8 逆戻り
もともと平民として生きていく覚悟はしていたし、フラベリオス王国自体にも未練はないので、良いのだが……。
――一体ここはどこなの……?
国境に向かう馬車の中でコーディーにも尋ねたが「それはお答えできません」と言われてしまった。
森の中でぽつんと一人馬車を降ろされて、とにかく進めと言われた方向へ進む。
割と小さな森だったようで、半日も歩けば、抜けることができ、向こう側には小さな町が見えた。
町にさえ辿り着けば、カイルからもらった装飾品の宝石がまだたくさんあるからそれを換金してしばらく生活することができる。
そのうちにアナスタシアでもできる仕事を見つけて、平和に暮らせたら。
そう思って、町の人に声をかけた。
「すみません、旅をしていて道に迷ってしまいました。ここはフラベリオス王国ですか? 町の名前を教えてもらえると……」
フラベリオスでないことは分かりきっていたが、不自然にならないようにそう尋ねてみた。
「えらい綺麗な人だねー! 女の一人旅は危ないよ! ここはフラベリオスの隣にあるリュートリム帝国のラークの町だよ。すぐ北にある領土はこないだ戦場になったらしいから、北には向かわない方が良いよ」
「えっ……リュートリム帝国……」
「ん? どうかしたかい?」
「あっ、いえ、ありがとうございます」
なんと……わざわざ逃げ出したリュートリムに逆戻りしてしまった。
国外追放といえども、属国のどこかに連れていかれると思っており、敵国に放り出されるとは思っていなかった。
リュートリムはまずい。あの鬼畜皇帝がいる。
どこか隣の国へ……。
アナスタシアは王女としての教育をしっかりと受けているため、頭の中に近隣の国の地図は叩き込んである。
必死になって考えるが、ここから一番近い国は、足を踏み入れてはならないフラベリオスで、南にあるサイオス王国が次に近いのだが、リュートリム帝国の領土はかなり広く、サイオスを目指したとしてもいつ辿り着くことができるか……。
そして、サイオスとリュートリムとの国境付近は治安が悪く盗賊が頻繁に出ると聞く。いくら鍛えていると言えども町の人が言うように女の一人旅は危険すぎる。
そして、アナスタシアは方針を決めた。
サイオス王国を目指そう。
サイオスはリュートリムの南西にある領土を巡って長年争い続けており、現在は小康状態が続いているらしいが、その地は現在いる場所からサイオスを目指すのであれば、通らなくても済む。
持っている宝石は出来るだけ使わずに、仕事をしながら時間をかけて南へ進み、治安の悪い地域へ行く前に、その宝石で護衛を雇おう。
そう決めたアナスタシアは、このラークの町でアナスタシアのできる仕事はなさそうだと見切りをつけて、もう少し大きな町を目指して南へ進んだ。
長い赤髪は目立つため、肩口で短く切った。
本来であればアナスタシアの長く綺麗な髪は売ればお金になるので、売ってしまいたかったのだが、目立つ長い赤髪なので、足がつくことを警戒して、切った髪は燃やして捨てた。
乗合馬車で町から町へと移動して、途中宿にも泊まり、クオーノという少し大きな街に着いた。
その街で良い仕事がないものかと、街をうろうろしているとアナスタシアにもできそうな仕事の募集があった。
書物を扱う商会での写本師の仕事だった。
フラベリオスでも同じだが、平民の識字率はあまり良くないため、こういう仕事は給料が良い。
読むことはできるが、書くことができない。一応書けるが正しく書くことができない。そういう者がほとんどだ。
名を『ステーシー』と変え、没落貴族の娘でお金がないので働き口を探していると言い、王宮の家庭教師仕込みの一際綺麗な字を書いて見せると即採用された。
近くの集合住宅の一室を借りて、そこでしばらく働いてお金を貯めることにした。
だが、平民の生活は思った以上にお金が貯まらない。
給料が良いので、いくらか貯金ができるかと思っていたが、料理も洗濯もできないアナスタシアは、食事は外食か買ってきたもので済ませ、洗濯は洗濯店に頼むため、贅沢な暮らしをしているわけではないが、平民女性の一人暮らしよりお金がかかる。
そこで三ヶ月が過ぎた頃。
「人の夫に手出してんじゃないよ!!」
アナスタシアは腕を掴まれ商会の建屋から追い出されて、派手に倒れ込んだ。
アナスタシアをいやらしい目で見ていた商会の主人に抱きつかれ、それを拒絶する直前に忘れ物を取りに戻った夫人に目撃された。
――誰がこんなオヤジに手を出すものか!
アナスタシアは心の中で悪態をつく。
言い返してやりたかったが、この街最大手の商会の夫人の反感を買ってしまったアナスタシアはこの街ではもう仕事はできない。
あの主人の慣れた様子だと、どうせ他の若い働き手にも手を出している。そのうち勝手にあの夫婦は破滅するだろう。
無駄に労力を使う必要もないかと、すぐに立ち上がりその場を去った。
アナスタシアは良い機会だと次の町へと移動することにした。
次はさらに南にあるローランの街へ向かうことにした。
借りていた部屋を引き払い荷物をまとめて、南へ向かう乗合馬車に乗り込んだ。
「ちょっとごめんなさい!! ここで降ろして!!」
アナスタシアは停留所でもなんでもない場所で無理矢理降ろしてもらった。
急いで道から逸れて、下を向く。
「お゛ぇ………………」
毒も摂取していないのに嘔吐なんて初めてした。
生まれてこのかたずっと健康体だったアナスタシアは病気とは無縁だった。
これも丈夫な身体を持つフラベリオス王族の血だろう。
吐いたら、なんだか口寂しくなり、旅のお供にと買っておいたナッツを口に含んだ。
クオーノの街で写本師として仕事をしている時、たまに胃がムカムカするようなことがあった。
お腹が空くと気持ち悪く感じるので、仕事をしながらこっそりナッツを摘むことは多々あった。
初めての平民としての生活で気分が高揚しているのかもしれないと思っていたが、嘔吐をするほどとなるとちょっと違う気がした。
――ローランの街へ着いたら医者に行こう。




