10 野盗
リュカも生後半年となり、笑うことが増え、泣くことは減ってきた。
そろそろ馬車の移動も平気だろう。
──そう思って馬車に乗ってしまったのが間違いだった。
「ふぇっ……ふぇっ……びぇーーん! んぎゃーー!」
南へ向かう乗合馬車の中で盛大に泣き始めてしまった。
しかもふにゃふにゃと可愛らしく泣いていた新生児の頃と違って、大きな声で力強く泣くため閉鎖された乗合馬車の中では非常にうるさく感じる。
「すみません! 降ります!」
このまま乗り続けるのは無理だと判断して、アナスタシアは停留所でもないような場所で無理矢理降ろしてもらった。
「よしよし、リュカ! 大丈夫よ」
アナスタシアがリュカを抱っこしながらゆさゆさと揺するとリュカはすぐに泣き止んだ。
「馬車、嫌いだった?」
「あぶぅー」
リュカはもうニコニコと笑っている。
知らない人と同じ空間で嫌だったのかもしれない。
仕方なくリュカを抱きながら、トボトボと歩いて次の町へ向う。
町の中でもない道を女一人と赤子だけで歩くのは良くなかった。
目の前に身なりの悪い男二人組が現れた。
「ねーちゃん。命が惜しければ有り金全部よこしな!」
「……っ!?」
下卑た笑いをして、ナイフをちらつかせている。
アナスタシアは王女時代に自衛の訓練もしていたし、護身術も習得している。
自分一人なら野盗二人から逃れることぐらいなんでもない。
だが、今はリュカを抱いている。
そんな状態で野盗二人を相手するのには無理がある。
アナスタシアはポケットから財布を取り出し、野盗に向かって投げたが、野盗の満足いくほどのお金は入っていなかったようで、野盗は「鞄も見せてみろ」とアナスタシアの鞄を取り上げた。
「なんだよ、いいもん持ってんじゃねーか!」
中から宝石の入った袋が見つかり、カイルからもらった装飾品の宝石は野盗に全て奪われた。
宝石は次の町で新たな生活を始めるための支度金に当てるつもりだった。
それにまだサイオスへ行くことも諦めていない。リュカはこの国の皇帝の血を引いている。リュカの存在をカイルに知られると、リュカを帝国に奪われてしまうかもしれない。
なんとかしてこの国から出たかった。
だが、宝石まで奪われては、もう無理かもしれない。
そう思ったとき、野盗の一人がアナスタシアを見て言った。
「子持ちだからと思っていたけど、この女なかなか良い女じゃないか?」
「!?」
アナスタシアがリュカを強く抱きしめるようにして身を隠すと、後ろから腕を取られて、もう一人がリュカを奪う。
「肌も白くて良い身体しているぞ」
盗賊二人がいやらしく笑い「お前はここで待ってな」とリュカを道の脇に放った。
「リュカっ!!」
リュカがぎゃーんと泣き叫ぶが、さすがに強く放ったわけではなかったようで、草むらがクッションになり打ち付けるような鈍い音や、身体が折れるような嫌な音はしなかった。
「抵抗すれば、子どもの命はないぞ」
気持ち悪く薄笑いをする盗賊の一人が、アナスタシアの両手を拘束し、もう一人がナイフでアナスタシアの着ていた服をザクザクと切り始めた。
二人は「俺からだ」「後で替われよ」などと言い合いをしながら、アナスタシアの身体を暴いていく。
アナスタシアは盗賊の顔を見るのが不快で顔を背けて、唇を噛み締めた。
どうせ生娘なんかではない。
カイルにも同じことをされた。だから、何も反応せずやり過ごそう。
アナスタシアは目をギュッと瞑って、カイルを思い浮かべる。
でも、無理だった。
いやだ。気持ち悪い。いやだ。
「カイルっ……!」
つい思い浮かべたカイルの名を呼んでしまう。
そのときだった。
「そこを退け」
アナスタシアにのしかかった野盗の顔に長剣の刃が当たっている。
茶薄の髪にグレーの瞳の三十代くらいの身なりの良い男が、虫けらでも見るような目つきで野盗を見下ろしていた。
「うわぁぁっ!」
アナスタシアの上にのしかかっていた野盗は後ろに仰け反り、両手を拘束していた野盗はその鋭い剣先を見てアナスタシアの手を離し、後退りする。
アナスタシアは盗賊が上から退いた瞬間に、その盗賊の顎を蹴り上げた。
盗賊がよろめくと、すぐに身なりの良い男がその盗賊を後ろ手に拘束する。
もう一人の盗賊はその隙に逃げ出した。
「あっ、私の!」
逃げ出した盗賊はアナスタシアの財布と宝石の入った袋をしっかりと握りしめて、逃げていった。
今のアナスタシアには盗賊を追いかける余裕はない。
「リュカ!」
ぎゃんぎゃん泣き叫ぶリュカに駆け寄り抱き上げる。
アナスタシアはリュカに怪我がないかリュカの顔を、身体をベタベタと触る。
リュカは泣き続けているが、怪我などは無かった。
「リュカ……無事で、良かった……」
ホッと息を吐き、リュカをギュッと抱きしめるとポロポロと涙が溢れでた。
後ろから服を掛けられた。
「野盗を一人取り逃してしまってすみません。ご婦人? あなたは大丈夫ですか?」
アナスタシアを助けてくれた身なりの良い男性がフロックコートを掛けてくれた。
先ほどの冷たい視線とは打って変わって、優しくこちらを気遣うような表情で話しかける。
先ほど拘束した盗賊は縄で縛り上げ、従者が荷馬車に乗せていた。
「助けてくださり、ありがとうございます」
「イーサン。お嬢さんを家まで送り届けてあげましょう」
荷馬車ではなくもう一台の馬車から、初老の女性が降りてきた。
「母上!」
イーサンと呼ばれた男はすぐに初老の女性の手を取って、馬車から降りる介添をした。
「お嬢さん、そんな格好のままでは危ないわ。馬車にお乗りなさい」
アナスタシアはイーサンに掛けてもらったフロックコートの前をしっかり重ね合わせて、馬車に乗せてもらう。
リュカは泣き疲れて寝てしまっていた。
「お嬢さん、お家はどこなの?」
初老の女性が尋ねた。
「すみません。家はなくて……近くの町までお願いします」
「ご婦人、野盗に物を盗られていたでしょう? お金はあるんですか?」
「いえ……。金目のものは全て盗られてしまって。大丈夫です。町で働いてなんとかしますから」
「失礼ですけど、ご主人は?」
「いません……」
イーサンと初老の女性が困ったように顔を見合わせた。
「あーあー……あぶぅー……!」
「あっ、すみません!」
気の抜けたような可愛い声が聞こえてきた。
リュカは目を覚まして、アナスタシアの着るフロックコートの釦に手を伸ばし、不思議そうに眺めていた。
「まぁ、可愛い!」
初老の女性がリュカの顔を覗き込んだ。
リュカはきゃっきゃっと笑顔で応えてくれた。
「孫によく似ているわ!」
イーサンに子どもがいるのだとアナスタシアは察した。
そして女性は何かを考えて、アナスタシアに質問を始めた。
「あなた、髪は短いけども貴族の女性よね?」
アナスタシアは没落貴族の娘であると説明し、そこからは面接かと思われるような質問ばかりをされ、アナスタシアは首を傾げた。
「ステーシー……あなた、うちで働きなさい」
「えっ!?」
話を聞くと、イーサンはここより少し南にあるファラース子爵領の領主、イーサン・ファラース子爵で、初老の女性はイーサンの母親、前ファラース子爵夫人だった。




