21. 売る石は、一つも無い
四十九日目の夜明け、書庫の段の下に、クラスの六人が並んでいた。
昨夜、シヅ婆さんは南の山とだけ言って、塔へ帰っている。段の石には、まだ夜の冷たさが残っていた。薄い朝の光を背に、六人の影が俺の足元まで長く伸びる。扉の脇では、見張りの兵が帳面を開く。
「勇者が六人、並んでおります。……今日は、列のほうを書き留めるのでありますか?」
列の先頭の男子が、俺へ頭を下げる。すぐには声が出ない。
「あの日、俺も笑ってた。ごめん。……並ばせてくれ」
後ろの五人も、一人ずつあの日に笑ったことを口にして、深く頭を下げた。
声の大きさはばらばらで、一人は途中で言葉が切れる。顔が上がるたび、俺はうなずいた。胸の奥の固い結び目が、息を吸うたび、少しずつ緩んでいく。
ヨルカが顔を上げ、頬のインクの染みを袖でこすった。それから、列の端まで目で数える。
「五番目から十番目までです。名前と、今日の順番を残します」
俺は目にかかる前髪をかき上げた。顔を伏せていた男子たちが、こっちを見る。目を合わせるには、まだ少し力が要る。
「受け取る。順番は書く。……墨は、俺が取ってくる」
列の先頭が紙を確かめ、後ろへ場所を空けた。段の上へ、ネリカが煤けた袖口を振って駆け寄る。
「南の山の魔石は、一つ残らず王家の蔵へ入ります!」
「塔で使う石も、そこからか?」
「はい! 宰相閣下が決めました。山で掘っても、直接は買えないんです!」
「その蔵の、出す口を閉じた人だよ。山でも、俺には売らせないだろうね」
「でも、行きます! 石ならネリカが見ます。月岡さまが石を持って帰れば、擦れます!」
ネリカが鼻をこする。俺は、鞄の紐を握り直した。
鍋の取っ手が、かちゃん、と鳴る。茶色に染めた髪の宝来が、段を上がってきた。
「留守は俺が持つ。鍋は城で煮て、運びゃいいじゃん」
「写しの束と、大紙百枚も頼む。屋根裏に泊まってくれるのか?」
「最後の奴が留守番すんのは筋だろ。一番後ろで待つって、もう言ったじゃん」
宝来が屋根裏の窓へ顎を上げる。ヨルカは順番の紙を、写しの束の上へ戻した。
段の下で、粉川が粉で白い爪を払う。
「南の町の水車小屋の荷馬車、今日戻る。粉を下ろした後なら、荷台に三人乗れるってよ」
「南の山まで、どれくらいかかる?」
「二日。今日の二番窯が焼けるころに出る。乗るなら、今から頼んでくる」
俺は紙束と鉛筆を鞄へ収めた。ヨルカが書庫の鍵を外し、宝来の手へ載せる。
「本の束は開かず、そのまま置いてください。わたしは、字を読むために行きます」
「分かってるよ。月岡、鍋のほうまで心配すんなよ!」
◇
五十一日目の昼過ぎ、南の山の町で荷馬車を下りた。
乾いた土の匂いがする。山の斜面には黒い穴がいくつも口を開け、どこからも槌の音は聞こえなかった。荷台の粉の袋から離れても、ヨルカの頭は白い。ネリカの鼻だけは、いつもの黒だ。
「南の山の町へようこそ、とあります」
ヨルカが入口の札へ顔を寄せると、札に粉が落ちた。字の間に、白い粉が残る。
「ヨルカさん、その札まで白くなりました!」
ネリカが鼻をこすり、そのまま札へ袖を近づける。
「ネリカさん、袖で払わないでください。札が黒くなります」
「それなら、月岡さまにお願いします! 白でも黒でもありません!」
俺は札から粉を払う。ざらりとした木の感触が指に残る。坑の詰め所の前には、道具を抱えた坑夫たちが座っている。
俺たちを見ると、年寄りの坑夫が立ち上がった。
「石を買いに来たのか? 山はもう空だってよ。掘り尽くしたから下りろ、だとさ」
「みんな、それで戻って来たんですか?」
「道具まで持って下りろって言われた。仕事は、明日からどうすりゃいいんだよ!?」
年寄りの声に、座っていた坑夫たちの顔が上がる。詰め所の脇では、額に巻いた手ぬぐいの娘が、石を指で弾いている。こつ、こつ、と乾いた音が、声の切れ間に残った。
戸口から出た役人が、坑夫たちを見渡す。太い指の下に、帳面がある。
「恐れ入りますが、魔石の値を教えていただけますか?」
「拳ほどの魔石一つで、銀貨五十枚でございますな」
「二枚ならあります。石を見せていただけますか?」
坑夫たちが吹き出した。顔に熱が上る。役人は帳面の表紙を、指で叩く。
「ふふん。おまけには、その値も分かりませんな。帳面によれば、山の仕事は終わりですぞ」
「値は、ただいまお聞きしました。石の数も、そこに載っているんですね?」
「読めぬ者は、せいぜい見るがいい」
役人が見開きを掲げた。左の頁には坑の地図、右の頁には短い行が並ぶ。黄ばんだ紙の端に、王家の印が押してある。
「南の山は掘り尽くした。王都のおまけに売る石など、一つも無い」
俺は鞄から紙束を出し、見えている線を一息で写す。鉛筆の擦れる音が、耳に近い。
地図の折れ、行の間、右の頁の最後の点。鉛筆の先が離れると、役人は帳面を閉じた。ぱたん、と乾いた音がする。
「いつ写した? 私の帳面を、勝手に!」
「見せていただいたので、写しました」
紙をヨルカへ向ける。坑夫たちの笑いが、役人の表紙を叩く音に重なった。皆の目が、俺の紙へ集まる。
「七番坑。今月、拳の石が二つ。……蔵へ、と書いてあります」
年寄りの坑夫が、紙の地図に節くれた指を置いた。指先が、細い線の上で止まる。
詰め所の壁の地図には、一番坑から六番坑までしかない。俺の紙には、その先へ細い線が続く。壁と紙を見比べるうち、笑い声が消えた。
「七番坑なんて、この山のどこにある?」
「右の頁の行と、同じ名です。蔵へ入れた石の数も残っています」
「掘り尽くしたって、今月も掘ってるじゃねえか! 誰が入ってるんだよ!?」
役人の手下が、俺の紙へ手を出しかける。俺は紙の端を握る。
坑夫たちが立ち上がり、俺とヨルカの前に並んだ。土の匂いのする背中が、壁のように揃う。手下の指は、誰にも届く前に引っこんだ。握り込んでいた紙の端を、俺はそっと緩める。
「蔵から出す口は閉じております。入れる口を閉じたとは聞いていません!」
ネリカが紙の右側を指す。
「くっ!」
役人は返事をせず、帳面を抱えて詰め所の奥へ入った。誰も、その背を追おうとはしない。
◇
夕方、人が散ると、石を選っていた娘が俺の所へ来た。山の影が長く伸び、地図の端を暗くする。
「ふんふん、これね……」
石を弾く指が、七番坑へ続く線をたどる。こつ、という音が止んだ。俺は指の先から、娘の顔へ目を上げる。
「七番坑なら、うちの裏だよ。……掘ったのは、異界から来たひいじいちゃん」




