未来のCHRO
橘慎吾がARCへの入社を決めてから、一週間。
悠は大学の講義を終え、駅へ向かって歩いていた。
『二人目の候補を表示します。』
頭の中へ、AIの声が響く。
(もう次か。)
『会社の成長速度を考慮すると、合理的です。』
画面が切り替わる。
**人事責任者候補。**
佐伯健太 二十九歳。
現在、人材会社勤務。
未来では数万人規模の企業で人事責任者を務める人物。
(居場所は?)
画面がさらに切り替わる。
**Wikipedio(2045年版)**
> 趣味:釣り
その下には未来のインタビュー記事。
> 「休日に一人で釣りをしている時間が、一番頭の整理になります。」
悠は思わず笑った。
(そんなことまで残ってるのか。)
『前世で公開されていた情報をデータベース化しています。』
(便利すぎるだろ。)
『公開情報のみです。』
『違法な情報取得は行っていません。』
(そこは安心した。)
◇
休日。
都内の釣り堀。
悠は人生で二回目の釣りだった。
もちろん初心者である。
『対象を確認しました。』
少し離れた場所で、一人の男性が静かに釣り糸を垂らしていた。
間違いない。
未来の人事責任者だ。
(で?)
(どうする。)
『まず。』
『魚を釣ってください。』
悠は固まった。
(……は?)
『魚を釣ってください。』
(聞こえてる。)
(なんで。)
『対象は釣りが好きです。』
『魚が釣れない人より。』
『釣れる人へ親近感を抱きます。』
悠は苦笑した。
(攻略対象は人だろ。)
『魚です。』
(違う。)
『まず魚です。』
(ゲームか。)
悠は餌を投げる。
……。
反応なし。
五分後。
隣で男性が一匹釣り上げた。
『好感度。』
『低下中。』
(魚で好感度が決まるのかよ。)
『現在、対象は。』
『「初心者かな」と判断しています。』
(合ってる。)
『餌を変更してください。』
(魚の攻略本じゃねぇか。)
言われるまま餌を変える。
数分後。
ピクッ。
竿が大きくしなる。
「うわっ!」
慌てて引き上げると、小さな魚が一匹。
『成功しました。』
『第一段階突破です。』
(段階制なのか。)
隣の男性が笑った。
「おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「初めてですか?」
「二回目です。」
「それなら十分ですよ。」
自然に会話が始まった。
悠は内心で頷く。
(なるほど。)
(こうやって話しかけるきっかけを作るのか。)
『はい。』
『魚は重要です。』
(お前、今日ずっと魚しか言ってないな。)
十分ほど釣りを楽しんだところで、AIが静かに告げる。
『次です。』
『釣りの話題は終了してください。』
(早くないか。)
『十分です。』
『仕事の話題へ移行します。』
(攻略ゲームみたいだな。)
『採用ゲームです。』
(ゲームにするな。)
悠は笑いながら尋ねた。
「何のお仕事をされてるんですか?」
男性は少し驚いた後、小さく笑った。
「人を見る仕事ですよ。」
「人事をしています。」
その言葉を聞いて。
悠は少し黙った。
(相棒。)
(ここで押すか。)
『推奨します。』
悠は静かに尋ねる。
「一つ聞いてもいいですか。」
「もちろん。」
「人事って。」
「何が一番大事だと思います?」
男性は少し考えた。
「会社によって答えは違います。」
「でも。」
「私なら。」
「人を採ることじゃありません。」
悠が少し驚く。
「違うんですか?」
男性は穏やかに笑った。
「採用なんて。」
「入口です。」
「本当に大切なのは。」
「入社してから。」
「その人が。」
『この会社へ入って良かった。』
「そう思えることです。」
悠は真剣に耳を傾ける。
男性は続けた。
「採用するだけなら。」
「誰でもできます。」
「でも。」
「人を育てる仕組み。」
「人が辞めたくない環境。」
「人が成長できる制度。」
「そこまで作って。」
「初めて人事の仕事だと思っています。」
悠は思わず笑った。
(いい。)
(すごくいい。)
AIが静かに告げる。
『心拍数上昇。』
『相棒。』
『惚れましたね。』
(うるさい。)
悠はさらに尋ねた。
「でも。」
「現実は難しいですよね。」
男性は苦笑する。
「ええ。」
「理想通りにはいきません。」
「現実は。」
「今年は何人採用。」
「来年は何人採用。」
「数字ばかりです。」
「採用した後は現場任せ。」
「辞めても。」
「また採ればいい。」
「そんな考え方も少なくありません。」
少しだけ寂しそうに笑う。
「本当は。」
「人が辞めない会社を作りたいんですけどね。」
悠は静かに頷いた。
(やっぱり。)
(この人だ。)
AIの画面が切り替わる。
---
**佐伯健太**
**人材育成への関心 99%**
**現在の悩み**
・採用人数ばかり評価される
・教育制度に関われない
・人材育成を実現できない
---
『対象分析完了。』
『最大欲求。』
『人材育成です。』
悠は小さく笑った。
(攻略本だな。)
『事実です。』
男性がこちらを見た。
「釣り。」
「あまり集中できてませんね。」
悠が顔を上げる。
「え?」
「さっきから。」
「魚より。」
「私の話を聞く方が楽しそうです。」
悠の手が止まる。
(バレた。)
『対象。』
『観察力が非常に高いです。』
『表情管理を推奨します。』
(もっと早く言え。)
男性は笑った。
「仕事柄なんです。」
「人を見る癖がありまして。」
「何か相談でもありますか?」
悠は苦笑する。
「そんなに分かりやすかったですか。」
「ええ。」
「かなり。」
二人は思わず笑った。
悠は静かに釣り糸を見つめる。
(相棒。)
(決めた。)
『はい。』
『推奨します。』
悠はゆっくり頷いた。
(この人を。)
(ARCへ迎えよう。)
湖面を渡る風が、静かに二人の間を吹き抜けた。
悠は少し迷ったあと、内ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「実は。」
「少し、お話ししたいことがありまして。」
佐伯は何気なく受け取る。
会社名を見る。
「株式会社ARC……?」
その瞬間。
表情が変わった。
「え?」
「あの急成長しているARCですか?」
さらに役職を見る。
**代表取締役 神谷悠**
「学生社長って……。」
「あなたですか?」
「一応。」
佐伯は名刺と悠の顔を何度も見比べた。
「新聞では拝見したことがあります。」
「でも。」
「実際に会うと。」
「もっと落ち着いた方ですね。」
悠は苦笑した。
「よく言われます。」
佐伯は名刺を大切そうにしまう。
「それで。」
「何のお話でしょう?」
悠は真っ直ぐ佐伯を見た。
「佐伯さん。」
「さっき。」
「採用は入口だと言いましたよね。」
「はい。」
「本当に大切なのは。」
「入社してからです。」
悠は頷いた。
「その言葉を聞いて。」
「ぜひ。」
「あなたにARCへ来ていただきたいと思いました。」
佐伯は少し驚いたように笑う。
「いきなりですね。」
「まだ。」
「私の名前も知らないでしょう?」
悠は少しだけ言葉に詰まる。
(相棒。)
(どう返す。)
AIが静かに表示する。
---
**推奨回答**
『経営者の勘です。』
成功率 68%
---
(低いな。)
『別案を表示します。』
新しい文章が浮かぶ。
> **「話を聞いて確信しました。」**
> **成功率 94.8%**
(最初からそれを出せ。)
悠は笑った。
「最初は。」
「人事の仕事をしている方だと聞いていました。」
「でも。」
「さっき話を聞いて。」
「確信しました。」
「この人と一緒に会社を作りたい、と。」
佐伯は少し驚いた表情を見せる。
「……会社を作る?」
悠は力強く頷いた。
「はい。」
「人事担当をお願いしたいんじゃありません。」
佐伯の眉が少し動く。
「ARCも。」
「ここ一年で社員が一気に増えました。」
「でも。」
「今、一番困っているのは採用じゃない。」
「人を育てる仕組みです。」
「教育制度。」
「評価制度。」
「キャリアプラン。」
「新人が安心して成長できる環境。」
「全部。」
「これから作らなければいけません。」
AIが静かに告げる。
『対象分析。』
『成功率九一・三%。』
『継続してください。』
悠は続けた。
「会社を大きくするのは。」
「商品でも。」
「技術でもありません。」
「最後は、人です。」
「だから。」
「人を採る人じゃない。」
「人を守る人が必要なんです。」
佐伯の表情が変わった。
悠はさらに言葉を重ねる。
「社員が。」
『この会社へ入って良かった。』
「五年後も。」
「十年後も。」
「そう思える会社を作りたい。」
「その会社を。」
「一緒に作ってください。」
長い沈黙が流れた。
やがて佐伯が静かに口を開く。
「神谷社長。」
「実は。」
「最近。」
「少し悩んでいました。」
悠は黙って耳を傾ける。
「今年は何人採用。」
「来年は何人採用。」
「評価されるのは。」
「いつも数字だけです。」
「入社した後は現場任せ。」
「辞めても。」
「また採ればいい。」
「私は。」
「そんな人事にはなりたくありませんでした。」
AIが静かに表示する。
---
**最大欲求**
『人を育てたい』
一致率 九十九%
---
『今です。』
悠はゆっくり頷いた。
「その違和感。」
「ARCで終わらせましょう。」
「採用して終わりじゃない。」
「採用してから始まる会社を。」
「一緒に作ってください。」
佐伯は思わず笑った。
「神谷社長。」
「さっき私は言いました。」
「一緒に働きたいと思えるか。」
「最後はそこです、と。」
「はい。」
「今日。」
「それを決めたのは。」
「私じゃありません。」
悠は少し驚く。
佐伯は立ち上がった。
「神谷社長。」
「あなたです。」
「私が。」
「本当にやりたかった人事を。」
「初めて理解してくれました。」
「ぜひ。」
「一度会社を見せて頂けませんか。」
悠も立ち上がる。
二人は固く握手を交わした。
◇
数日後。
佐伯はARC本社を訪れた。
社内では営業が電話をかけ。
開発チームが仕様書を広げ。
サポート担当が顧客対応をしている。
まだ決して大企業ではない。
それでも。
社員一人ひとりの目は輝いていた。
「いい会社ですね。」
佐伯が静かに呟く。
「まだ制度は未完成です。」
「でも。」
「皆さん。」
「会社を自分のことのように考えている。」
悠は笑った。
「だから。」
「その気持ちを守ってください。」
「会社が大きくなっても。」
「変わらないように。」
佐伯は力強く頷く。
「お任せください。」
「採用だけじゃない。」
「人が成長し続けられる会社を作ります。」
こうして。
佐伯健太はARCへの入社を決めた。
◇
その日の夕方。
社長室。
西園寺が新しい組織図を見つめたまま固まっていた。
「社長……。」
「はい。」
「また見つけたんですか?」
「はい。」
「今度は人事ですか。」
「はい。」
西園寺は呆れたように笑う。
「人材って。」
「そんな簡単に見つかるものなんですか。」
悠は咳払いをする。
「まあ。」
「その……。」
「人柄というか。」
「なるほど。」
西園寺は真剣な表情で頷いた。
「やっぱり。」
「社長はすごいですね。」
悠は苦笑した。
「……そういうことにしておこう。」
西園寺が部屋を出ていく。
静かになった社長室。
AIが一言だけ呟いた。
『違います。』
(分かってる。)
『公開情報の分析です。』
『ずるをしました。』
悠は椅子にもたれた。
(うるせぇ。)
未来。
数万人の社員を支え、日本一の企業の人材を守る男。
その男は今。
まだ誰にも知られない一人の人事担当として、ARCの仲間になった。
読んでいただきありがとうございます!
もし面白いと思ってくれたら、ブクマや評価で応援してもらえると執筆の励みになります!




