6.アリュオンとメーア
居心地の悪い場所から、再び海の男達の活気溢れる場所に戻って来たアリュオン。隣の女性を一瞥し、独りごちる。
(冷静に考えてみると、今、俺ってすげぇ状況にいるんだよな……)
酷く奇妙な気分であった。何せ、自分の隣には〝始まりの怪物〟の咎人がいるのだから。
《ブルーレイス》に入って間もない頃、〝怪物〟の絵図を見たことがある。その最初に描かれていた〝リヴァイアサン〟は、首長竜に近い体躯をしている――と、コラルタが言っていた。
〝リヴァイアサン〟が棲む海域は王海と呼ばれ、白鯨海に隣接している。ただ、見た目ではその海域の境界は判断できない。一説には海底山脈が境界線なのだという。
それだけしか知らない。自分が持つ〝リヴァイアサン〟の、聖域の知識は酷く乏しい。
アリュオンは少しでも敵とシロの情報を得るため捜索の手伝いを同意したが、どう話を切り出せばいいか分からなかった。
下手に口を開いて、シロを探していることがバレてしまえば、見つけた際に確実に捕えられてしまう。
「しかし、こうも闇雲に探しても……」
顎に指を当て、メーアが首を傾げる。その様は人間となんら変わりはない。
ただ、メーアが悩むのも当たり前だった。アリュオンが彼女に渡した情報は『自分と同い年くらいの子』だけだ。少ないものの同年代の子供はいる。そのため、彼女は子供を見つけては指を差すのが現状だ。
シロの捜索と敵の情報搾取もままならないこの事態を打破すべく、思い切って質問する。
「なぁ……聖域に着く前に戦争が起これば、シロは助かるのか?」
「シロ?」
「俺達の船にいる〝白鯨〟の咎人だよ」
「……ああ。ことが起これば、〝オケアノス〟はそれどころではなくなるからな」〈蒼海の瞳〉がこちらに向くが、すぐに真正面に戻る。「渡す気になったか?」
「ふざけんな! 戦争だって俺が止めてやるよ!」
アリュオンの怒号に、視線が集まる。そして、俄かにざわめく一帯。
戦争を止めると息巻いた少年を笑う者がほとんどではあったが、中には耳に入れたくもないのか、その場をいそいそと離れる者もいた。だが誰よりも反応したのは、すぐ隣のメーア。
「悪かった! 悪かったから、あまり声を張らないでくれ!」
慌てふためきながら、できるだけ顔を上げないようにアリュオンを宥める――〈蒼海の瞳〉を見られぬようにするためだった。
「からかって済まなかった、アリュオン。頼むから不用意に戦争という言葉を口にしないでくれ。ただでさえ、この海はそれに鋭敏になっているのだから」
「それをしようとしてんのは、どこの誰だよ?」
アリュオンが睨むと、メーアは視線を逸らした。
それからしばらくの間、気まずい空気のまま港内を歩く二人。
「……それで、さっきの話は本当なのか?」
重い空気の中で言葉を発するのは勇気がいったが、この場を回復させる必要があった。シロが助かる方法を知るためには。
「ああ。先に始まれば〝オケアノス〟は〝白鯨〟の咎人の裁きどころではなくなる」
「そっか……」
腕を組み、アリュオンは考える。シロを助け、かつ戦争を止める方法を。
そんなせいもあって、また会話が止まる。だが、さっきまでの重苦しい空気ではない。
メーアも何かを考えているようだったので、とりあえず彼女が何かを言い出すまでは自分も考えていようと、アリュオンは彼女の進む速さに合わせた。
しばらくすると薄暗い、人々の往来のあまりない寂れた場所に出る。赤茶けたレンガ造りの大きな建物こそ立ち並ぶものの、どれもが廃墟同然のものと成り果てていた。活気の残滓が、買い手も着かぬまま十数年に渡り放置されている。
ここはかつて工場区と呼ばれていたが、兵器や造船だけでなく一般人も扱う綿や製紙なども手広く手がけるようになったツェツィンデヌ社の参入により、他の工場は撤退を余儀なくされた。何せその技術は、当時では『絵空事でさえも想像できぬほど』、『一〇〇年以上先の技術』とさえ言われていたくらいだったのだから。
そんな背景など知る由もないアリュオンは、つまらない場所だな、と見渡していた。
「君は、〝白鯨〟の咎人が好きなのか?」
「ぶっ――!?」
完全なる不意打ち。まさか、そんなことを真剣に考えていたなどと毛ほども思っていなかったアリュオンの驚きの声は、閑静なこの場では面白いほどよく通った。
「いや……まぁ……確かにシロは可愛いけど……」
ほんのりと顔を赤らめながら、「そういうのとは、違うんだ……」恥ずかしそうに頬を掻く。
「違うのか?」
「うん。俺はさ、いつだって半人前以下だったんだ……だから、シロに聖域に連れて行ってくれって頼まれた時、それを果たせたら一人前になれる気がしたんだ……」
不思議と、心の内をメーアに打ち開けてしまった。気恥しさは残るものの、どこか胸の中がすっきりしたような気もする。
故に気になった。メーアの心の内が。真意が。
「メーアはさ、どうして戦争なんかしたいんだ?」
「私がしたいんじゃない。そう望む人がいるからだ」
アリュオンはなんとなく、それが自分に向けられたものではないと感じ取れた。
だからかもしれない。頭の中で、張り切って空回りをするコラルダの顔が浮かんだのは。
「……メーアはさ、その人のことが好きなのか?」
「なななっ――!?」
当てずっぽうだったが、どうやらどんぴしゃのよう。
アリュオンを宥めた時以上に冷静さを失い、顔はあっという間に真っ赤に染まる。
「まさか、『メーア』って名前をつけたのもその人?」
戸惑いのあと、小さく、本当に小さく頷いた。無自覚に。
「〝怪物〟の咎人でも、そんな可愛い反応するんだな!」
からかわれ、メーアはさらに顔を赤くする。ただ、恥辱こそ覚えるものの怒りはなかった。
「いやな、コラルダってやつが船にいるんだけど。そいつ、シャリオリってやつの前だと馬鹿みたいに張り切っちゃうんだよね。今のメーアもさ、そんな感じがしたんだ。好きなやつのために、ムキになる感じが似てたから――ほんとこうなるともう、人間と変わりないじゃん」
「違う」
小さく、虚しげな声がアリュオンの笑い声を止まる。
メーアが俯いているので表情を窺えない。が、想像はできた。
「私は、人間ではない……私は〝怪物〟だ」
「でも、好きって感情は〝怪物〟も人間も関係ないだろ? 好きって感情は、他でもないメーアのものだろう?」
言われ、メーアは真ん丸になったその瞳で、アリュオンを見る。
同時に。何か、胸が締めつけられるような苦しみに襲われた。
泣き出したくなるくらいの苦しみ。でも、悲しいからではなかった。
じわりと滲む視界。戸惑いながら、メーアは慌ててそれを拭う。
アリュオンは見えていたが、あえて顔をそむけていた。泣いているところを見られたくないことを、誰よりも知っていたから。たとえ、メーアが泣く理由が分からずとも。
初夏の暖かさに、少しだけ肌寒さが混じった風が港の喧騒を運ぶ。夕刻が迫っているのだ。焦燥が芽生えたが、今は我慢すべきである。
しばし、アリュオンはその音に耳を傾けた。




