17 父親は
「避妊薬が効かない……?」
カイルは閉められた扉の前で呆然と立ち尽くす。そしてすぐにハッとして扉をドンドンと叩く。
「アナスタシア! 開けてくれ!」
どういうことなのか詳しく聞きたい。だが一向に扉は開かない。
「アナスタシア──」
さらに大きな声で名前を呼び、強い力で扉を叩こうとして止めた。
「リュカが起きたら可哀想か……」
カイルは諦めて馬車へと戻ることにした。結局それ以上アナスタシアから話を聞くことは出来なかった。
――避妊薬が効かないっていつからなんだ……?
カイルは帰りの馬車の中、アンドリューに手鏡を渡された。
「陛下、前髪が不自然な形に切れていますよ? どうしたんです?」
「ああ、アナスタシアに短剣を突き付けられたときのかな」
カイルは手鏡で自身の前髪を確認し、アンドリューに返そうとしたが──
「陛下……そんなに見なくても、あなたの顔は美しいですよ」
「知っている」
「じゃあ、どうされたんですか?」
アンドリューがカイルに尋ねる。
「……お前、リュカの顔を見たか?」
「ええ、陛下そっくりのアナスタシア姫のお子様ですよね。護衛ですから、お部屋の中の出来事以外はずっと見ておりました。僕、目が良いですから遠くからでもしっかり見えましたよ。夫人が豪語するだけあって本当にそっくりでしたね」
「やはり、誰が見てもそう思うのか……! 私はアナスタシアを妊娠させたのは天使だなんてバカなことを思っていたが……。アンドリュー! ローランの街へ寄るぞ!」
◇
「ええ、カルテにもしっかりと書いてありますから間違いありませんよ。彼女が妊娠したのはその時期で合っています」
「なんてこと……!」
ローランの街でリュカの出産に立ち会ったという女医にアナスタシアの妊娠した時期の確認をとった。
「彼女、フラベリオス人な上に、薬が一切効かないタイプの人だったから、産後の痛み止めの薬も効かなくて、必死に痛みを堪えていて可哀想でしたよ」
「薬が効かない?」
「ええ、毒の耐性があるとかで、彼女はどんな薬も効かない体質なんです」
「避妊薬も?」
「効きません。そういえば、彼女も言っていましたね。事後避妊薬を飲んでいたのに妊娠していたと……」
「……!」
三年前の戦争で、アナスタシアを抱いてから一週間弱だが、カイルは毎夜アナスタシアを抱いていた。
アナスタシアを抱きながら彼女を絶対に正妃にしようと考えていたが、結婚前に妊娠することは外聞が悪く、アナスタシアの評価に関わると思い、避妊薬は欠かさず飲ませていた。
だから 、まさか自分の子を妊娠して出産していたなど、思い至らなかった。
「私はなんてことを……」
『誰だ……私のアナスタシアを穢したやつは……!』
――私か……!
『リュカの父親って、天使か何かか?』
――私か……!
――彼女を穢して、天使のような子ども、リュカを妊娠させたのは私だったのか!!
アナスタシアに一番ひどい仕打ちをしたのは自分だった。
自分の鈍さと愚かさに頭を抱え、後悔と自責の念に駆られた。
「陛下ー、そろそろ戻りませんと議会に間に合わなくなりますよ」
「……ああ、行こう」
だが、僅かに喜びも感じていた。
――リュカが……、あの天使のような子どもが、私とアナスタシアの愛の結晶……! 私とアナスタシアはリュカによって繋がっている……!
三年前も思ったが、やはり彼女を妻にしたい。カイルにただ従うだけでなく、強い意志を持って自ら行動できる彼女が欲しい。可愛い我が子を産んでくれた彼女が欲しい。
宮殿に戻ったら、アナスタシアとリュカを本格的に受け入れる準備をしよう。
アナスタシアを正妃として。
誰にも文句など言わせない。
そう決意を新たに、カイルは帝都へ向かった。
◇◆◇
アナスタシアはドキドキと高鳴る胸を押さえ、眠りに就く。
「うーーっ」
昨日の出来事を思い出して、アナスタシアは顔を押さえて呻き声を上げた。
「ママ、どうちたの?」
「反省してたの……」
「はんちぇい?」
リュカは首を傾げた。
昨夜、カイルを部屋に入れてしまったのは失敗だった。
「嫌がることはしちゃダメ」という言葉を守っていたので油断していた。
カイルはあっさりとアナスタシアの嫌がることをしてきた。
だが、カイルの言葉にドキドキと胸を弾ませてしまったことがアナスタシアの一番の悩みどころだ。
強引な口づけや、無遠慮に身体に触れられることは嫌なのだが、カイルの行動全てが嫌なわけではない。
やめてと言いつつ、カイルの言葉に喜んでいる。口づけだって本当は嫌ではない。
あんな鬼畜な皇帝嫌なはずなのに。
このままでは本当にまずい。
少しずつカイルに惹かれている自分がいる。
カイルから逃げたかったはずなのに今では本当に逃げたいのかよくわからない。
きっとリュカとカイルと三人でピクニックなんて行ってしまったからだ。
あのときのリュカの楽しそうな顔が頭にこびりついて離れない。
ありえないのにリュカとカイルと三人で暮らす様を想像してしまう。
◇
「リュカ、ただいま!」
「ママー!」
仕事が終わりナーサリーにリュカを迎えに行く。
「リュカくん、あれからとっても良い子ですよ! 今日もローラ姫は僕が守るんだって、お姫様ごっこの王子様役をしていましたよ」
リュカはローラに意地悪をしてから、好きな子には嫌がることをしてはいけない、好きな子は守ってあげなければならないとナーサリーの職員から言い聞かされているらしい。
「リュカ、好きな子を守ってあげて偉いわね!」
「でちょ!」
抱き上げるとリュカは得意そうな顔をした。
リュカを引き取り、子爵家の寮へ戻るため、リュカと手を繋いで丘を登る。
「殿下! 殿下! あっ、いえ、アナスタシア様!」
後ろから懐かしい声がして振り返る。
「コーディー?」
三年前のフラベリオスとリュートリムとの戦争にも同行してくれたコーディーだった。敵ばかりのフラベリオス王宮でアナスタシアが唯一信頼していた護衛騎士である。
「アナスタシア様!」
「えっ、コーディー? 久しぶりね」
リュカが、アナスタシアの手をぎゅっと握って尋ねてくる。
「ママ、だぁれ?」
「あっ、ママの昔の知り合いよ」
コーディーがリュカの顔を見た。
「えっ……!? あっ、アナスタシア様のお子様ですか?」
「ええ! で、どうしたの? こんなところで。偶然ってわけではなさそうだけど……」
「あ、はい。アナスタシア様のことを探しておりました。今、フラベリオスは帝国の手に落ちようとしていまして……」
「あ、そう」
フラベリオスの王族籍を抜けた今、薄情かもしれないが、フラベリオスがどうなろうとあまり興味はない。
帝国の皇帝はあんな人だが、国としてはしっかりとしているので、帝国の属国となるのであればむしろ良いのではとすら思えてくる。
「それで? 廃嫡となった私にはあまり関係のない話のようだけど」
「いえ、国が落ちた暁には、皇帝が次の国王を指名するらしいのですが、選ばれなかった者の遺恨が残らないよう、王太子と決まった者以外のフラベリオス王族は粛清されるらしいのです!」
「粛清!?」
「はい。廃嫡といえども国王の血を引くアナスタシア様も対象となります」
――えっ? 私カイルに殺されるの? たかが顔を傷つけようとしただけで『私のせいで君に傷がつくのは耐えられない』と言った男が私を殺す?
全くピンとこなかった。
「そこで、サイオス王国がフラベリオス王族の亡命を受け入れてくださるそうなので、アナスタシア様も急いでこの国から出奔してください」
「え? サイオス王国?」
「ええ。国王陛下より、フラベリオス王族の血を絶やさぬようにと命を受けて、私はここまで参りました。馬車は用意してあります。治安の悪い地域は私が護衛としてお守りしますから。お子様も一緒に」
サイオス王国へはいつか行こうと考えていた。
「ちょ、ちょっと待って! 突然言われても……」
「そうですよね。でも、もう一刻を争う段階です」
「わ、わかったわ! とにかく荷物をまとめて、お世話になった子爵家に挨拶をして……」
「何をおっしゃっているんですか? 今から出奔しますなど挨拶をしたらすぐに追っ手がやってきて、捕えられてしまいますよ」
確かにその通りだ。このファラース子爵領で過ごすことで平和ボケをしていたかもしれない。
「わかった。リュカの……子どものものは必要だから、一度部屋に戻って荷造りをするわ」
「では、私は町の裏通りで待機しておりますので、お急ぎください」
アナスタシアは部屋に戻って急いで荷造りをした。
「ママー、これからおでかけしゅるのー?」
「うん、そうよー! ちょっと遠いところだけど頑張ろう」
リュカと幸せに暮らすため。
もともとサイオスを目指していたのだから、コーディーが護衛として付いてきてくれるのであれば好都合だ。
カイルから逃れるためにサイオスへ、そう思うと胸がツキリと痛む。
本当はカイルに確認を取りたい。カイルがアナスタシアを殺すとは思えない。
だが、確認を取ってどうする。
カイルから逃げようとしていたことは変わらないのだから、カイルがアナスタシアを殺そうが、殺すまいが関係ない。
アナスタシアは誰にも告げずにリュカを連れて逃げるだけだ。
アナスタシアはコーディーと待ち合わせ場所で落ち合って、馬車に乗り込んだ。
馬車は一晩中走り続ける。
「ねぇ、コーディー……、帝国の行う粛清というのは、お姉様……カロリーナお姉様も対象なの?」
カロリーナは正妃にと望まれて帝国へやってきたはずだ。廃嫡になったアナスタシアですら粛清の対象なら、カロリーナはどうなのだろうか。
「カロリーナ殿下ですか?」
コーディーはなんのことかわからないような顔をした。
「ええ。お姉様は皇帝の正妃にと望まれて帝国に嫁いだと聞いたの」
コーディーは少し考える。
「もしかして、アナスタシア様は皇家の現状はご存知ではないのでしょうか?」
「ファラース子爵領は皇家の情報はあまり入ってこなくて」
コーディーは「そうですか」と納得の言ったような顔をしてから話し始める。
「アナスタシア様がおっしゃる通り、カロリーナ殿下は皇帝の正妃で、皇帝からの深い寵愛を受けておりますので、粛清の対象ではありません」
聞かなければよかった。
なんとなくカイルとカロリーナの関係を否定する言葉をかけてもらえると思って尋ねてしまった。
サイオスに逃げるアナスタシアには関係のないことだ。必死にそう思い込もうとする。
――なら、なんであんなこと言うのよ……。
アナスタシアの視界がじわりと滲む。
昨夜カイルに言われた「愛している」という言葉とカイルの表情が頭にこびりついて離れない。




