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最果てのテスタメント  作者: pu-
第三章 咎人が運命に抗ったこと
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5.罪と罰

「あなたは〝人魚〟の咎人を救ったことがあるの?」


 グライフが肩越しに振り返った先に、〝白鯨〟の咎人――シロがいた。

 額に厚手のタオルを巻いているのは額の角を隠すためだろうが、白い髪に似つかわしくない汚らしい布は確かに角は隠せているものの、違和感しか与えない。

 ただそれよりも、どうしてここにいるのか気にはなった。が、聞いたところで楽しい答えは返ってこないのは分かる。願わくは、船を貫いていないことを。


(……あの男は気づかなかったのか?)


《博雅の徒》の正規会員は、自衛のために様々な武道を嗜んでいる。

 そのため、他者の視線や気配というものには敏感なはずである。

 とはいうものの、裏路地とはいえ人間はいる。加え、あのルミナという男は会員の証である『神堕とし』の紋章の入った制服を着ていたのだ。視線は嫌でも集まる。その中で一人の気配を探し当てるというのは、酷な話なのかもしれない。


(それとも、やはり必要としていないのか?)


 と、グライフが違うことを考えていたせいで、シロがどこかむすっとしているように見えた。無視されたとでも思っているのだろうか。

 正直、あまり答えたくもない話だが、隠したところでしつこく訊ねて来るだろう。


「……ああ。若気の至りだ」


 元々、エルシュタイン・セトラヴァディン帝国海軍少佐という男は、隣国との間に生じた衝突を抑え、纏めた英雄だ。政によって生まれた、仮初の英雄ではあったが。

 積っていた内外の圧迫を緩和するために作られた張りぼての英雄は、その状況にすぐに耐えられなくなった。


 そんな時に現れた〝人魚〟の咎人。

 悲しく歌う彼女を見て、自分にしかできないことをやろうと思った。

 彼女だけの英雄になろうとした。

 そんな恥部を追懐していたせいもあるであろう。シロが発した「なら、リートという名を、あなたは知っている?」という疑問に対し、ぴくりと反応してしまったのは。


「あなたが彼女に名づけたのね」

「……洗い流す(リート)が綺麗だったからな」


 今にして思えば、アリュオンが『シロ』と名づけたことをどうこう言える立場ではないな、とグライフは小さく自嘲した。つくづく、若気の至りというものは、忘れたい頃になってその痛みがやって来る。


「だが、どうしてその名を知っている?」

「会ったから。半年前――私が生まれた時に」


 咎人が生まれる場所は例外なく聖域である。そして、その場に居合わせるのは各〝怪物〟を裁く〝オケアノス〟のみだという。

 なら、彼女が〝オケアノス〟にでもなったというのか?

 グライフの疑問は、シロの一言で解決され――


「《博雅の徒》に捕まった〝人魚〟の咎人(リート)の力で、私は生まれた」


 ――ますます複雑怪奇になる。

 グライフが難しい顔をしていたからではないであろうが、シロが説明を続ける。


「《博雅の徒》と帝国の幹部、そして〝白鯨〟の咎人は〝人魚〟の咎人(リート)に無理矢理、同族殺しの罪を洗い流させた」

「――っ!?」

「洗い流されても、犯した罪の事実と償うべき罰が消えるわけじゃない。形骸化した罰は結果、私という形のまま残った――だから私は〝白鯨〟の咎人の、同族殺しという罪そのもの」

「そんなことができるわけが――!?」

「現に私がここにいる」


 神話の時代、聖域を巡る戦争後に〝怪物〟達の諍いをなくすため〝人魚〟の歌は全ての罪を洗い流したとされている。だがそれは――


「聖域の庇護があれば可能だろうが、力の大半を失った咎人ができるのか?」

「稀に〝怪物〟には異端者がいる――リートは突出した力のせいで裁きを受けた」


 俄かには信じられない事態に、グライフは顔を顰める。

 ただ、そんな心中で、ようやくルミナの去り際の言葉を理解していた。

『〝人魚〟を逃したお陰で復讐ができる』――つまりそれは、かつて自分が逃した〝人魚〟によって生まれたこの〝白鯨〟の咎人を使って、何かをしようとしているということだ。


(どうやら、これから起こるかもしれない戦争を止める義務が、俺にもあるらしいな)


 因果というものがあるなら、まさにこのことなのだろう。

 過去に行ったことを後悔こそいないものの、そのツケが回って来たというのなら清算せねばならない――あの時にはもう、グライフ・ジャンパールと名乗っていたのだから。


「だが、どうして罪を流させた? なんの意味があるというんだ?」

「同族殺しをした〝白鯨〟は、咎人ではなかったけど突出した『個』を持つ異端者だった。そしてその〝白鯨〟は一度群れに戻り、自らの意思によって〝白鯨〟の全体の意思を乗っ取ろうとしている。そうやって戦争を起こし、操作するつもり」


 最低限、自分達の身の安全は確保するということなのか。それとも、〝白鯨〟を操作することで〈水伯の証(テスタメント)〉入手の活路を見出せるのか?


「咎人の肉体を手に入れたのは人間と交渉をするため。そして、〝白鯨〟の群れに紛れるために無理矢理罪から逃れた」

「そのための副産物がお前か?」


 シロは頷き、「《博雅の徒》のシナリオの中の私の役割は、その〝白鯨〟とコンタクトを取り、開戦の合図を伝えることだった」そう補足した。


「それに抗い、お前は戦争を止めるために聖域を行くのか?」

「私にしかできないから。私の存在さえ知れば、〈管理者(オケアノス)〉も異端の〝白鯨〟の存在に気づく。罰則は正しく引き継がれる」


 戦争回避の仕組みは把握できた。罰則から逃れた同族殺しの〝白鯨〟を再び咎人にし、群れから切り離す。扇動する者さえいなければ戦争が起こることがない。そういうことだろう。 

 代償として、シロが消滅するわけだが……


「咎人に戻った〝白鯨〟をあなた達の手で殺して欲しい。二度と同じことを起こさせないために」


 逡巡ののち、「分かった」とグライフは了承する。

 人間が〝怪物〟の咎人を殺すということは酷く骨の折れる作業ではあるが、不可能ではない。異能以外は人間と同じ身体構造だ。急所を突けば命は消える。


「気がかりなのは、あの〝リヴァイアサン〟の咎人だ。あれはお前と同質の存在なんだろう? なんのためにいる?」

「恐らくだけど、戦争の余波に対する防御だと思う。それにたとえ彼女が〝白鯨〟の聖域に行ったとしても、あくまでも〝リヴァイアサン〟の咎人だから身体が元に戻ることはない。〝白鯨〟の〈管理者(オケアノス)〉はあくまでも〝白鯨〟しか管理しないから」

「なるほどな」


 管轄が違うだけで仕事をしないのはどこも一緒かと、かつての職場を思い出すグライフ。彼女が話を切り出す前の、ほんの僅かな間を少々気にしつつ。


「それに《博雅の徒》の会員は、お前を聖域に連れて行って欲しいようだったぞ?」

「えっ……?」


 シロの瞳は狼狽に揺れる――それは実に少女らしい反応だった。

 だからであろう。近づき、彼女の頭に手を乗せたのは。


「あいつの狙いがなんなのか分からないが、とにかくお前はお前のできることをやればいい。その始末は俺達がつける」


 グライフの武骨な手で撫でたあと、ぽん、と優しく頭を叩く。

 思いつめていたシロだが、それに効果があったのか、小さく頷いた。


(なんだか……とんでもない世界に迷い込んだ気分だな……)


 改めて息を吸うが、ここが掃き溜めであることをすっかり忘れていた。鼻から肺一杯に呼吸をした己を呪う。


「彼女は……」ぼそり、と口にしたシロ。

「ん?」

「リートは小さな村で人間の見世物になっていた。歌が巧い〝怪物〟として。でも、彼女はそれはそれで満足はしていたみたい。待遇は良かったし、何より好きな歌が歌えたから――そのせいで《博雅の徒》の目に留まったのだけれど」


 思わず、グライフはきょとんとしてしまった。

 果たして、シロは気を使ったのだろうか?

 分からぬが、ただ、ほんの少しだけ救われた気がした。自分がかつて願ったことを、彼女が僅かな間とはいえ叶えていたことを。


「……彼女は今、どうしている?」

「刑期を終えて群れに還っている。だからもう、他の咎人の罪が洗い流されることはない」

「そうか……」


 彼女はもう、自分を覚えていることはないだろう。

 それでいい。それで充分だ。英雄というのは、恐らくそうあるべきなのだ。




 グライフはシロとともに船へと戻るため、薄汚い裏路地から人々の雑踏が飛び交う商店街を歩く。しばし経ってから、〝人魚〟の咎人の話を急に降られたせいですっかり失念していたことを思い出した。


「なぁ、シロ。そもそも、どうしてお前はこんなところに来たんだ?」


 危険を冒してまで、何故シロがこんな場所にいるのか。よほど伝えたいことがあるのか。

 すると、シロは他人(ひと)の目を気にでもしているのか。何度か視線を泳がせ、口ごもったあと、ようやく口を開いた。


「アリュオンを説得して欲しい」

「嫌だ」


 間髪容れずの返答であったため、シロは言葉を詰まらせる。

 一方のグライフは、あまりにも肩透かしな答え――ガキの喧嘩の仲裁役を頼まれたことに、思わず呆れる。そんなことを頼むために、わざわざこんな場所に来たというのか。いやむしろ、シロにとってそこまで『約束』が重要ということなのだろうか。


「でも、あなたの言うことなら……」

「お前達の喧嘩だろうが。他人を引っ張り込むな」

「喧嘩じゃない!」

「いいや、ガキの喧嘩だ」


 シロはまだ何か言いたげだったが、水掛け論になることを察したのだろう。無言のまま、怒りに似た瞳で睨む。ただ、そんな子供じみた無言の攻撃など、グライフには当然通じない。

「それにそもそもだ。俺がああだこうだ言ったところで、あいつが頷くとは思わないな」

 アリュオンの意志が他者の言葉で曲がるとは思わない。少なからず、そういった年齢の男だ。自分の信念を変えられるのは、自分自身以外いないのだ。

 それでも、できることがないわけではない。


「シロ、お前が説得をしろ」

「でも……彼は私の話なんて、きっと聞かない」

「そもそも話をしたのか?」


 予想通り、シロは小さく首を横に振った。


「伝えてもいないのに分かってくれないなんていうのは、単なる我儘だ」


 シロの人間離れした綺麗な白い髪とつむじを見、自分が今〝怪物〟の咎人に説教をしているのだと不意に気づく。

〝怪物〟とはいえ、それなりに悩み、助けを求める姿は、見た目と相応の少女のものであった。

 そんな彼女に、グライフは思わず微笑みそうになったが堪えた。

 一息つき、意識的に口調を柔らかくする。


「確かに分かって欲しいやつに理解してもらえないのは辛いし、想像するのは怖い。それは分かる。だが、それから逃げたってなんの解決にもならない。理解ってのは、何も全てを協調させることじゃない。反発し、ぶつかってでも相手の本心を知り、自分の本心を伝えることだ」

「それでも、分かり合えなかったら……」


 美しい蒼の双眸が向けられる。それは確かに〈蒼海の瞳〉という人外の証たる、異形の瞳だ。が、今は単にシロの不安な瞳に他ならない。


「アリュオンを信じてやれ。まずはそれからだ」


 シロが頷くことはなかった。それはまだ、悩んでいるということなのだろう。

 今はそれでいい。すぐに答えを出せるほど、彼女の悩みは単純ではないという表れだ。

 それでも、話し合ってくれることを信じる。そして、二人なりの答えを見つけてくれることを。シロとアリュオンを信じ、出した答えを聞いてやることが大人たる自分の仕事だ。

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