使い続ける理由
ARCBOOKの試作品が完成してから、三日後。
ARC本社。
全社員へ、一通の社内メールが送られた。
件名。
**ARCBOOK社内モニター実施のお知らせ**
内容は単純だった。
全社員。
ARCBOOKへ登録。
一日一回以上。
何かを投稿すること。
期間。
一週間。
そして。
使っていて気付いた問題。
分かりにくいところ。
欲しい機能。
すべて報告する。
悠は送信されたメールを眺めながら、少しだけ眉を寄せた。
「これ。」
「完全に業務命令だな。」
佐伯が笑う。
「モニターですから。」
「最初はそれでいいと思います。」
「ただ。」
「一日一回は少し嫌がられるかもしれませんね。」
「だよな。」
その時。
AIが静かに告げる。
『問題ありません。』
(そうか?)
『目的は。』
『使いたい人を調べることではありません。』
『使いたくない人でも。』
『使い続けられるかを確認することです。』
悠は少し考えた。
(なるほど。)
好きな人だけに使わせても。
本当に使いやすいのかは分からない。
パソコンが好きな人。
文章を書くのが好きな人。
新しいサービスが好きな人。
そんな人たちだけで試しても意味がない。
ARCBOOKが狙っているのは。
普通の人だった。
「よし。」
「始めよう。」
◇
初日。
午前九時。
社員たちは一斉にARCBOOKへ登録した。
そして。
早速。
問題が起きた。
「プロフィール画像って、どうやって変えるんですか?」
「写真が大きすぎます!」
「投稿した文章、修正できます?」
「戻る押したら書いてた文章消えたんですけど!」
「背景変えたいです!」
「パスワード忘れました!」
開始。
わずか三十分。
開発室には。
大量の報告が届いていた。
白石はその一覧を見つめる。
「……すごい。」
九条も隣で画面を見る。
「多い。」
「想像以上ですね。」
白石は苦笑した。
九条は一つ目の報告を開く。
**投稿ボタンの場所が分かりません。**
九条が首を傾げる。
「ある。」
白石が見る。
「あるね。」
「右上。」
「うん。」
「押せる。」
「小さいから分かりにくいんだね。」
白石が九条を見る。
「何十人も同じ場所で迷ったら。」
「使う人が悪いと思う?」
九条は黙った。
「……。」
白石は笑う。
「作った側が悪いの。」
九条は数秒。
画面を見つめる。
「大きくする。」
「うん。」
「色を変える。」
「そうしよう。」
九条はすぐに修正を始めた。
悠は少し離れたところから。
そのやり取りを見ていた。
(随分変わったな。)
『はい。』
『以前なら。』
『利用者へ操作方法を説明していました。』
悠は思わず笑う。
(だろうな。)
『現在はシステム側を修正しています。』
(成長したってことか。)
『白石美咲の影響が大きいと分析します。』
悠は二人を見る。
「写真が重いから圧縮する。」
「でも画質落としすぎないで。」
「処理増える。」
「お願い。」
「……分かった。」
悠は小さく笑った。
いい組み合わせだった。
◇
二日目。
別の問題が起きた。
高橋が悠のところへ来た。
「社長。」
「少しいいですか。」
「どうした?」
高橋は一枚の紙を置く。
そこには。
社員が投稿した写真が印刷されていた。
昼休み。
会社近くの飲食店。
料理。
そして。
後ろの席に座っている。
まったく知らない客。
悠は写真を見る。
「普通の昼飯だな。」
「問題は。」
「ここです。」
高橋が後ろの客を指差した。
「あ。」
「本人の許可なく。」
「顔が写っています。」
悠は少し黙った。
「確かに。」
「それだけではありません。」
高橋は別の資料を置く。
「雑誌の記事を、そのまま載せている社員。」
「テレビ画面を撮影して掲載している社員。」
「他人が撮った写真を使っている社員。」
さらに。
一枚。
「あと。」
「上司への愚痴。」
悠は読んだ。
数秒。
「……これは。」
「結構具体的だな。」
高橋が頷く。
「社内だから笑えます。」
「ですが。」
「一般公開されたら。」
「笑えません。」
悠の表情が変わった。
高橋は淡々と続ける。
「著作権。」
「肖像権。」
「誹謗中傷。」
「個人情報。」
「削除要請。」
「利用者が増えれば。」
「必ず問題になります。」
(相棒。)
『高橋の指摘は正しいです。』
『未来でも。』
『非常に大きな問題になります。』
悠は高橋を見る。
「必要なものは?」
高橋はすでに準備していた。
「利用規約。」
「投稿ガイドライン。」
「削除基準。」
「通報制度。」
「権利者からの問い合わせ窓口。」
「それと。」
「芸能人を扱うなら。」
「本人確認制度も必要です。」
悠は思わず笑った。
「仕事が早いな。」
高橋も少し笑う。
「そのために。」
「呼んでいただいたと思っています。」
「頼む。」
「はい。」
高橋は資料を持って立ち上がる。
悠はその背中を見送った。
もし。
高橋がいなかったら。
問題が起きてから。
初めて考えていただろう。
だが。
今は違う。
問題が起きる前に。
守る人間がいる。
ARCは。
確実に組織になっていた。
◇
三日目。
少しずつ。
変化が起き始めた。
最初。
社員たちの投稿は。
明らかに。
仕事だった。
**今日も頑張ります。**
**本日の業務を開始しました。**
**今日の目標は三件契約です。**
読んでいて。
まったく面白くない。
悠は画面を見ながら苦笑した。
「社内報みたいだな。」
AI。
『業務命令ですので。』
「まあ。」
「そうなるよな。」
だが。
昼頃。
一つの記事が投稿された。
営業部の若手社員。
タイトル。
**会社の近くでラーメン屋見つけました。**
写真。
大盛りのラーメン。
本文。
**量を間違えました。**
**午後の営業、終わったかもしれません。**
悠は思わず笑った。
数分後。
コメントが付いた。
**開発部**
> そこ美味しいですよ。
さらに。
**デザイン部**
> 私も行きたい。
そして。
**営業部**
> 午後の営業行け。
記事を書いた本人が返信する。
> 無理です。
さらにコメント。
> 行け。
> 行け。
> 行け。
悠は吹き出した。
「何やってるんだ。」
その日の午後。
ラーメンの記事は。
社内ランキング一位になった。
◇
四日目。
投稿の雰囲気が。
明らかに変わった。
**うちの猫です。**
**昨日見た映画。**
**最近買ったCD。**
**彼女に振られました。**
**誰か美味しい居酒屋知りませんか。**
仕事とは。
まったく関係ない。
でも。
コメントが付く。
お気に入りが増える。
そして。
また書く。
昼休み。
廊下で。
普段ほとんど話したことのない。
営業部と開発部の社員が話していた。
「昨日の猫。」
「めちゃくちゃ可愛かったです。」
「あ。」
「見てくれたんですか?」
「見ました。」
「名前なんていうんです?」
悠は足を止めた。
その様子を。
佐伯も見ていた。
「社長。」
「面白いですね。」
「何が?」
佐伯は二人を見ながら言う。
「この二人。」
「今まで。」
「ほとんど話したことがありません。」
悠が少し驚く。
「そうなのか。」
「部署も違いますから。」
「仕事上の接点もない。」
「でも。」
「ARCBOOKの記事をきっかけに。」
「話しています。」
悠は二人を見る。
(相棒。)
AIが答える。
『偶発的な交流です。』
(交流?)
『はい。』
『ただし。』
『現段階では。』
『これで十分です。』
悠は第二章での会話を思い出した。
コメント。
お気に入り。
それは。
交流そのものではない。
反応だ。
だが。
反応が積み重なれば。
自然に。
人と人が近付くこともある。
(友達機能とか。)
(まだいらないか。)
『不要です。』
『今は。』
『書く。』
『読む。』
『反応する。』
『その循環を完成させてください。』
悠は小さく頷いた。
(焦らない。)
『はい。』
『時代より。』
『半歩前で十分です。』
◇
五日目。
佐伯から。
別の報告が上がった。
「問い合わせがかなり増えています。」
「どれくらい?」
「社員百人程度で。」
「一日十数件。」
悠は顔をしかめる。
「多いな。」
「はい。」
「パスワード。」
「画像。」
「削除。」
「使い方。」
「今は社内だから。」
「直接聞けば終わります。」
佐伯は少し間を置く。
「でも。」
「十万人になったら?」
悠は黙った。
橘が横から答える。
「単純計算でも。」
「対応できません。」
「人件費も膨らみます。」
佐伯が頷く。
「だから。」
「今から運営チームを作ります。」
「よくある質問。」
「操作ガイド。」
「問い合わせ分類。」
「対応マニュアル。」
「それと。」
「問い合わせ内容を。」
「開発へ戻す仕組みも作りたい。」
悠は感心した。
「問い合わせを。」
「改善に使うのか。」
「はい。」
「同じ質問が百回来たら。」
「百人が分かっていないということです。」
白石が少し離れたところから声を上げる。
「それ。」
「全部私にもください。」
九条も。
「俺も。」
佐伯が笑う。
「もちろん。」
悠はその光景を見る。
開発。
デザイン。
人事。
法務。
財務。
少しずつ。
一つのサービスを中心に。
全部署が繋がり始めていた。
◇
六日目。
西園寺が悠のところへ来た。
「社長。」
「ちょっと面白いもの見つけました。」
「何だ?」
西園寺が画面を見せる。
社内ランキング。
一位。
営業部のラーメン。
二位。
デザイン部の猫。
三位。
開発部の。
**九条さんが三日連続同じ服を着ている件について。**
悠は固まった。
「……。」
西園寺が笑いを堪えている。
「これ。」
「コメント七十二件あります。」
悠は開く。
> 今日も同じでした。
> 昨日もです。
> 洗ってるんですか?
> 誰か本人に聞いてください。
そして。
一番下。
九条本人。
> 同じ服。
> 五着ある。
悠は机を叩いて笑った。
「そういうことかよ!」
西園寺も笑う。
「社長。」
「これ。」
「芸能人がやったら。」
悠の笑いが止まる。
西園寺は画面を指差した。
「相当強いですよ。」
「普段テレビでしか見ない人が。」
「何食べた。」
「何買った。」
「どこ行った。」
「そんなこと書くだけで。」
「ファンは毎日見に来る。」
悠は頷いた。
第二章で考えた仮説。
それが。
わずか百人程度の社内で。
小さく証明され始めている。
「西園寺。」
「そろそろ。」
「準備してくれ。」
西園寺が笑う。
「芸能人。」
「ですね。」
「ああ。」
「任せてください。」
◇
七日目。
社内モニター最終日。
この一週間。
問題は。
山ほど出た。
バグ。
操作性。
デザイン。
法務。
運営。
サーバー。
だが。
そのたびに。
修正された。
改善された。
磨かれた。
一週間前とは。
もう。
別のサービスになっていた。
夕方。
悠は全社員へ告げた。
「今日で。」
「ARCBOOKの社内モニターを終了します。」
社員たちが顔を上げる。
「この一週間、協力ありがとうございました。」
「明日から一日一回の投稿義務はありません。」
「書かなくて大丈夫です。」
何人かの社員が笑った。
これでいい。
十分なデータは取れた。
◇
翌朝。
悠は出社すると。
何となく。
ARCBOOKを開いた。
そして。
止まった。
新着記事。
**昨日の晩飯。**
**朝から電車遅延。**
**うちの猫、その二。**
**昨日のラーメン屋、今度は普通盛り。**
**九条さん、本当に今日も同じ服。**
悠は画面を見つめた。
「……。」
(相棒。)
『はい。』
「昨日。」
「終わったって言ったよな。」
『はい。』
「投稿。」
「増えてないか?」
『増加しています。』
悠は思わず笑った。
「なんでだよ。」
AIは静かに答えた。
『利用者は。』
『もう。』
『仕事として使っていません。』
悠の表情が変わる。
画面には。
次々と。
新しい記事が追加されていく。
朝食。
電車。
音楽。
映画。
恋愛。
猫。
ラーメン。
何でもない。
普通の日常。
『習慣になり始めています。』
悠は。
しばらく画面を見つめた。
そして。
小さく笑った。
「なるほど。」
書きやすい。
読まれる。
反応がある。
だからまた書く。
何度も考えた循環。
それが初めて。
現実になった。
「これなら。」
「いける。」
誰かに命令されたからではない。
お金をもらえるからでもない。
ただ。
書きたいから。
書く。
ARCBOOKは。
この日。
初めて。
仕事ではなくなった。
読んでいただきありがとうございます!
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