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18 追っ手

「ママー、おちっこ……」

「うん。ちゃんとトイレ行きたいって言えてえらいわね! ごめんコーディー、また止めてもらっていい?」

「ええ、仕方がありません」



 昨夜は一晩中走り続けたが、今日はリュカのために何度も休憩を入れてもらった。そのため夕方になっても大して先へ進めていない。

 サイオスに入るには、まだかなり時間がかかりそうで、コーディーは言葉には出さないが、足先を床にトントンとしており、イライラしているのがなんとなくわかる。


 リュカと馬車を降りトイレを済ませて、馬車に戻ろうとしたが、辺りを見に行っていたのかコーディーが後ろからやってきた。


「アナスタシア様、追っ手が近くまで来ています。馬車は目立つので捨てて、追っ手が去るまで身を隠しましょう。向こうにおあつらえ向きな洞窟がありました。行きましょう」



 コーディーの指示に従い、馬車は崖から落として、洞窟に身を隠す。

 御者の男はジークという名で初めて見る男だったが、コーディーと同じ騎士のようで、帯剣して一緒に身を潜めている。

 遠くの方で男たちのワーワーと騒がしい声が聞こえる。


 徐々に近づく男たちの声。


「リュカ。今ね、かくれんぼをしているから、オニに見つからないように絶対に声を出しちゃダメよ」

「うん。リュカ、こえだしゃないよー」


 リュカは口に手を当てる。

 アナスタシアは頭を撫でて、いい子いい子をした。


「追っ手は五人ってとこでしょうか」


 コーディーは声の数を数えて、剣を構えた。


「陛下ー! こっちにはいません!」

「しっかり探せ! まだ近くにいるはずだ!」


「っ!」


 大きな岩の向こう側から聞こえた声にドキリとした。

 なぜカイルが探しに来る。帝都に帰ったのではないのか。粛清のためといえども帝国の騎士に任せれば良いことのはずだ。


「陛下ー! 向こうでアナスタシア姫に付けていた見張りのひとりが倒れていました!!」


 ――見張り!? そんなもの付けられていたの……?


「ちっ……おそらく私の弱点を手に入れたいサイオスの仕業だ!」


 ――えっ!? サイオス……?


 手を繋いでいたリュカを慌てて抱きしめようとしたら、一足早くジークにリュカを奪われた。

 ジークはリュカの口をしっかりと押さえて、リュカの細い首元に剣を突きつけている。


「……っ!!!」


 コーディーを見ると無表情で小さな薬瓶をアナスタシアに渡した。


「これをあの皇帝に飲ませてください」

「これは……?」

「ただの痺れ薬ですよ。皇帝に死なれたら私も困るんで」

「……どうやって……」

「あなたにしかできない方法があるでしょう? 子どもがどうなっても良いんですか?」


 口を押さえられて、剣を突きつけられているリュカはボロボロと涙を流しているが、声を出せずに「うーうー」と小さく呻いていた。

 リュカの様子を見ると胸が痛くなる。


「……わかったわ」


 アナスタシアは薬瓶の蓋を開ける。



「カイル!!」


 アナスタシアは岩の影からカイルの名前を呼び、薬瓶の中の液体を口に含む。

 そして、岩の影から姿を現し、カイルに向かって走る。


「アナスタシア!!」


 飛びつくように抱きついて、カイルの唇に自分の唇を重ねた。

 カイルは驚いたように目を見開いたが、すぐにアナスタシアの口づけを受け入れる。

 アナスタシアが口を開けば、カイルも口を開ける。

 そして、アナスタシアは口に含んでいた薬をカイルの口の中に流し込む。

 全て流し込んだら、アナスタシアは唇を離した。


「!?」


 カイルはすぐにアナスタシアから離れて、口に含んだ薬を吐いた。


「くはっ! アナスタシア……なにを……?」


 カイルの身体がガクガクと震え始める。


「貴様!!」


 カイルと共にいた騎士が、アナスタシアに剣を向ける。


「やめろっ……」


 カイルが声を上げるが、それよりもすぐにコーディーが現れて、剣で剣を受け止める。


「死んだりはしませんよ。三日ほど体の自由が利かなくなる程度です」


 コーディーはその騎士の剣を振り払い、そのまま斬りつけた。

 カイルは膝をつき、口の中の唾液ごと吐き出している。


「吐いても無駄ですよ。口腔粘膜から吸収される薬ですから」

「……サイオスの王子は誘拐犯のようなことまでするんだな……」


 カイルは身体を震わせながら倒れ込んだ。


「陛下!!」


 すぐにアンドリューがカイルに駆け寄る。


「王子……?」


 アナスタシアがコーディーを見るとコーディーは襲いかかる騎士を次々と斬り倒している。


「ほら、いきますよ!!」


 道が開けると、ジークはリュカを抱いたまま走り出し、それを追う形でアナスタシアも走った。


「待てっ!!」


 アンドリューが追おうとすると、コーディーが立ちはだかる。


「あの子がどうなっても良いんですか?」

「くっ……」


 捕らわれたリュカを見て、顔を歪ませたアンドリュー。彼は仕方がないといった様子でカイルの下へと戻っていった。



     ◇◆◇



 リュートリム皇帝たちから完全に逃れることが出来、コーディーは走るのをやめて、ジークを先に行かせ、リュカはコーディーが抱き上げて歩く。


「えぐっ、えぐっ……ままぁ……」

「いい子にしていたら、そのうち家に帰れますよ。いい子にしていたら、ですけど。ね、アナスタシア様?」


 アナスタシアに話を振ると彼女はキッとコーディーを睨んでから不安を与えないようにリュカに向かって笑顔を作った。


「大丈夫よ、リュカ。リュカはお利口さんだもの」


 彼女の子であるリュカがコーディーの手の中にあるうちは、彼女はコーディーの指示に従うしかない。


「コーディー……いえ、コーデルハルト・ルオ・サイオス第三王子、私を……私たちを捕虜にでもするつもり?」

「よくわかっているじゃないですか。リュートリムの南西に位置する土地は我が領土なんです。あなた方がいれば交渉はスムーズに進む」

「残念だけど、私もリュカも皇帝とはなんの関係もないわ」

「先ほどの熱烈な口づけを見て、そうですねとは言えませんよ。それに子どもの顔、皇帝そっくりでしたよ。誰が見ても納得できるほどの親子の顔です」


 アナスタシアが悔しそうに唇を噛み、コーディーは薄く笑う。


「皇帝があなたを探す必死な様子。見事なものですね。領土奪還の交渉は簡単にいきそうです。長年、隙を探していた甲斐がありました。本来はフラベリオスと共闘しようと思っていたんですがね……、フラベリオスはもう間も無く帝国の手に落ちてしまうでしょう」


 コーディー──コーデルハルトはサイオス王国第三王子で、第一、第二王子より見下された扱いを受けることが多く、父王から認められるために、なんとしても大きな手柄を立てたかった。

 そして長い年月をかけ、フラベリオスの中に入り込んで、リュートリムを陥れるための諜報活動を行い、コーデルハルトの側近ジークはリュートリムに潜入し、皇帝の情報を集めていた。

 そしてコーデルハルトは最近、アナスタシアが皇帝の寵姫であり、ファラース領にて発見されたとジークより報告を受けた。


 そして、先ほどの皇帝とアナスタシアのやり取りでもそれは間違いなかったと確信している。

 アナスタシアに子どもがいるという報告は受けており、アナスタシアを大人しくさせるために利用するには好都合だった。

 ただ、子どもの顔を見て驚いた。


 ――子どもに危害を加える可能性をちらつかせたときの、皇帝の側近の狼狽え方……あれは皇帝の子どもで間違いない。


 アナスタシアの子どもの父親が皇帝であるのは想定外だったが、渡りに舟だ。

 コーデルハルトはより有利に事を進められそうでほくそ笑む。



     ◇◆◇



 一方、アナスタシアは非常に不安な思いを抱えていた。


 本当かどうかは分からないが、コーデルハルトの話ではカイルはカロリーナを寵愛している。

 アナスタシアを愛していると言ったのは一時の気の迷いであれば、痺れ薬を盛ったような女は切り捨てられる。


 そして、リュカもだ。


 カイルにはリュカがカイルの子どもであると伝えていない。一度会っただけの他人の子どものために、長年争い続けている領土を差し出すような真似をするだろうか。


 領土と交換の材料にされたところでアナスタシアとリュカは助からない。

 こんな事なら、せめてリュカの存在はカイルに正しく伝えて保護してもらえるようにするべきだった。


「殿下! 向こうに空き小屋があったので、そこで朝を待ちましょう」


 リュカは泣き疲れて敵の腕の中で寝てしまっている。

 空き小屋に身を潜め、アナスタシアは不安な夜を過ごすこととなった。


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