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最果てのテスタメント  作者: pu-
第三章 咎人が運命に抗ったこと
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4.人間と〝リヴァイアサン〟

 ルミナと行動を別にしているメーアは独り、人々がごった返す露店街を歩いていた。

 すでに今作戦の要とも言える『連絡』は終えている。軍施設への帰路を歩むメーアにとってこの場所自体に目的はないが、トルトゥーガの港町にはちょっとした興味があった。ものが溢れるということはつまり、自分の知らないものも多いということだ。


(ただ、きちんと考えてからくれば良かったな……)


 突発的な自身の軽率な行動に、小さく嘆く。


 目立つエメラルドグリーンの髪こそ束ねて帽子の中に隠したが、綺麗なスーツを身にしているのは間違いだったと、後悔が頭の中で渦巻いていた。


(ルミナが海の男を嫌いになるのが、少し分かる気がする)


 にやついた顔を近づけて来るたび、顔面を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。そして、そのあとすぐ〈蒼海の瞳〉を見、態度を一変させて蜘蛛の子を散らすように離れていく様には殺意が湧く――と同時に、それ以上の虚しさも抱く。

 自分が異端であると再確認させられるのが、一抹の悲しさを覚えさせる。人間ではない以上に、〝怪物〟の咎人としても異常である自分に対して。


(そんな私を、彼は必要としてくれている……)


 自分の中にある(・・・・・・・)最初の光景に、ルミナはそこにいた。

 眼鏡の奥に秘めた、金の髪と瞳を持った男。ルミナ・ゼトラヴァディンが。

 初めて見た彼の顔はいささか奇妙ではあったが、今思い起こしてみれば、あれこそが狐につままれた顔というものなのだろう。自分が生まれて来ることに、半信半疑であったに違いない。

 その隣では、〝白鯨〟の咎人――今、《ブルーレイス》とともにいる人格以前の『個』――が不敵な笑みを浮かべていた。彼女の心に秘めた醜悪な感情は、生まれて間もないという自分でさえ痛感できるものであった。

 次に見たのが〈蒼海の瞳〉を宿した人間の形をした者。〝人魚〟の咎人が、酷く表情を歪めていた。自らが犯してしまった、新たなる罪に苦しむ顔だ。


 それから複数名の人間を一瞥したのち、最後に見たのがエメラルドグリーンの巨躯を持った一頭の〝怪物〟――〝リヴァイアサン〟だった。

 理解は、恐らくだが誕生とともにしていた。自分と言う存在そのものの意味を。

 自分が纏っている肉体は、本来なら目の前にいる〝リヴァイアサン〟のものであると。


(ならこの肉体に宿っている心は、一体誰のなのだ……?)


 胸に手を当てる。

 あの〝リヴァイアサン〟のものではないことは確かだ。同一の人間がいないように、同じ『個』が二つ以上あるわけがない――〝怪物〟に『個』がないと伝わっているようだが、実際は生物であるが故に有している。ただ、全体意思が何よりも優先されるに過ぎない。


(なら……自分のもの、か……)


 答えは分かっている。だが、求めているものとはどこか違う。もっと確かなものが、それこそ心の底から安堵できるものが欲しかった。

 メーアが数え切れぬほどの人間の中で、孤独感に苛まれている時だった――


「うっせぇ! 離せよバカ!」


 どこからともなく、幼い大声が通る。

 出所はすぐに見当がついた。何せ、すぐ目の前に人垣ができているからだ。こういう状況がなんなのか、メーアは知っている。海の馬鹿どもが喧嘩をしている時の光景だ。この幾層からなるむさ苦しい人間の壁の中心に、低俗な祭りの主役達がいるのだろう。飛び交う下品な野次は聞き苦しい。

 普段なら近づくことなどしなかったが、耳に入ったのが幼い声だったのが気にかかる。

 人垣の隙間から覗くと、中心にいたのは頭一つ低い、少年。


(……あの時の子供じゃないか?)


 目の前にいるのは、〝白鯨〟の咎人の隣にいた小うるさい少年だった。

 骨格差は歴然だというのに、少年の瞳は全く動じておらず、むしろ自信すら窺える――だが次の瞬間、真正面から顔面を殴られた。よろけ、後ろに倒れそうになるが、彼の背後にいた男がそれを許してくれない。そして再び、正面の男が拳を固めた。


 次の瞬間に起こったことは、誰よりもメーア自身が驚いていた。

 少年を殴りかかろうとしていた男を、蹴り飛ばしたことに。

 いきなり割り込んだ彼女に誰もが困惑していたが、最初に反応したのは少年だった。


「お前は……!?」

「そう警戒するな。少なからず、今の私に君をすぐさま殺す力はない」


 海水を扱う時とは違い、大気中の水分を使うには掌握するための時間が必要となる。特に王である〝リヴァイアサン〟は強力な力を持つ種であった故か、咎人になると力は酷く制限されてしまっている――ただ、少年がそれを知っているとは思えないが。


「ひとまず、血を拭け」


 メーアがハンカチを差し出すと、少年は乱暴に取って血を拭った。しかし、警戒が和らぐことは全くない。


(それとも、単に敵対関係だからか?)


 どうしたものかとメーアが悩んでいると、肩を乱暴に掴まれた。


「さっきからなんなんだ、おまっ――!?」


 無理矢理振り向かせた男は、メーアの瞳を見て言葉を詰まらせる。


「……お前……〝怪物〟か……?」


 やっと絞り出した声は恐怖に掠れ、身体だけでなく瞳孔までもが揺らいでいる。じりじりと、みっともなく後退る始末。

 彼の一言によって、メーアに異質の目が集まる。そこには恐怖や強欲など、様々な思惑が入り混じっていた。

 気味の悪い眼に視姦されるのは、とてもではないが耐えられそうにない。

 苛立ちを滾らせていると、先程蹴り飛ばした男が拳を固めて殴りかかって来た。

 腕ごと往なし、メーアが半身ずらして軽く足を引っかけるだけで、男はいとも簡単に倒れる。その太い首の裏側、盆の窪辺りを踏み抜く。苦悶の呻き声とともに男は沈黙。首は折れていないだろうが、何かしらの後遺症は残るかもしれない。


 瞬く間の出来事に、誰もが言葉を失い呆然と立ち尽くしていた。

 間合いを計り、隙を窺っているのだろう。どうにかして捕まえたいようだ。


(……私が敵わない相手だと分かれば済む話だな)


 時間は充分だった。大気中の水分を支配する時間は。

 メーアは少年の手を引き、踵を返して走り出した。

 直後、バガンッ! と、突如として上がるけたたましい破壊音。大型露店の屋根を叩き潰す音は、活気溢れる人々の声を一瞬だが沈黙させる。

 人垣の背後から、濛々と立ち込める土煙が一帯を包む。海に近くであるため水分を多く含んでいるが、周囲の視界を覆うには充分だった。


「いいか、聞け! 私達を追ったら、今度はお前らを叩き潰す(・・・・)ぞ!」


 脅迫はそれで充分だった。〝怪物〟の王である咎人を追う気にはなれないはずだ。恐怖を痛感してもなお、捕まえようとする強い信念を持ち合わせている者など、ここにはいないはずだ。突発的な衝動に、信念が伴うはずがないのだから。


 メーアは潰れた屋台から這い出る露店の店主に、「今はこれしかない」と、彼以外に見られぬよう――立ち込める煙のせいで見られることはないと思うが――袋の中身を見せ、捨てるように投げ渡した。


「こんなんで直せるか馬鹿野郎!」


 と言うものの、声は震えていて、にやけた顔は隠し切れていない。

 無理もない。中に入っていたのは帝国金貨四枚。露店ではなく店舗を構えても釣りが来る額だ。

 どうせ自分が汗水垂らして稼いだものではない。今の金貨はこの街のショバ代などから徴収された税金であり、元を辿れば彼らのものだ。店主一人にその全てを返すのは不公平かもしれないが、自分にはもう金など必要ないのだから何に使ってもいいだろう。


 幸い追う者はおらず、人々の合間を縫いながらの脱出は難なく成功した。

 治安の悪い露店街を抜け、商人が経営する店舗が並ぶ、秩序の保たれた場所に出る。

 噴水が置かれた広場で止まると、少年は両膝を抑えて肩で呼吸をする。

 今まで身だしなみの整ったメーアの方が目立っていたが、ここでは小汚い服装の少年が浮いている。少なからずトルトゥーガ港は観光地ではないため、商業目的以外の貴族こそ訪れないが、そんな彼らを相手にする商業者達は多い。また、海洋関係の大手企業や軍施設があるため、自然と服や装飾品は高級なものになる。


 周りの白い眼は無視し、「ところで、君はあんな場所で何をしているんだ?」

 そう訊くものの、少年は呼吸を抑えるのがやっとで言葉が紡げないようだった。


「はぐれたのか?」

「違ぇよバカ!」


 切れ切れの呼吸からやっと絞り出されたのは、あろうことか暴言だった。

 彼を助け、しかも気まで使ったというのに、どうしてこの子供は自分を責めたのだ?――予想だにしない反応に、メーアは前を丸くしていた。


「仲間がいなくなったから探しているんだよ」

「君は、あの場所に詳しいのか?」

「初めてだよ! なんか悪いか!?」

「あまり良くはないと思うが……」


 仲間が見つからずに苛立っているのだろうか。だからその感情を、自分にぶつけてきたのかもしれない。子供というのは感情の御し方が上手くないということなのだから。


「私も探そうか?」


 言い、少年も驚いたが、メーア自身も少しだけびっくりしていた。自然とそんな言葉を出したことに。さっきもそうだが、何故かこの子供を放っておくことができなかったのだ。

 考えもなしに口にしてしまったものの、特に撤回する意味もない。ルミナとの合流時間まではだいぶ時間がある。時間潰しにはなるであろう。

 しかし、少年はどこか困惑していた。


「私がいると困るのか?」

「いや、まぁ……」

「だが、さっきみたいに絡まれるぞ? どうせあいつらが、君を侮辱したんだろう?」


 メーアの言葉に、少年は腕を組んで唸る。


「なら私を利用すればいい。私は誰を探しているのか知らない」

「だけど……」


 少年がこちらの申し出を躊躇する理由など、一つしかない。自分と少年の間の繋がりが、一つしかないのだから。


(いないのは〝白鯨〟の咎人か)


 必死に隠そうとした結果、露呈してしまっていると知ったらどう思うのだろうか。


(そんな意地の悪いことをしたら、絶対にこの場から逃げ出すんだろうな……)


 こんなところで少年を一人にしたら、それこそ今度は《ブルーレイス》の誰かが彼を探す羽目になるだろう――それは色々、厄介なことになりかねない。

 それに加え、少なからずルミナにとっては(・・・・・・・・)〝白鯨〟の咎人は絶対に必要というわけではない。だから、自分がいくら見つけようとも、捕まえることはない。


(かといって、捕まえないから一緒に探そうといても信じないだろうがな……)


 どうしたものかと悩んでいると、少年がどこか悔しそうに小さくため息をついた。


「……協力してくれ。あんたは、俺よりもこの港のことを知ってるんだろ?」


 頷き、メーアは手を差し出す。

 戸惑いを見せるものの、おずおずと少年は手を握り返す。

 見た目よりもしっかりとした掌は、海の戦士の片鱗を窺わせるものだった。


「じゃあ……よろしくな、メーア」

「えっ!?」


 驚きのあまり、ぎゅっと強く握ってしまう。


「い゛っ!?」


 力はそれほど強くはないはずだが、不意に握られたためであろう。少年はメーアの手から己が手を抜き、振ったりさすったりする。


「すっ、すまない」

「気にすんな……ってか、名前、違ったか?」

「いや、そうではなく……まさか、名前で呼ばれるとは……」

「だって、嫌なんだろ? 〝リヴァイアサン〟って呼ばれるの――まぁ、なんとなく分かるんだよ。俺も『アリんこ』って呼ばれるの嫌いだから」


 誰かを思い出しているのだろうか、どこか遠くを見つめながら――方向的に、一般船側の港か?――先程メーアが握った反対の拳を握っている。目の奥には怒りのようなものが。

 いちいち面白い反応を見せてくれる少年に、メーアは小さく笑う。幸い、彼はこちらを見てはいないため、その怒りが飛び火することはなかった。


「じゃあ、私は君をなんと呼べばいい?」

「アリュオンだ」


 真っすぐ、こちらを見つめる黒い瞳。この〝怪物〟の証である〈蒼海の瞳〉を。

 合わせることに躊躇いがあった。大概、この瞳に向けられるものが心地いいものではなかったから。

 だが、アリュオンの瞳は今まで向けられていたものとは違う。

 なんでもない(・・・・・・)、当たり前の瞳だった。

 だから、メーアも少年の黒い瞳を真っすぐ見た。〈蒼海の瞳〉で。


「じゃあ、探すとしようか、アリュオン」


 もう一度手を差し出すと、一瞬だがアリュオンは苦笑いを浮かべた。

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