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13 子どもの存在

 翌日。

 昼前に子爵家の玄関で夫人がカイルを見送るところにアナスタシアはちょうど出くわしてしまった。

 カイルには接触しないよう、カイルのいる場所を避けて、遠回りをして仕事をしていたのに、間が悪い。


「あ、ステーシー! カイルったら夕食も食べずに帰るって言うのよ! 本当はリュカにも会ってほしかったのに」


 ここでリュカの話題はやめてほしい。

 ハラハラしながらリュカについては触れないように対応する。


「仕方がありませんわ。帝国の中枢に関わるお仕事なんて、きっとお忙しいのですよ」


 早く帰ってくれと願いを込めてそう言った。

 だが、アナスタシアの願いは届かない。


「お祖母様、昨日も言っていましたが、リュカとは誰のことです?」


 カイルが眉を寄せて夫人に尋ねる。


 ――やめて。お願い、大奥様! 言わないで……!


 アナスタシアは顔を逸らしてぎゅっと目を瞑った。


「リュカってね、ステーシーの子どものことよ。二歳の男の子でとっても可愛い子なの。あなたにも会わせたかったわ!」


 時が止まったような気がした。

 恐る恐る、カイルの顔を見ると彼もまた時が止まったかのように動かない。


 目だけはしっかりとアナスタシアを見ている。

 信じられないという表情で口は半開きのままだ。



「そういえば、カイル? あなたもステーシーのことで相談があるって言っていたわよね? ちょうど本人もいるし、今良かったら話してみて」

「…………お祖母様、やはりその話は結構です」


 なんの相談をするつもりだったのか、カイルは俯いてしまって表情はよくわからないが、いたたまれない。


「大奥様、すみません。私、町の書店に本を取りに行く約束をしていたので、少し出かけてきます。カイル様、失礼いたします」


 アナスタシアは丁寧にお辞儀をし、そそくさと屋敷を出て逃げるようにとにかく急いで丘を下った。



 町の書店で時間を潰すように念入りに書物を探す。夫人の気に入りそうな本を何冊か手に取って購入した。

 もうそろそろカイルは帰っただろうか。


 アナスタシアが書店を出て、屋敷に向かって歩き出すと後ろから声をかけられる。


「アナスタシア!」


 今度こそ振り向いてはならない。

 アナスタシアは後ろを見ずに走り出した。


 絶対に捕まってはいけない。はあはあと息を吐きながら、全速力で走るが、足音は近づいてくる。


「待ってくれ!」


 腕を掴まれて、グイッと引っ張られる。

 倒れ込まないように足で踏ん張り、走るのをやめた。

 アナスタシアはカイルの腕を振り払う。


「カイル様、何か?」


 カイルが焦ったように問いかける。


「アナスタシア、君、結婚……していたのか……?」


 どうやらリュカのことを自分の子だとは思っていないようだった。

 それならその方が好都合だ。


「だったら何だって言うの」

「っ!」


 カイルがつらそうな顔をする。

 なんでそんな顔をされないといけないのか。


「結婚しているのなら……何故、叔父上と食事に行ったんだ」

「叔父上って……イーサン様のこと……?」

「ああ、そうだ。叔父上は独身だ。結婚しているくせに独身の男と食事に行くなんて、どんな倫理観しているんだ!」


 鬼畜でドS。倫理観などとうの昔に崩壊しているようなカイルに言われてアナスタシアはカチンときた。


「あなたに倫理観うんぬん言われたくないわよ! 誰と結婚して、誰と食事に行こうが、あなたには関係ないでしょ」


 自分だって二年前、アナスタシアの姉、カロリーナを正妃に迎えたのではなかったのか。


 仕事と子育てにいっぱいで、帝都での情報は積極的には取っていなかった。

 このファラース子爵領は特に皇家の情報に疎いようでカイルに関する情報はほとんど入ってこなかった。

 だからこそ、心を乱されることなく過ごすことができた。


 だが、夫人にカイルを紹介されてから分かった。


 ファラース子爵領では皇帝の姿絵などは出回らない。皇帝がお忍びでやってくる、ファラース子爵家は使用人や町の人から皇帝との関係を指摘されないために、皇家の情報を制限していたのだろう。


「……そうだな。すまない、引き止めて悪かった」


 カイルは沈んだような顔をして来た道を戻って行った。

 どうやら話は終わったようだ。

 アナスタシアはホッと息を吐いて、再び屋敷に向かって歩き出した。



     ◇



「大奥様、カイル様って……リュートリム帝国の皇帝ですよね……?」


 アナスタシアは書店で購入してきた本を紹介した後、疑問に思っていたことを夫人に直接確認した。


「あら、わかっちゃった?」


 夫人は悪戯っぽく笑った。

「はい。私も貴族の娘でしたので、帝都で陛下を見たことがありまして」

「髪色を変えたくらいじゃ、わかってしまうものなのね」

「あの……陛下のお母様はトッド伯爵家のご令嬢だったと記憶しているのですが、大奥様の孫というのはどういうことなのでしょうか?」

「内緒の話よ」


 夫人は唇に人差し指を当ててから話し始めた。


「そんなに難しい話じゃないのよ。私の娘が前皇帝に見初められたけど、皇家に嫁ぐにはファラース子爵家では身分が低すぎたってだけの話」


 どうやら、ファラース子爵家では身分が低くて皇室に嫁ぐには問題があったため、夫人の娘はトッド伯爵家の養女となったが、元々の身分の低さをあれこれ言われることがないよう、前皇帝はそれを公にはしなかったということだった。


 そんな形でファラース子爵家が皇帝と繋がりがあったなんて。


 アナスタシアはショックを受ける。

 このファラース子爵家のことが、この仕事が、この夫人のことがアナスタシアは好きだった。


 だけど、もうこの家を、この仕事を、この夫人との関係を諦めなければならない。



 今回はカイルにリュカを会わせずに済んだが、次回はどうなるかわからない。

 カイルは一年に一度のペースで夫人に顔を見せにやってくるらしいから次は一年後だ。

 次にカイルがこのファラース子爵家にやってくるまでには、逃げなければ……。


 その日、アナスタシアは守るべき我が子、リュカをしっかり抱きしめて眠った。


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