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最果てのテスタメント  作者: pu-
第三章 咎人が運命に抗ったこと
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3.蛮人と賢者

 港内を歩けば、当然のようにグライフに視線が向く。かけられる声を適当に躱しつつ、独り誘われた場所へと向かう。

 一見すればいつもの港だが、やはり肌に感じる空気は妙に殺気立っている。帝国の今回の動きが原因だろう。

 大半の者が真偽の境界が引けずに困惑していた――《ブルーレイス》の船員の中でさえ、俄かに信じられていない者もいるのだから――が、『帝国が聖域に戦争を仕かけ、〈水伯の証(テスタメント)〉を狙っている』という点に於いては、紛うことなき真実である。


 何せ帝国は〈水伯の証(テスタメント)〉を狙った聖域との戦争を、遥か昔から計画していた。

 そのどれもが机上の空論を脱し切れていなかったが、最近では《博雅の徒》との繋がりも太くなったことから、昔の絵空事よりもずっと現実味のある計画になっている可能性は拭えない。


(それに何より、シロは戦争を止めるために聖域に行くらしいしな)


 仮に帝国の聖域への戦争が本当なら、海に生きる自分達は確実にそれに巻き込まれる。


(シロが戦争を止めてくれるというのなら、いち早く連れて行かなければな)


 大きな戦争ということなら、帝国も本腰を上げるということなのだろう。

 となれば、帝国と聖域の戦争の終結後、結果がどうなろうとも世界は様変わりする。

 帝国が勝利した場合は言うまでもなく、海そのものを支配したといえよう。

 だが敗北は、各国間のパワーバランスの大変動を引き起こす。そしてそれは、未だかつてない規模の戦争を招く。どちらにせよ、この海という海は戦争という荒波に吞まれる。


 それをシロを連れていくだけで回避できるのなら、死地を渡ることとなっても果たさなければならない。

 それは正義感から来るものではない。戦争を回避しない限り、海賊に未来はない。戦争という荒波を乗り越えることはまず不可能だ。


(問題は、アリュオンの説得か……)


 彼の意思を無視し、踏み躙ることは容易だ。というよりも、アリュオンの意思など今後の世界から見ればどうでもいいことだ。

 が、どうも踏ん切りがつかない。

 甘いと自覚しているが、シロを失うことによるアリュオンへの影響がどう出るか不安でならない。自分が守ろうとした者の目的を果たすことで、その者の命が消えるところを目の当たりにしたら……頭を振り、思考をそこから切り離す。


(それにしても、シロの『存在そのものが罪』っていうのはどういうことなんだ?)


 グライフは〝リヴァイアサン〟の言葉の意味を分かりかねていた。

〝怪物〟の咎人というものは、本来なら罰として〝怪物〟の身体の代わりに人間の肉体(に、近いもの)を与えられ、贖罪のために『個』を与えられる。そして、刑期を終えたところで肉体と『個』が消滅し、元の〝怪物〟の身体に還る。


 だが、シロの説明は明らかにこのプロセスから外れていた。

 シロ自身が罪そのものであり、〝オケアノス〟に見つかれば本来、その罪を償うべき咎人に還元される。

(なら、なんらかの方法で償うべき罪を放棄し、罰だけが(・・・・)独り歩き(・・・・)している(・・・・)とでもいうのか?)

 過去、何度か咎人を見てきたが、そんな咎人を見たことはなかった。

 自分が知る中で最も異端だった〝人魚〟のリートでさえ、罪を償うために歌っていた。


(俺が知る咎人は最低限、罪を償うことを当たり前のように生きていたはずだ……)


 その誓約さえ破って、同族殺しに対する『贖罪を放棄した〝白鯨〟の咎人』は今、一体どこにいるのか?

 そして、シロの言う『大きな戦争』の何かを担っているのか?


 出口の見えない思考を彷徨いながら、待ち合わせ場所である人通りの少ない、それこそ『世界の掃き溜め(・・・・)』と呼ぶに相応しい、饐えた臭いのこびりついた裏路地に辿り着く。まだらに窺える人間にはどれも生気はない。生ける屍とはまさにこのことだ。

 そんな中、薄汚い場所には似つかわしくない小奇麗な白衣を纏った男が待ち構えていた。


「《博雅の徒》の正規会員が、一介の海賊相手になんの用だ?」


 その胸元に、紅い『神堕とし』の紋章。

 店主のダーニーに渡された手紙には、帝国海軍の隠語が使われていた。それはつまり、完全にこちらの過去を調べ尽くしているということなのだろう。


「初めまして。僕はルミナ・セトラヴァディン――アールセイン・セトラヴァディンの息子ですよ、グライフ・ジャンパール」


 と、ここで一拍置き、


「いや、エルシュタイン・セトラヴァディン(・・・・・・・・)元少佐と呼ぶべきでしょうね。僕達の因縁なら」


 眼鏡の奥にある隠しもしない金に輝く殺意の眼差しで、グライフの金の瞳を睨む。


(……兄の息子か)


 グライフもまた見こそするものの、どこ吹く風と言わんばかりに興味は全く映っていない――それが余計にルミナを腹立てさせるわけだが、衝動を抑える術はいくらでも持ち合わせている。矜持はもう、当の昔に踏み躙られ尽くしたのだから。


「――お前の差し金か。〝リヴァイアサン〟を使って攻撃してきたのは」

「察しが良くて何よりです」

「それ以前に、俺達に豪華客船襲撃を嗾けたのもお前だな?」

「さぁ? なんのことでしょうね?」


 わざとらしい空とぼけた態度にも、グライフは心を全く動かさない。

 問題は、どうしてローゼ・エーデルシュタイン号を襲わせ、結果として〝白鯨(・・)の咎人を(・・・・)こちらに(・・・・)奪わせた(・・・・)のか(・・)。利用している情報屋が入手した帝国の漏洩情報には、『豪華客船のパーティーに紛れて兵器を輸送する』とあったが、それを漏らしたのがこの男なのだろう。

 完全に不利な状況を打開するには、一つでも多く情報を手に入れるしかない。たとえ、自分よりも長けた知能と話術を持ちわせている、《博雅の徒》の会員が相手だとしても。


「本当に聖域に戦争なんて仕掛けるのか?」

「ええ。本当ですよ」


 あっけらかんと、ルミナ。


「なら、あの〝白鯨〟の咎人はなんだ? お前達の戦争にどこまで関わっている?」

「言うと思いますか?」

「理由によっては返す。航行の安全を確保するには、海上からでも荷を下ろす必要がある」

「返す気もない癖に」


 鼻で笑う彼の本心を探る――この男には、〝白鯨〟の咎人は本当に必要ないのか?


「あれは、お前達の戦争を止めようとしているぞ」

「ええ。彼女は聖域に行きたがっていましたからね。利害は一致していたんですよ、互いに聖域に行きたいというね。まぁ、彼女にはジレンマがあったでしょうけど。戦争を止めなければいけないのに、戦争を起こそうとする船に乗らなければ辿り着けないという」


 普通の船舶では、聖域などという危険海域に航行することはできない。

 加え、〝白鯨〟の聖域はここ、トルトゥーガ港に近いのだ。よほどの力を保持する船でないと辿り着く前に、敵に沈められてしまう。


「このまま連れて行けば、戦争は止まるぞ? 拘束する必要はないのか?」

「私達の心配をしてくれているのですか?」くつくつとルミナは笑い、「最低限、あなたが僕の心配をするのはお門違いですけどね?」


 眼鏡の奥に潜む金の双眸。

 ここに来て初めて、先程の自己紹介の時に見せた模造の怒りとは違う、感情らしきものが垣間見えた。

 深い、底の見えない憎悪が。


「僕はあなたを許さない。〝人魚〟を逃したせいで、僕は生まれる前から散々な目に会いましたからね」


 まるで今の今まで喋っていた男とは別人になったかのように、声質に重さが加わっている。感情の重さが纏わったのが、はっきりと分かった。

 彼が自分を恨む理由は、『アールセイン・セトラヴァディンの息子』と名乗る時点で見当がついていたが、憎悪の深さが今になってようやく伝わった。


 ただ自分はもう、自らの過去の全てと決別したのだ。だから当然、グライフ・ジャンパールという男に親や兄弟はいない。そして、エルシュタイン・セトラヴァディンの過去の亡霊が今さらやって来たところで、構う義理はない。

 ルミナが口を開く。その顔にはもう、道化の仮面が着けられていた。


「ですが、因果と言うんですかね? そのお陰で僕は復讐ができる。複雑な心境ですよ」


 にこりと笑う彼にはもう、憎しみはまるでない。完全に内に身を潜めている――隙間から、殺意の眼差しを覗かせているものの。


「お前はそんなことを言うために、わざわざ呼び出したのか? 俺はてっきり、〝白鯨〟の咎人に関する取引だと思っていたんだがな――下らない」

「それもあったんですが、まぁ、彼女にはさほどこだわりはないので。それにどうせ、取引したところで応じるつもりはないでしょう?」


 憤慨でもしてくれるかと思ったが、やはり《博雅の徒》の会員。道化の仮面にヒビは入らない。そこから漏れるだろう感情から、情報を汲み取らせてはもらえないようだ。


「お前ら欲しがっているものを奪う計画を、ふいにしかねない鍵かもしれないのにか?」

「船内で暴れられても困りますからね。僕もまた、彼女を聖域に送りたいんですよ?」


 恐らくこの男がシロを渡したのは、最終的にこちらの手で〝白鯨〟の咎人を聖域に連れて行って欲しかったということなのだろう。航行の安全を確保するために荷物を手放したのは、むしろ帝国側ということだ。

 しかし、シロは聖域に着けば戦争を回避できると言うが……


「なら、〝リヴァイアサン〟を使ってまでした脅迫はなんだ?」

「あなた達が本当に、〝白鯨〟の咎人を所持していたのかという確認ですね。少なからず、あの咎人が乗船していれば、攻撃に対して何かしらのアクションは起こすでしょう?」


 ルミナが踵を返し、肩越しに振り向いた。


「それに僕があなたを呼んだのは、明日の戦争前に一度顔を見たかったんですよ。加えて、あなたにも僕を知って欲しかった。戦場でいきなり告白されても、気持ちの整理がつかないでしょう? そのまま死んでもらうのは、僕が許せない」


 そう告げて満足したのか。ルミナは踵を返し、人ごみの中に姿を消す。

 彼が帰ってくれたのは、はっきり言ってしまえばありがたかった。いい加減、いちいち芝居がかった口調にうんざりとしていたところだった。


(やはり、まともな情報は望めなかったな……)


《博雅の徒》の会員はペテン師だ。嘘を語り、真実を騙るのを生業とする者の言葉から情報を搾取するというのは、やはり無理があったようだ。


(本当に、さっぱり分からんな)


 正直、お手上げだ。手元にある情報があまりにも少なすぎるため、推測すらできない。


(ひとまず、俺も戻るか……)


 来た道を戻ろうとした矢先、背後に感じる気配。隠そうともしないそれに、グライフは背を向けたまま告げる。


「今度は、お前か……」

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