23. 盗品なら、蔵にあります
五十三日目の朝、七番坑の暗がりから坑夫たちが現れ、石を運び出した。
夜通し掘った道具が、坑の口にごとりと置かれる。坑夫たちの肩から、汗と湿った土の匂いが立つ。年寄りの両手にある赤土の付いた石へ、俺の目は吸い寄せられる。
「出た! 拳の石だ!」
額に巻いた手ぬぐいのキヨが叫び、両手を差し出す。年寄りから石を受け取ると、落とさないように指を掛け直す。
「坑の奥に、一つだけ残ってた。拳ほどの、赤土の石」
ネリカが煤けた袖口をまくり、石を灯にかざす。揺れる明かりが赤土のくぼみに溜まり、俺まで息を細くする。
「壺一つぶんです! 月岡さま、これで一人、帰れます!」
年寄りの坑夫が、隣の肩をぱんと叩いた。キヨは石を指で弾き、返ってくる音に耳を澄ます。
「ちび、こっちの石で間違いない?」
「はい! 欠片の音も、確かめました。全部擦れば、人ひとりの墨になります!」
「キヨ、石の値はいくらだ? 俺の持ってる銀貨は、詰め所で言った分だけだよ」
キヨは石をネリカへ渡す。石を離した手は、すぐに首の布袋へ戻る。
首の布袋を開き、桜の形の小さな金具を取り出した。土の付いた指が、金具だけをそっと挟む。その扱いに、俺は銀貨へ伸ばしかけた手を止める。
「石の値段は、銀貨じゃなくていい。……これを、向こうへ届けてよ」
「ひいじいちゃんの物か?」
「帽子の徽章だよ。名前だけは、こっちへ遺したんだろ? せめてこれだけでも、向こうへ返してやりたい」
キヨが俺の前へ両手を出す。小さな金具は、その掌の真ん中にあった。急かす声はなく、俺が受け取るまで、両手はそこにある。
受け取ると、思ったより軽く、冷たい。なのに、すぐには指を閉じられない。百年、誰かの胸の前で揺れてきた重さが、この小さな金具にある。
「預かる。次に帰る奴に、持たせる」
「前髪の兄ちゃんが帰る時まで、待たなくていいの?」
「次は姫崎だ。石を墨にして、その帰り道を描く。手紙と一緒に、姫崎に持たせる」
俺は金具を鞄の奥へしまった。指先から、金具の冷たさがまだ抜けない。キヨの両手が空になり、布袋の紐だけが首の前に残る。
「……石は、もう兄ちゃんたちの物だよ。ひいじいちゃんの物を届けるために、使ってよ」
「石の分は、これも受け取ってくれ。銀貨二枚」
俺が銀貨を掌へ置くと、キヨは一枚を歯へ運ぶ。金具を渡したばかりの手の上で、銀貨が光った。
「王様の顔だ、本物だね。へへっ、月岡、全部出しちゃっていいの?」
「元から、それだけだよ。石を持って帰れるなら、今ここで使う」
シヅ婆さんと同じ噛み方だ。王の顔を噛んで、キヨが歯を見せた。胸につかえていたものが、その笑い声で少しだけほどける。
頬のインクの染みをこすり、ヨルカが持ち主の字を小声で読み直す。石の写しを畳む指が、紙の端を丁寧に揃えていた。
「キヨさん、持ち主の字も、持って帰ります。石と徽章と、この紙です」
「うん。書庫の姉ちゃん、今度はあたしにも、また読んでよ」
俺たちは道具を持つ坑夫たちに頭を下げる。ネリカの両腕には、拳ほどの魔石があった。
◇
五十五日目の昼過ぎ、荷馬車が書庫の段の下へ着く。鍋から立つ湯気と、人の声が広場を満たしている。
俺たちはすぐに段を上がった。茶色に染めた髪の宝来が、城から運んだ鍋を配っている。俺たちに気づくと、すぐに顔がこちらへ向く。
「月岡、石のことだけどさ。帰り道の分、あったんだな?」
ネリカが外套を開いて見せる。宝来は椀を下ろし、石の前へ顔を寄せた。俺は、肩に残っていた力を少し抜く。
「ありました! ネリカが、これから擦ります!」
広場のざわめきが、像の前で割れる。鍋の周りへ集まっていた顔が、揃ってそちらを向いた――――宰相たちだ。
宰相が兵を連れ、指輪だらけの指で触れ役の板を示す。昼の光が、板の白さを広場じゅうへ跳ね返していた。板の陰で、触れ役が声を張る。
「おまけは南の山で、王家の魔石を盗んだ。盗品を差し出せ、とのお達しであります」
群衆の男が声を張る。
「言う前に、石を見ろよ! 買って来たんだろ、あの兄ちゃんは!」
兵が段へ踏み込み、ネリカの外套へ手を伸ばす。石を抱えた腕の手前で、手は動かなくなる。掴む形に開いた指だけが、むなしく宙に残った。
ネリカが石を抱え直す。外套の端が揺れても、石を抱く腕は離れない。
「石を落とさせないでください! これで帰れる人が、待っているんです!」
「盗品なら、国へ戻すだけであろう」
俺は鞄から紙を出し、ヨルカへ渡す。七番坑の口の石の写しだ。ヨルカの指が王の名の行へ進み、そこで止まった。
「七番坑の持ち主は、新太郎の子らです。百年前の王の名で、書いてあります」
「百年前の王の下げ渡しなど、今の王が改めれば済むことだ」
俺は段の上から、宰相へ顔を向ける。息をゆっくり吐くと、喉につかえていた熱が少し下がる。
「改めれば、ですか。持ち主から買った石を、先に盗んだことにはできませんね」
「くっ! 異界の少年。王の石を持ち歩く者に、その言い分は通らぬ」
「王の名の行まで読んでください! 子らに与う、です。蔵へ返す、ではありません!」
ヨルカが石の写しを段の上へ置く。持ち主の字を、宰相からも群衆からも見える向きへ揃えた。
俺は目にかかる前髪を上げ、帳面の写しをその横に並べる。二枚の紙の端が、石の上で擦れて小さく鳴った。
左に坑の地図、右に石の数。ヨルカが七番坑の行を読み直すと、群衆の視線が宰相へ移る。肩越しに覗く顔が増え、段の下の声が低くなる。
「その帳面は、山の役人の物か?」
「はい。詰め所で掲げて、ご丁寧に見せていただきました。今月の石の行も、そのままです」
宰相の目が、右の頁へ向く。その視線が石の数へ落ちるまで、俺は声を挟まず待った。
「盗品をお探しなら、閣下の蔵に二つあります」
群衆の前のほうから、蔵に二つ、と声が上がる。隣の男が紙へ指を向け、同じ言葉を返した。その言葉は、俺の声より遠くへ広がっていく。
「持ち主に渡さず、蔵に入れたほうはどうなるんだよ!?」
宰相の指輪を回す指が止まる。
ネリカの外套の前で止まっていた兵も、宰相へ顔を向けた。命じる声は来ず、宰相の手だけが体の横へ下りる。
「くぅぅぅ……石は、好きに擦るがいい」
兵の手が下がり、宰相は広場から去る。段の上には石と、持ち主を読む紙が残った。ネリカが石を胸へ引き寄せるのを見て、俺はようやく息を吐く。
夕方、宝来が城の台所から擂り鉢を持ってくる。閲覧室の卓にも、窓から差す光が細く伸びていた。
「十日で壺一つです! 割ってから、全部擦ります!」
「頼む。今度の墨も、ネリカの手が要る」
閲覧室の卓で、石を割る音が始まる。乾いた音が響くたび、俺はその先の帰り道を思い描く。宝来は外の鍋の火を落として戻ってきた。
畳んだ紙を出し、俺へ向ける。紙の端を取ろうとして、俺は宝来の次の言葉を待つ。
「留守の間に、角のある奴が来てさ。……月岡に、これ渡せって」




