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11 ファラース子爵家

 詳しいことはファラース子爵家に着いてからと言われ、案内されるままに子爵家の一部屋に通されれば、野盗に傷つけられた身体をメイドが手当てしてくれて、質の良いシンプルなドレスに着替えさせられた。


 そして、前ファラース子爵夫人が、仕事の内容を説明してくれた。


「ステーシー、あなたには私の侍女をしてもらいます」


 侍女の仕事はわかっている。王女時代はアナスタシアにも侍女はついていた。貴族令嬢の仕事で、アナスタシアのドレスや装飾品選びから、衣類の管理、お茶会の準備など、仕事は多岐に渡る。

 やることはわかるが、アナスタシアにできるかと言われると無理だ。


 だが、夫人の話では夫人の身の回りの世話をしてくれる侍女はすでにいるから必要ないと。それより、夫人は本を読むのが好きで最近は外国の書物を読みたいのだが、翻訳されているものが少なくて困っているという。


 アナスタシアはしっかりと王女教育を受けていたため字が綺麗なだけでなく語学も堪能だ。

 だから、アナスタシアには外国の書物の翻訳をお願いしたいということだった。

 それならアナスタシアにもできる。


 住む場所は子爵家本邸の隣に使用人の館があり、そこが使用人の寮になっているからと入居を勧められた。

 隣が空き部屋になっている部屋があるということで、甘えることにした。


 子どもが一歳になるまでは、寮の自室で翻訳作業を行い、仕上がったものを持ってくれば良いと言われ、アナスタシアは育児をしつつ、仕事もすることができるようになった。

 子どもが一歳になると、子爵家の屋敷のある丘を下ったすぐ先にある町のナーサリー(託児所)が利用可能になるので、そこに子どもを預けて働くようにと指示された。



「ステーシー、母が強引に君を雇うことに決めてしまったけど、大丈夫だったかい?」


 イーサンは申し訳なさそうにしながら首を傾げて微笑んだ。

 温和で優しげな顔つきは夫人にもよく似ている。


「大奥様には感謝しています。こんな好条件で雇っていただけて、住居の面倒まで……本当にありがとうございます」

「なら良かった。母の趣味のためのような仕事だから、融通も利くからね。困ったことがあったら相談するんだよ」


イーサンが優しいのは顔つきだけではなく性格も優しいようだ。




 それからは順調な毎日だった。

 しばらくは夫人の用意した外国書物を持ち帰り翻訳して返却していたが、次第に夫人の好みがわかるようになり、アナスタシアが町の書店や書物を扱う商会に出向き、書物を用意するようになった。


「ステーシーが用意してくれた本、お茶会で紹介したらみんなが読みたいと言ってくれたわ」


 夫人はアナスタシアの仕事ぶりをよく褒めてくれる。そして翻訳前の外国語での文章を聞きながら、翻訳された文章を読んでみたいと、外国語での読み聞かせをすることもある。

 発音が良い、声が良い、と褒められて、夫人が主催のお茶会でアナスタシアの外国語で書物の読み聞かせを行うこともあった。

 あまり目立つようなことはしたくなかったのだが、仕事の一つでもあるし、お世話になっている身で断ることなどできない。

 知識の豊富な侍女を雇っていることは夫人のステータスにもつながるため、読み聞かせの際に関連する豆知識や補足説明などを入れながら話をすれば大いにウケた。


 こうして、アナスタシアは言われた仕事だけでなく、自ら進んでプラスアルファの仕事をすることで夫人には大変気に入られて、ファラース子爵家では順調な毎日を送ることができた。

 また、幼いリュカはアナスタシアと違ってときどき熱を出すのだが、その際は看病の合間に自室で翻訳作業を進めれば良いと、融通を利かせてもらえて大変働きやすかった。



     ◇



 こうして二年の月日が経った。



 サイオス王国へ行くための資金は僅かにしか貯まっていない。

 一つの気掛かりを除けば、程よく田舎のここでの生活は幸せなもので、サイオスへ行かなくても良いかなと思い始めていた。


 一つの気掛かりというのはリュカのことだ。


 二歳半になったリュカは、産まれたばかりの頃は赤毛でヘーゼルの瞳をしていると思っていたが、大きくなるにつれ、赤が抜けて金髪に近づいている。ヘーゼルだった瞳も徐々に青が掛かってきて、今ではほぼグレーの瞳に薄ら青が入っている状態だ。


 とにかくカイルによく似てきている。


 お金が貯まったら、父親が誰なのか、誰かに気付かれる前にサイオスへ行ってカイルから逃げるべきなのだろう。


 だが、ファラース子爵家での生活は快適すぎた。

 その気掛かり一つを除けば、アナスタシアの求める幸せはここにあるともいえる。

 帝都からも遠く、子爵程度の身分であれば皇帝と関わることも少ないだろう。


 母子の二人だけの家族だが、夫人はリュカをよく気にかけてくれるし、子爵家の使用人たちは良い人ばかりだ。


 ここでリュカと二人幸せになっても良いのではないか。そう考え始めていた。



 夫人はリュカに会うたびに「孫に似ている」というが、イーサンは結婚していなくて、子どもはいなかった。

 夫人には亡くなった娘がおり、その娘が産んだ子どもがリュカに似ているということらしい。

 その子どもは今は父方の家で暮らしており、なかなか会うことができないので、リュカの成長が楽しみだと言っていた。

 その子が子爵家に遊びに来たときには、リュカとも会わせて仲良く遊んでくれると嬉しいと言われ、アナスタシアは「その時は必ずリュカを連れてきます」と返事をした。



「ママー! きょうのあちゃごはんはー?」

「昨日、ミレーさんからもらったチキン煮込みの残りをスープにするから、それとパンで良い?」

「ミレーちゃんのごはん、おいちかったー!」

「そうね、ミレーさんのごはんは美味しいね」

「ママのごはんはまじゅーい!」

「こら、そういうことは思っていても言わないの!」


 子どもはとっても正直だ。

 平民としての生活に慣れてきたアナスタシアだが、いつまでも経っても料理は上手くならなかった。

 アナスタシアの部屋の二つ隣に住んでいるメイドのミレーは料理が上手で、リュカのためにとよく手料理を差し入れしてくれる。

 料理が苦手なアナスタシアにはありがたいことだった。


「ほら、食べたらナーサリーに行くよー」

「きょうはローラちゃんくりゅかなー? きてりゅといいなー?」

「ん? ローラちゃん?」


 ローラとはリュカと同じ三歳の女の子で、町のパン屋の娘である。

 先日、リュカがローラに意地悪をして泣かせたとナーサリーの職員から聞いていて、ローラとその両親へ謝罪をし、リュカを叱った覚えがある。

 てっきり嫌いだから意地悪をしたのかと思ったが。


「ぼく、ローラちゃんはかわいくてだいしゅきなの」


 ――あー、構ってほしくて好きな子に意地悪しちゃうってよくある話ね。


 そのあたりはナーサリーの職員の方が子ども心をよくわかっているから、任せた方が上手く対応してくれるだろう。


「そっかー。好きならローラちゃんの嫌がることはしちゃダメよ。ママもリュカのこと大好きだから嫌がることはしないでしょ?」

「でも、ママはリュカいやなのに、おやちゃいのこしちゃダメってゆうでちょ?」

「うーん、お野菜は体に良いから食べないとねー」


 やはり子育ては難しい。上手いこと言い返されて、この件の対応はナーサリーの職員に任せようと心に決めた。




「ステーシー、良かったら今夜一緒に食事にいかないかい? もちろんリュカも一緒に」


 食事に誘ってきたのは現在、三十五歳独身のファラース子爵、イーサン・ファラースだ。

 イーサンはアナスタシアに気があるようで、こうしてたまにアナスタシアを食事に誘う。

 イーサンに気のないアナスタシアは、変に気を持たせるのはよくないと基本的には断るのだが、イーサンにしっかり懐いているリュカは行きたがる。

 アナスタシアが困っていると、イーサンは優しく微笑んだ。


「夕方までに決めておいて」

「はい。またお返事します」



     ◇



「今日はね、前に話していた孫が来るのよ。来たら紹介するから、良かったら外国の書物の読み聞かせをしてあげて」

「はい。大奥様、かしこまりました」


 アナスタシアは小さな子に外国の書物の読み聞かせをして楽しいものかと考える。

 すぐに子爵家の書庫へ向かって、外国の書物でも簡単な絵本はないかと探した。


「良かった。ちょうど良さそうなものが三冊見つかったから急いで翻訳しなくちゃ!」


 アナスタシアは王子が悪者を倒してお姫様を救う絵本と魔法使いが冒険をする絵本、意地悪な狼の出てくる絵本を選んだ。

 アナスタシアがちょうど翻訳作業を終えた頃、夫人の侍女がアナスタシアを呼びに来た。


 用意した本を持って、夫人の部屋へ向かった。

 そして、部屋をノックして夫人の「どうぞ」という声聞いて、ゆっくりと扉を開いた。


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