13. 台座が言います
俺の写しは偽物などではないことに自信もあるし、実績もある。しかし、そもそもなぜ陣で日本へ転送できるのか? そんな理屈などさっぱり分からない。陣を転写しただけで本当に残り二十九人を安全に転送しきれるのか? と言えば確証などない。だから、偽物だという難癖がクラスのみんなのメンタルへ及ぼす影響は無視できなかった。
偽物だという触れが出る前に、向こうの石を確かめる。帰れるという希望まで、紙くず扱いはさせない。
十五日目の朝、俺は鉛筆を握り直し、二通目の手紙を書いた。
朝の閲覧室は冷えていて、羊皮紙が指先に張りつく。窓から差す光は薄く、古い紙の匂いが鼻に残る。
「今日の昼、宰相が触れを出す。石はまだあるか、三谷に聞こう」
「向こうに届いた紙も、その触れでは消せませんね」
「消せない。触れで消えるのは、こっちの紙だけだ」
「では、昼までに読む頁を決めておきます」
頬のインクの染みをこすり、ヨルカが灯を持つ。揺れる火が手元へ寄り、俺の指の影が羊皮紙を横切る。
鉛筆の頁を裏から羊皮紙へ写し、息を詰めて、同じ線を匙一杯の陣墨でなぞった。
薄い紙一枚を畳んで陣へ載せ、最後の一本をつなぐ。返事が来るまで、指先の冷たさがやけに気になる。
光の向こうには朝の教室が見え、机の間に人の影はなかった。
戻った紙を開くと、日本の字が端まで並んでいる。見慣れた字なのに、最初の一行を読むまで喉がつかえた。
「『教室には、いま誰も入れません。石が二十九個あって、新聞にも出ました』」
俺は紙の折り目を伸ばし、続きを読んだ。薄い紙が指の下でかすかに鳴る。
その下の行へ、猪瀬が顔を寄せた。
「『親たちが毎晩、学校に集まってる。みんな生きてるって、私が言った。信じてもらえたのは、チョークのおかげ』」
猪瀬の指が紙の手前で止まる。俺は息を長く吐く。毎晩、という言葉が、胸の奥から離れない。
石が残っているなら、二人目も帰せる。同じ重さの取り替えに使う物は、向こうにちゃんと残っていた。
三谷だけは、先生と一緒に夕方に入れてもらっている、と続きにある。
「チョーク……三谷が持っていったやつだな?」
「そうだ。最初の手紙の時に、返ってきた欠片だよ」
手紙の最後には、次の日が母の手術、と書かれていた。置いたのは昨日の夕方だから、今日だ。返事の紙を持つ指が、折り目の上で固くなる。
ヨルカが召喚の棚の記録の写しを開き、供え石の決まりの頁を押さえる。紙のこすれる音が、部屋の静けさを切る。
「昼は、この頁を読みます。向こうに残った石のことも、分かります」
俺は手紙を畳み、写しの束の隣へ置いた。折り目はきっちり合わせたのに、手を離すまで少しかかる。
窓の外では、広場の像の前に兵が立ち始める。朝の冷えが残る手を、俺は静かに握り直す。
◇
昼、宰相が像の前へ来ると、人の輪が広場にできた。足音が重なり、書庫の段の下まで埋まっていく。
指輪だらけの指が板を示し、触れ役の兵が人々へ向く。俺たちを見る顔と、板を見る顔が入り交じる。
「おまけに〈写し〉などない。手で描いた絵である。線の違う絵を、記録と呼ばせぬ」
帰還の夜に窓をのぞいていた人が、書庫の入口を見た。その視線を、俺は正面から受ける。
俺は段の上にいる。見張りの兵二人は、広場の端からこっちを見ている。足の裏には、日を浴びた石の熱が伝わった。
「じゃあ、この前の光は何だったんだ? あの娘、帰っただろ!」
「触れを聞け! これは宰相閣下のお言葉だ!」
触れ役は板を持ち上げ、次の行を指でなぞる。
昼の光が広場の石畳を白くし、像の影が短い。眩しさに目を細めても、俺は板から視線を外さない。
「続いて、わたしを――」
段の上で、ヨルカが板の字を指した。間を空けず、いつもの調子で口を開く。
「そこは〈写し〉と書いてあるのです」
「読み上げている途中に、口を挟むな!」
像の前で笑い声が上がる。口元を押さえる手が、あちこちに見える。
「自分の話になっちまったぞ! 続きを読ませてくれよ!」
「……写しだ。写しの話である!」
兵の声が板の後ろで高くなる。板の縁まで、小さく震えていた。
宰相は兵を見ず、俺とヨルカへ顔を向ける。俺はその目を受け止め、言葉を待つ。
五分刈りの頭を前へ倒し、猪瀬が戻った供え石を抱えて出てきた。
両足は段の上の輪から出ず、石だけが入口の縁へ下がる。昼の光が、石の横を照らす。
「三谷、……軽いな。これ一個で、あいつだったのかよ?」
「一人ぶんです。量って切ってあります」
石を段へ置くと、猪瀬はゆっくり掌を開いた。
横の刻印は、像の台座にある王家の印と同じ形だ。人の目が石から台座へ移り、また戻ってくる。
「だったら、俺の分もまだ向こうにあるんだな?」
「あります。三谷さんの手紙と、こちらの記録が一致しています」
ヨルカは写しの一枚を広場へ向ける。風が端を揺らしても、紙は下がらない。
袖から出た細い指が、記録の行頭にぴたりと止まった。
「召喚の夜の記録。供え石は事前調査で得た目方で一人ぶんずつ量って切り、王家の刻印を打つ。帰還の陣は、用意せず。……書いてあります」
「写しなどない。おまけが手で描いた絵だ。線が一本でも違えば、紙くずであろう」
俺は目にかかる前髪を払う。一本でも、という言葉なら、皆の前で確かめられる。
大紙の予備を、ヨルカが段の内側へ広げた。
「では、閣下の兵が選んだ物を写します。線が一本違えば、紙くずです」
「兵がこちらの者だと、後で言い逃れはさせぬぞ」
「閣下の兵に選んでいただきます。今、広場にある物でどうぞ」
宰相が板を持たない兵へ顎を振る。
「選べ」
兵の指が、少女の像の台座をまっすぐに示した。
彫られた王家の刻印と、短い文字の列が見える。石畳の照り返しの中でも、彫りの影ははっきりしている。
「あの台座だ。文字も印も、すべて写せ」
「毎日見ている台座です。文は、十七歳で召喚、です」
「ヨルカ、紙の端を押さえてくれ。あそこまで歩かなくても、見える」
俺は段の上から台座を見て、目を離さず、一息で写した。
紙の大きさも、字の大きさも変えない。刻印の彫りの欠け、文字の角がすれたところまで、鉛筆の先へ流れてくる。
手が勝手に動く。鉛筆の走る音だけが耳に近い。鉛筆が止まった時、肩で息をしているのに気づく。
最後の線を置くと、猪瀬が紙の端を持ち上げてくれた。
俺は広場の人へ向け、段の下に紙を回す。指を離す一瞬だけ、掌が紙を追いかけそうになる。
「そのまま台座へ重ねてください。俺の手から離して、確かめてほしいんです」
「本当に重ねるぞ? 間違ってても、隠してやれねえぞ!」
「はい。線が違えば、そちらで分かります」
紙の端を受け取った手が、隣の人へ伸びた。
何人もの手が紙を張り、台座の正面に重ねる。人の輪がそこへ詰まり、紙の向こうに影が落ちる。
「おい、下がってやれ! 光が通らねえ!」
「字の角、ここだ。……ぴったりじゃねえか」
昼の光に透けた線が、石の彫りとぴたりと重なった。
右端を持つ人が、左端の人の顔を見る。宰相の兵も紙へ身を寄せ、彫りと線を見比べている。
ヨルカが段の縁から身を乗り出し、台座の紙へ目を向ける。俺も鉛筆を握ったまま、声を待つ。
「一本も、違いません」
「……一本も。欠けた所まで、そのままだ」
触れ役の兵が、板をゆっくり下ろした。
持ち上げようとする指はもう動かず、宰相の指輪を回す指も止まっている。さっきまで響いていた声は、どこからも戻らない。
「……戻れ」
兵が宰相のあとを追い、人の輪が左右へ割れた。道を開ける足音の間で、紙を支える手は動かない。
紙はまだ台座に重なっている。俺の代わりに、群衆の手がその端を押さえる。あの紙を紙くずと呼ぶ声は、もう上がらない。
「トーゴ。今日、わたしは読み比べました。……燃やされた本の中身を、広場で」
「ああ。……届いた」
ヨルカの頬の染みが、昼の光で薄く見える。俺は鉛筆を握る指を緩める。掌の汗に、広場を抜ける風が触れる。
夕方、人が散ると、金色に染めた巻き髪が広場の端から近づいてきた。昼の熱が引き、石畳には長い影が伸びている。
姫崎は兵を連れず、段の下で足をそろえる。俺は段の上で、次の言葉を待つ。
「月岡。明日、もう一回行っていい? ……今度は、嘘つかないから」




