9 妊娠
「おめでとう、妊娠しているわね。四ヶ月ってとこかしら」
「へっ…………?」
アナスタシアは目が点になった。
「えっ? 心当たりない? ご主人は?」
ローランの街の女医に聞かれて、アナスタシアはリュートリムの皇帝カイルに抱かれた時のことを思い返した。
毎日のように抱かれていたが、事後には必ず避妊薬を飲まされた。
飲み忘れたことは絶対にない。アナスタシアも避妊については気にしていたので、しっかりと記憶にある。
「あの……必ず事後避妊薬を飲んでいたのですけど……」
「避妊薬? んー……その白い肌。あなたフラベリオス人よね」
「え、ええ……」
「フラベリオス人って体が丈夫でしょ? リュートリム製の避妊薬がフラベリオス人に効果がないとは言わないけど、通常の倍量くらい飲まないと完璧な避妊はできないかもしれないわねぇ」
もしかして──
「先生すみません。私、毒に対する耐性もあって……」
「あー……、じゃあ、例え倍量の避妊薬を飲んだとしても、妊娠する確率は避妊をしていない場合と変わらないわ! きっとあなたはどんな薬も効かない」
病気をしたことのないアナスタシアは薬も飲んだことがないので、自身が薬の効かない身体だなんて知らなかった。
「もしかして望まない妊娠だった?」
アナスタシアはコクリと頷いた。
「うん、無理ね。リュートリムの医療では十二週未満の初期の段階でしか堕胎できないの。あなたはすでに十五週ってとこね。もっと医療の発達した国では二十二週未満までは堕胎できるみたいだけど、この国の法律的にも──」
「いえ! いいです!!」
アナスタシアはベラベラと話し出した女医の話を中断してお礼を言い、代金を支払い診療所を出た。
――妊娠……?
――赤ちゃんがいる……?
アナスタシアは自身のお腹をそっと撫でる。
言われてみれば確かに、普段よりもぽっこりとしているかもしれない。
カイルに抱かれてから月のモノは一度も来ていなかった。
ふと、月のモノが来ていないなと思うこともあったが、環境が変わり思った以上に大変な生活に普段より遅れることだってあるだろう。月のモノなんて面倒なだけだから来ないでくれてちょうど良かった、なんて簡単に考えていた。
堕胎できる数週までに気付くことができなかったことを反省すべきところなのかもしれないが、もとよりアナスタシアに堕胎という選択肢はない。
少しぽっこりとしたお腹を撫でると温かいものが込み上げる。
そして決意した。
――たったの二人家族だけど、幸せになろう。
アナスタシアは幸せな家族に憧れがあった。
アナスタシアには母親はいなかったが、父親はいた。腹違いではあるがたくさんの兄姉もいた。
だが決して幸せな家族生活ではなかった。
父親がいれば良いというものではない。たくさんの兄弟がいれば良いというものでもない。
――幸せな家族は私が作る。
アナスタシアはローランの街で新たに仕事を探し、集合住宅の一室を借りた。
リュートリムの南にあるサイオス王国を目指すことについては、妊娠中に馬車で移動するのは良くないと判断し、この街で一旦腰を据えることにした。
次の仕事は代筆屋の仕事だった。
やはり綺麗で正確な字を書くアナスタシアは重宝された。
ただ、ここでの仕事は平民相手の手紙の代筆が主で、貴族相手に書物を卸す写本師ほど給料は良くなかったため、代筆の仕事をしつつ料理や洗濯といった家事に挑戦し始めた。
それから三ヶ月、妊娠七ヶ月のことだった。
「あんた、妊娠してんのかい?」
すっかりと大きくなったアナスタシアのお腹を見て、代筆屋の店主の妻に尋ねられた。
「ええ、今七ヶ月なんです」
ゆったりとしたワンピースにエプロンをしており、アナスタシアにとってはふっくらとして見えたお腹は他人から見ればそれほど目立たなかったようで、店主の妻は妊娠七ヶ月目にして初めてそれを知ったようだ。
「ステーシー、あんた結婚してなかったよね?」
「はい……」
「うーん。仕事ぶりは問題ないから出産前まではうちで働いてもらって良いけど、子どもが産まれたら辞めてくれないかい?」
「えっ……、……分かりました」
アナスタシアはそこでようやく気がついた。
アナスタシアが思っている以上に未婚の母に対して世間の風当たりは強かった。
フラベリオス人は丈夫な身体と言われるだけあって、つわりというつわりも馬車移動の時に嘔吐した一回きりで、胃がムカムカした時はナッツを口にすれば治まった。
もちろん後期づわりというものもなく、妊娠十ヶ月に入るまでしっかり仕事をこなしながら健康な妊婦生活を送っていた。
「辞めるように言っておいてなんだけどさ、まだステーシーが辞めた後の働き手が決まってないんだ。ステーシーさえ良ければ出産ギリギリまで、働いてくれないかい?」
「えっ、良いんですか?」
「ああ、あんたの字は評判良いからね」
ありがたい申し出だった。
家事を自分でするようになってからも、大した貯金は出来ずにいたから、ギリギリまで働いてお金を稼ぎたかった。
そして妊娠十ヶ月目のある日のことだった。
「ステーシー、また田舎のばーさんに手紙を書いてやってもらいたいんだけど」
田舎に住む祖母のために定期的に自分の近況や、帝国の情勢についてアナスタシアが代筆した手紙を出している常連客だ。
「──息子のロイは夢を掴みたいって帝都に旅立ったよ。そうそう、帝都といえば、皇帝も正妃を迎えるからと五人いた妾妃、全員と離縁をしたそうだ。正妃にとやってきたのは敵国だったフラベリオス王国の第五王女らしい。ロイもそろそろ夢ばかりを見ていないで、帝都で良い嫁さんでも見つけてくれたらと──ん? ステーシー?」
客の言葉を聞きながら、速筆していたアナスタシアの手が止まる。
「ステーシー? どうした?」
「あっ……! ごめんなさい。続きをどうぞ」
客は続きの文章を喋り始め、アナスタシアは平静を装って筆を走らせた。
「はい、どうぞ。住所も書いてあります」
出来上がった手紙を渡すと客は「ありがとう」と代金をおいて出ていく。
アナスタシアはフラベリオスの第六王女だった。フラベリオス第五王女というと……
――カイルがカロリーナお姉様と結婚。
カイルとカロリーナが二人仲良さげに並ぶ様を想像してしまい、胸がつきりと痛んだ。
いやいや、カイルなど自分の人生には関係ない。そう首を振るがまだなんだかズキズキと痛い。
少しすると痛みは治まり、店番を続けた。
だが、やはりまたズキズキと痛み出し──
違う、痛いのは胸じゃない。お腹が痛い。
これは陣痛だ。
アナスタシアは痛みと痛みの合間を縫って、店の奥にいる店主の妻に陣痛が来たことを伝え、街の診療所へ急いだ。
◇
赤ちゃんの可愛らしい産声が聞こえる。
「おめでとう! 男の子だったわよ」
「ありがとう……ございます……」
疲労で顔はボロボロで、全身ガクガクだ。
アナスタシアは今まで色んな痛みを経験してきたが、今までの人生で一番痛かった。
大概の痛みは我慢できるが、断続的でいつ終わりが来るのかわからない初めての痛みにわけがわからなくなりぼろぼろ泣きながら出産した。
痛い思いをして産んだ子は、顔は真っ赤で、浮腫んで、目も全く開いていなかったが、それでもアナスタシアには可愛く見えた。
可愛い我が子が小さな指で力なくアナスタシアの人差し指を握る姿を見て、この子は私が守る。そう思い、生まれて来たばかりの我が子をギュッと抱きしめる。
そして、産まれた子どもに光のある未来を、と願いを込めて『リュカ』と名前をつけた。
それからは怒涛のような毎日だった。
金色の混ざった赤毛のふわふわとした髪の毛に、グレーの混ざったようなヘーゼルの瞳のリュカは、アナスタシアにとって無条件に可愛かったが、とにかく赤ちゃんのお世話は大変で、新しい仕事なんてとても探せそうになかった。
よく泣くリュカは夜中も頻繁に泣き、アナスタシアは常に睡眠不足で、リュカが生後三ヶ月を過ぎた頃、とうとう隣の部屋から苦情が出て、集合住宅を追い出された。
新たな部屋を探すが、小さな赤ちゃんを連れている様子を見ると、すぐに断られてしまう。
リュカを連れていては野宿をするわけにはいかないので、結局カイルにもらった装飾品の宝石をいくつか換金し、三ヶ月分家賃の先払いをし、ようやく小さな一軒家を借りることができた。
それなりに大きな街で一軒家を借りると賃料が高い。アナスタシアはリュカをおんぶ紐でおんぶして、仕事探しをするが、やはり未婚の母に対する世間の風当たりは強く、すぐに断られてしまう。
自分が食べていくのにもお金がかかる。以前宝石を換金したお金はすぐに底をつき、仕方なくまた宝石を一つ換金した。
新しい家に越してから三ヶ月ひたすら仕事を探したが「すぐ泣く赤ちゃんを連れているとちょっとね……」と言われ、断られてしまう。アナスタシアを雇ってくれるところはどこにもなかった。
ベッドで同じ方向ばかりにコロコロと寝返りをする我が子を見て思う。
こんな天使のように可愛いのに、皆、リュカのことを厄介者のような目で見るのはやめてほしい。
今度は自分の小さな拳を今初めて見つけたかのような、不思議な顔で眺めている。
「あらあら、リュカ。そんな小さなお手手でもあなたの小さなお口に全部は入らないわ。ふふふっ」
一生懸命に拳を舐める姿を見て、可愛いと思う反面、仕事が見つからず、どんどんと手持ちのお金が減っていく焦りを感じる。
私がこの子を守らなければならないのに。そう思うとさらに焦りが募っていく。
アナスタシアの瞳が滲みリュカがぼやけて見えてしまう。
――もう無理だ……。もっと田舎で、家賃の安いところ。母子家庭にも寛容なのびのびとできる小さな町に引っ越そう。




