰。その張本人は今、〝白鯨〟の群れにいて戦争を扇動しようとしている。

 それを回避するためには、同族殺しを犯した〝白鯨〟当人が群れにいることを教えればいい。

 そのために、シロが自身を捨てる。


 ――やはり納得なんてできない。

 が、いつまでも現実に駄々をこねていたら何も変わらないまま、何も分かり合えないまま聖域に向かってしまう。それはもっと嫌だ。

 シロが説明してくれた内容の中で、まだ語られていないものをアリュオンは問う。


「なぁ、シロ……『約束』ってなんなんだ? なんの意味があるんだ?」

「……多分、本当は意味なんてないんだと思う……」

「えっ?」

「だけど、意味がないことにも、意味がない!」


 驚くアリュオンに、シロが慌て気味に補足した。

 彼女の大声に、アリュオンは目を丸くする。黙らせるには確かに効果があったようだ。ただ、シロは口ごもるだけで次の言葉が続けられずにいた。

 ふいに、メーアとの会話が過る。


「……確かなものが欲しかった?」


 間のあと、シロが小さく頷く。


「私が最初に『約束』を交わしたのは、〝人魚〟の咎人だった……」


〝人魚〟の咎人を想っているのだろうか。シロの無表情の中に、寂しさが垣間見えた。


「私が生まれた時、聴いたの。彼女の、〝人魚〟の歌を。多分、私を生むための歌だったから、私にしか伝わらなかったんだと思う……彼女の願いは。これから起こる戦争を止めて欲しいっていう願い。彼女が想う人の世界を守って欲しいという願いは……」


 弱々しく紡がれる声は時折、外界の声に埋まり、アリュオンの耳まで届きづらくなる。

 それでも一言一句聞き逃すまいと、彼女の薄い唇を見つめ、想いに耳を傾けた。


「彼女は託したの。そしてそれは『約束』になって、私の生きる意味になった」シロが小さく頭を振り、「なった、はずだった……」


 弱々しい捕捉は、もはや言ったのかどうか分からないほど静かなもの。


「でももう、彼女はいない。私が生きる理由は私が生まれた直後になくなってしまった」


 だから、なのかもしれない。確かなものが欲しているのは。

 自分がなんのために存在しているのか。それが欲しかったのだろう。


「シロは、そのリートのために戦争を止めるのか?」

 シロがこくん、と頷き、「そして、アリュオンのため」


 まさか自分の名が出るなとは思っていなかったため、きょとんと間抜けな表情を浮かべ、「俺のため?」自らを指差す。


「私はずっと悩んでいた……戦争を起こすために生まされたけど、生んでくれたリートは私に戦争を止めて欲しいと願いを込めて歌った。それからすぐに彼女がいなくなって、私はなんのためにいるのか分からなかった。でも、彼女に報いたいと思っている。だから、戦争を止める確固たる理由が欲しいの。世界のためとか、ましてや自分のためになんて、私にはないから……」

「だから、俺のため?」


 口調がきつくなっていたためか、シロは俯いたままだった。


「……ずるいよ」率直に思った言葉が、口から滑る。「俺のために犠牲になるなんて……俺のせいでシロがいなくなるなんて……」


 視界に入ったのは、無言で俯く彼女の額にある小さな白い角。

 生命の境界を隔てる証を見、自分と根本的に違う生き物だと改めて理解させられる。


「……なんで、俺なんだよ……?」


 腹の内。胸の奥。喉で留めていた感情を、もう抑えておくことはできなかった。みっともなく、アリュオンは呟き続ける。


「単に最初に会ったからか? それとも海賊だったからか?」


 親父やサージェス、コラルダでもよかったんじゃないのか? 

 責め立てる言葉が詰まったのは、シロの顔が見えたから。見てしまったから。


「……きっかけはそうだった……アリュオンが海賊だったから……多分、もしかしたら誰でもよかったのかもしれない……」


 彼女の今にも泣きそうな顔は、容姿相応の少女らしいものではあった。

 それは同時に、アリュオンの中では想像できないものでもあった。何せ、ここまで素直な感情を見せなかったのだから。


 それが今になって。よりにもよって今、〝白鯨〟の咎人ではなく、シロという一人の少女の一面が出たのは、ずっとそれを隠していたからかもしれない。

 そう思えたのは、メーアに出会ったからであろう。人間と〝怪物〟の境界がうやむやになる瞬間を、アリュオン自身が目の当たりにしたから。


(ずるいよ……)


 泣きそうな少女を責めることなど、できるわけがない。それこそ、そんな勇気などない。


「でも、今はアリュオン以外との『約束』は……嫌」

「……どうして?」

「分からない。でも、私の中の何かが、そう言っている……」


 アリュオンの疑問の表情に、シロが首を振る。そして続けた。


「それと『約束』をしたのがアリュオンでよかったって思ってる……アリュオンと『約束』できたから、私は私の意志で戦争を止めたいと思える」


 澄んだ海を閉じ込めたかのように綺麗な、ちょっとだけ潤んだ青の瞳に、一切の揺るぎは映っていない。

 最初からそうであったように、彼女の意志は何があろうとも変わらない。戦争を止めようとする意志は。


 シロから直接言葉にしてもらい、まだ納得こそしてはいないが、彼女の気持ちは少し理解できた。理解してしまった。もし逆の立場なら。シロを守る唯一の手段がそれしかないというのなら、自分は選んでしまうかもしれない。


 だからこそ、自分はシロのために何ができる?

 彼女の願いを叶え、かつ消えなくて済む方法。そんな都合のいい答えなど、自分には導き出せない。それより何より、子供である自分に大局を変えうる力などない。

 それこそ、知恵も力もない自分が全てを果たすには〝オケアノス〟にでもならなければ……


(……ちょっと待てよ?)


 ごちゃごちゃに絡まっていた思考の糸の隙間から、ある至極単純なものを見た。


「なぁ、シロ? 〝オケアノス〟って〈水伯の証(テスタメント)〉を手に入れたらなれるんだろ?」

「ええ」


『それが何?』と言わんばかりの顔だが、知識のないアリュオンにとっては重要な要項だった。


「〈水伯の証(テスタメント)〉ってどこにあるんだ?」

「聖域にあるとされているけど、実際は分からない」

「形とかは?」

「それも」首を横に振る。


 分からないことだらけだが、だからこそ分かってきた。確実に答えに近づいている。アリュオンはさらに問う。


「じゃあさ、それは誰でもなれるのか?」

「〈水伯の証(テスタメント)〉の所持こそが〝オケアノス〟の証明だから、恐らくはそう」

「でもさ、帝国側はそうもいかないよな?」


 腕を組み、一人で頷く。当然、シロは分からない顔を浮かべていた。


「やっぱ帝国に利益があるやつが就かなきゃ、こんな大事をする意味はないよな? ただ問題は誰でもなれるっていう話だ」


 独り言であったため、シロの反応など構わずに喋る。自らの思考を整理し、纏め、見つけたか細い光明(こたえ)の正しさを確信にするため。


「港のやつらの雰囲気からすると、帝国海軍の動きを窺って奪おうと狙っている海賊もいるみたいだし。それは恐らく海軍も馬鹿じゃないから、そっちにも人員を裂くよな? 横槍入られて海賊が〝オケアノス〟になっちまった日には、作戦失敗どころの騒ぎじゃなくなるんだし――とはいえ、海賊達は自分達で〈水伯の証(テスタメント)〉を手に入れることなんてできない。できるのは、帝国が手にした瞬間に横から奪うことだ」


 ぽかん、と呆気にとられるシロの珍しい表情を見るどころか、瞑目をしたアリュオン。

 さっきまでベラベラ喋り続けていたというのに、今度はそのまま黙り込む。

 暗闇の中、今にも消えてしまいそうな心許ない光明を見つけた。


「決めたよ、俺」


 シロの〈蒼海の瞳〉を真っすぐ見やる。


「戦争を止める。そして、シロも救う」

「何を……?」


 意味が分からない、そんな分かりやすい表情に小さく笑う。

 さっきまでの自分だったら、シロと向き合ったあとでなければ、変化には気づかなかった。


「帝国側の〝オケアノス〟候補を全員倒す。そうなったら戦争を起こす意味はないよな? 〈水伯の証(テスタメント)〉の取り方が分かんない海賊が、〝白鯨〟と戦争なんてするわけないし」


 あまりにも単純なこと。故に到達するのは容易ではない。そこが子供の算段の限界だ。

 そんなこと、アリュオンでさえ分かっている。自覚している。

 でも、だ。無謀なこと。無理なこと。そう賢しく判断して、大切な人を救い、最悪の事態を回避するという無茶な望みを捨てられるほど大人ではない。


「シロ。俺はこれから、親父にこのことについて話をしてくる――そのためには、シロの協力も必要なんだ」

「協力?」

「うん。シロが聖域で身を犠牲にするのは、どうしようもなくなった時にして欲しい。その時は、俺も覚悟をする」

「嘘」


 虚を突かれ、心を見透かされたアリュオンは咄嗟に反論しようと考える。が、上手く紡げない。狼狽に、頭はどんどん真っ白になる。

 そんな彼を当然、シロが待ってくれるはずもない。


「私を犠牲にする覚悟があったら、始めからそんな作戦なんて考えない」

「……うん。そう、かも。でも……それでも……」

「ありがとう」


 全く予想していなかった感謝に、今度こそ思考回路の全てが吹き飛んだ。


「私に生きて欲しいって思ってくれることが、嬉しい。生きていたいって思える」


 僅かに、ほんの僅かに微笑むシロの表情は、今まで見た彼女のどれよりも可愛らしく、アリュオンは思わず見惚れてしまった。


「アリュオンも『約束』して。私もアリュオンに、アリュオンが大切だと思う人にも生きて欲しい。だから、それらが奪われてしまいそうになった時は、覚悟して欲しい――私の最期を見届けて欲しい」


 躊躇いはしない。アリュオンは力強く頷く。だが、その事態に陥った際の自分の行動は想像できない。

 でも、『約束』を自分だけが破るわけにはいかないと、最後まで自制をしようとは思えた。

 それが今の自分にできる最大の覚悟だ。

 今、交わした言葉と心は、最初に出会った時の場当たり的な『約束』とはもう違う。

 二人の誓いをより伝わるよう、アリュオンは右手の小指を突き立てた。


「これ、指切りって言うんだ」


「切るの?」アリュオンが立てた薬指を指差すシロ。


「いや、そんなエグいのじゃなくて……」


 アリュオンは両手で彼女の右手を覆うと、その掌の形を変える。握り拳に、小指一本だけを立てた形に。そして、アリュオンは再び、小指を立てた。


「これが俺とシロの『約束』の証だ」


 互いの小指を重ね、結ぶ。絡まる小指からは、ほんのりとだが互いの温もりを感じ取れた。

 どうしてこんなことをするのか、こんな形なのか、アリュオンでさえ分からない。

 ただ、それで構わない。

 意味なんてどうでもいいんだ。

 大切なのは、それをしたということ。『約束』をしたということ。

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