公開
2002年6月29日。
土曜日。
午後八時。
九条の指が。
キーボードを叩いた。
「公開。」
その瞬間。
日本中へ向けて。
ARCBOOKの扉が開いた。
誰も。
喋らなかった。
開発室の大型モニターには。
いくつもの数字が並んでいる。
**累計訪問者数。**
**登録者数。**
**現在接続数。**
**記事投稿数。**
そして。
サーバー負荷。
通信量。
データベース接続数。
悠は画面を見つめた。
一秒。
二秒。
三秒。
何も起きない。
十秒。
西園寺が首を傾げる。
「……。」
「こんなものですか?」
九条は画面を見たまま答える。
「まだ。」
「十秒。」
「いや。」
「三億使ったから。」
「もう少し。」
「こう。」
「ドーンと来るのかと。」
九条が西園寺を見る。
「映画じゃない。」
「分かってますよ。」
その時。
数字が動いた。
**累計訪問者 132**
悠の目が止まる。
次の瞬間。
**481**
**1,204**
**2,718**
**4,102**
西園寺が画面へ身を乗り出す。
「来た!」
悠も笑う。
「ああ。」
「来たな。」
◇
同じ頃。
都内。
一人の女子高校生が。
自宅のパソコンを開いていた。
テレビで見た。
新しいサービス。
**ARCBOOK**
画面には。
テレビで何度も見た若手女優の写真。
その下。
最初の記事。
**今日から始めます。**
少女はクリックする。
テレビでは。
綺麗な服を着て。
笑っている女優。
だが。
そこに書かれていたのは。
**今日は撮影が朝からでした。**
**眠いです。**
**帰りにコンビニでプリン買いました。**
少女は。
思わず笑った。
「普通じゃん。」
そして。
次の記事を開く。
人気歌手。
**ライブ終わりました!**
写真。
楽屋。
汗だく。
髪も少し乱れている。
テレビでは見ない姿。
さらに。
プロ野球選手。
**今日の試合。**
料理研究家。
**今日の晩ごはん。**
お笑い芸人。
**楽屋で暇です。**
少女は。
次々に記事を開いていく。
そして。
画面の上。
一つの文字に気付いた。
**あなたもARCBOOKを始める**
少し迷う。
クリック。
◇
午後八時十分。
「登録者。」
「一万人突破しました!」
開発室から。
歓声が上がる。
西園寺が拳を握る。
「よし!」
悠も笑う。
大型画面。
**累計訪問者 68,421**
**登録者 10,284**
**現在接続 21,873**
数字が。
次々に変わっていく。
(相棒。)
『初動。』
『予測を上回っています。』
(どれくらい。)
『現時点で。』
『約一・八倍です。』
(いいじゃないか。)
『はい。』
『非常に良好です。』
悠は大型画面を見る。
**登録者 11,882**
**12,481**
**13,029**
**13,744**
止まらない。
◇
午後八時十五分。
登録者。
二万人。
午後八時二十分。
三万人。
社員たちの声が。
少しずつ大きくなる。
「三万!」
「まだ二十分ですよ!」
「訪問者は?」
「二十万超えました!」
西園寺が笑う。
「社長。」
「これ。」
「いけますよ。」
「ああ。」
悠も。
興奮を抑えられなかった。
自分たちが作ったものを。
今。
日本中の人が見ている。
誰かが。
記事を読む。
誰かが。
登録する。
そして。
誰かが。
初めての日記を書く。
**今日、ARCBOOK始めました。**
**何を書けばいいか分からない。**
**とりあえず、よろしくお願いします。**
その記事に。
知らない誰かから。
最初のお気に入りが付く。
コメントが付く。
そして。
また。
一つ。
新しい記事が生まれる。
◇
午後八時二十五分。
登録者。
五万人。
「五万!」
大きな歓声。
悠も拳を握った。
西園寺は。
完全に笑顔だった。
白石も。
両手を胸の前で合わせている。
「本当に。」
「使ってくれてる。」
自分が何度も。
何度も。
直した画面。
投稿ボタン。
文字。
余白。
写真。
そのすべてを。
今。
何万人もの人が触っている。
白石の目が。
少しだけ潤んだ。
九条が隣から言う。
「泣く?」
白石が九条を見る。
「泣かない。」
「目赤い。」
「画面見て。」
九条は素直に画面へ戻った。
白石は笑った。
だが。
その九条だけは。
最初から。
ほとんど笑っていなかった。
モニター。
CPU使用率。
通信量。
データベース接続数。
画像転送量。
現在接続数。
九条の目が。
数字だけを追っている。
悠が気付く。
「九条。」
「どうした?」
「速い。」
「何が?」
「増え方。」
九条は画面を指差す。
**累計訪問者 341,822**
**登録者 52,104**
**現在接続 63,881**
悠の表情が少し変わる。
「まずい?」
「予測より速い。」
「どれくらい?」
九条は数秒。
画面を見る。
「三倍近い。」
西園寺が振り返る。
「それって。」
「いいことじゃないんですか?」
九条は即答した。
「営業には。」
「開発には?」
「嫌。」
西園寺が苦笑する。
「同じ会社でしょう。」
「嫌なものは嫌。」
悠は思わず笑った。
「サーバーは?」
「まだ大丈夫。」
「まだ?」
九条は答えない。
悠の笑顔が。
少しだけ引きつった。
◇
午後八時三十分。
テレビ。
人気番組。
CMへ入る。
画面。
若手女優。
「今日の私を。」
「ARCBOOKに書きました。」
歌手。
「テレビでは話さないことも。」
野球選手。
「少しだけ。」
最後。
一冊の本。
**あなたの人生を、一冊の本に。**
**ARCBOOK**
そのCMが。
全国で流れた。
◇
ARC本社。
九条が。
突然。
椅子から体を起こした。
「来る。」
悠が見る。
「何が?」
「CM。」
次の瞬間。
アクセスグラフが。
跳ねた。
「うわっ!」
社員の一人が声を上げる。
**現在接続 78,204**
**91,488**
**108,372**
通信量。
急上昇。
CPU使用率。
急上昇。
画像サーバー。
負荷上昇。
「同時接続十万突破!」
歓声が上がる。
だが。
開発チームだけは。
もう。
笑っていなかった。
九条が指示を出す。
「画像。」
「監視。」
「DB二号。」
「負荷確認。」
エンジニアたちが一斉に動く。
「はい!」
大型画面。
累計訪問者も。
凄まじい勢いで増えていた。
**428,214**
**471,802**
**519,331**
西園寺が呟く。
「五十万人……。」
「まだ。」
「三十分ですよ。」
悠も。
数字を見つめていた。
だが。
AIの声が。
少し変わった。
『相棒。』
(何だ。)
『現在接続数。』
『事前想定値を超えました。』
悠の笑顔が消える。
(危ないのか。)
『現時点ではまだ稼働可能です。』
(現時点では。)
嫌な言葉だった。
◇
午後八時四十分。
最初の異変。
「九条さん!」
「画像表示。」
「遅延出てます!」
九条が即座に答える。
「圧縮。」
「一段上げる。」
「はい!」
別の社員。
「投稿処理。」
「平均二秒超えました!」
「待ち行列。」
「増やす。」
「はい!」
悠は。
開発室の空気が変わったことに気付いた。
さっきまで。
成功を喜んでいた社員たち。
今は。
全員。
画面しか見ていない。
その中心。
九条。
いつもの。
無表情。
だが。
目だけが違う。
数字が変わるたび。
指が動く。
画面を切り替える。
命令する。
判断する。
迷いがない。
(相棒。)
『はい。』
(九条。)
(大丈夫なのか。)
AIは数秒。
分析した。
そして。
意外な答えを返した。
『九条玲司。』
『現在。』
『非常に楽しんでいます。』
悠は固まる。
(……は?)
九条が小さく呟く。
「面白い。」
悠が振り返る。
「やっぱり楽しんでるのかよ!」
九条は悠を見る。
「何が?」
「いや。」
「何でもない。」
こんな状況で。
この男は。
ほんの少しだけ。
笑っていた。
◇
午後八時五十分。
大型画面。
**累計訪問者 812,440**
**登録者 151,208**
**現在接続 162,881**
数字は。
まだ上がっている。
アクセス。
増加。
登録。
増加。
記事。
増加。
画像。
増加。
コメント。
増加。
お気に入り。
増加。
読むだけの人間。
登録する人間。
記事を書く人間。
コメントを書く人間。
画像を載せる人間。
それらが。
同時に。
ARCBOOKへ押し寄せる。
「画像三号!」
「使用率九十二%!」
「DB一号!」
「九十五!」
九条。
「画像。」
「新規割り振り変更。」
「DB。」
「読み込み二号へ。」
「はい!」
悠は。
何もできなかった。
経営。
営業。
企画。
それなら。
口を出せる。
だが。
ここは。
九条たちの戦場だった。
だから。
任せるしかない。
◇
午後八時五十七分。
一人の社員が。
大型画面を見て。
声を失った。
「……百万。」
西園寺が振り返る。
「何?」
社員が。
もう一度確認する。
そして。
叫んだ。
「累計訪問者!」
「百万人突破しました!」
開発室が。
一瞬だけ沸いた。
**累計訪問者 1,002,841**
公開から。
わずか五十七分。
百万人。
悠は。
その数字を見つめた。
(相棒。)
『異常値です。』
(だろうな。)
『この時代の国内インターネットサービスとして。』
『極めて異例の初動です。』
悠は笑った。
「やったな。」
だが。
九条だけは。
画面を見ていた。
「まだ。」
悠が振り返る。
「何が?」
九条は答えなかった。
◇
午後九時。
登録者。
**201,483**
「二十万!」
誰かが叫んだ。
西園寺が拳を突き上げる。
「二十万!」
白石も笑う。
「やった……!」
悠も。
思わず拳を握った。
公開から。
わずか一時間。
大型画面には。
三つの数字。
**累計訪問者 1,083,421**
**登録者 201,483**
**現在接続 187,204**
百万人以上が訪れ。
二十万人以上が登録し。
今。
十八万人以上が。
同時にARCBOOKを使っている。
予想を。
遥かに超えていた。
「九条!」
悠が振り返る。
「二十万だぞ!」
九条は。
答えなかった。
「九条?」
画面。
赤。
一つ。
警告。
次。
二つ。
さらに。
三つ。
エンジニア達の顔色が変わる。
「九条さん!」
「DB一号!」
九条は。
もう見ていた。
「分かってる。」
警告。
**CONNECTION LIMIT**
別の画面。
**TIME OUT**
さらに。
**ERROR**
「画像四号も遅延!」
「投稿処理!」
「詰まってます!」
「現在接続!」
「十九万に近づいてます!」
開発室の歓声が。
完全に消えた。
悠は。
自分のパソコンで。
ARCBOOKを開く。
読み込み。
……。
読み込み。
……。
長い。
「九条。」
返事はない。
画面。
そして。
表示された。
**ページを表示できません。**
悠の表情が。
止まる。
周囲のパソコンも。
同じだった。
ARCBOOK。
表示されない。
西園寺が呟く。
「……嘘だろ。」
白石も。
画面を見つめている。
日本中で。
百万人以上が訪れたサービスが。
公開から。
わずか一時間で。
止まった。
開発室。
静寂。
悠は。
九条を見る。
「……え?」
九条は。
数秒。
モニターを見つめた。
そして。
短く答えた。
「落ちた。」




