仲間を選ぶ理由
新聞や雑誌でARCが大きく取り上げられてから、事務所の日常は一変した。
朝から電話が鳴り続ける。
FAXからは申込書が吐き出され、メールには無料体験の申し込みや問い合わせが次々と届く。
「はい、株式会社ARCです!」
「無料体験のお申し込みですね。ありがとうございます!」
受話器を置いた直後、隣の電話が鳴る。
白石は二台の電話を交互に取りながら、思わず声を上げた。
「嬉しいけど、全然仕事が追いつかない!」
西園寺の机にも、訪問予定や問い合わせ内容を記した書類が積み上がっていた。
「社長。」
「嬉しい悲鳴とは、まさにこのことですね。」
九条は周囲の騒ぎなど聞こえていないように、サーバーの監視画面を見つめている。
悠が後ろから覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「まだ余裕。」
「まだ?」
「増設は必要。」
「いつ頃?」
「早め。」
相変わらず説明が短い。
だが、九条の目がいつもより楽しそうなのを見て、悠は笑った。
利用企業が増えることは嬉しい。
しかし、このままでは主要メンバーが問い合わせ対応に追われ、本来の仕事ができなくなる。
悠はすぐに経験者の中途採用を決めた。
法人営業。
顧客サポート。
事務。
経理。
実務を知る人間を優先して採用し、足元の混乱を収めていく。
数週間後。
広すぎると言われていた事務所には、新しい机と椅子が並んでいた。
電話を受けるサポート担当。
資料を抱えて営業へ向かう社員。
請求書を整理する経理担当。
以前は声が反響していた空間に、人の話し声とキーボードを叩く音が満ち始めていた。
白石は事務所を見回し、感慨深そうに呟く。
「本当に埋まってきたね。」
西園寺も苦笑した。
「私も最初は、無駄に広いと言いました。」
悠は笑う。
「まだ半分も埋まってませんよ。」
中途社員が加わったことで、仕事は何とか回り始めた。
だが、ARCの成長速度はそれ以上だった。
「社長。」
会議室で、西園寺が資料を閉じる。
「今を回す人数は確保できました。」
「ですが、このまま利用企業が増えれば、すぐにまた足りなくなります。」
白石も頷く。
「サポートは少し楽になったけど、まだ増え続けてる。」
九条も短く言う。
「開発者も欲しい。」
悠は腕を組んだ。
(さらに中途採用を続けるか。)
その時、AIが静かに口を開いた。
『提案があります。』
(何だ?)
『即戦力だけでなく、将来のARCを支える人材も必要です。』
悠はすぐに意味を理解した。
(新卒か。)
『はい。』
『若いうちからARCの価値観と仕事を学んだ人材は、数年後に会社の中心となる可能性があります。』
悠は頷いた。
「新卒採用も始めよう。」
白石が尋ねる。
「また東大で説明会をする?」
悠もそのつもりだった。
だが、AIがすぐに否定した。
『東大だけでは不十分です。』
(どういうことだ?)
『才能は大学名だけで決まりません。』
『東大以外にも、ARCが必要とする能力と人格を持つ人材は存在します。』
悠は小さく笑った。
(その通りだな。)
東大には優秀な学生が多い。
しかし、優秀な人間が東大にしかいないわけではない。
悠は西園寺を見る。
「今回は東大だけでなく、近隣大学もすべて対象にしたいと思う。」
「でも、一校ずつ回るのは時間がかかります。」
「ホテルの会議室を借りて、近隣大学の学生をまとめて集めましょう。」
「大学名は問わない。」
「ARCで働きたい新卒なら、誰でも参加できる説明会にします。」
◇
合同説明会当日。
東大での会社説明会は、すでにキャンパス内で実施済みだった。
そのため、この日ホテルへ集まったのは、早稲口、慶央、二橋、明次、法制など、東大以外の大学に通う新卒学生たちだった。
受付前には、黒いリクルートスーツ姿の学生が並んでいる。
その人混みの中を、悠は私服姿で歩いていた。
シャツ。
ジーンズ。
スニーカー。
手には進行確認用の資料。
舞台裏へ戻ろうとした時、横から声をかけられた。
「君。」
悠が振り返る。
細身のリクルートスーツを着た男子学生が立っていた。
胸元には早稲田大学の学生証が見えるように下げられている。
「はい?」
「ARCの説明会?」
「そうだよ。」
男子学生は悠を頭から足元まで眺めた。
私服。
スニーカー。
ネクタイすらしていない。
口元に、露骨な嘲笑が浮かぶ。
「早稲口?」
「違うよ。」
「慶央?」
「違う。」
「二橋?」
「違うよ。」
男子学生は肩をすくめた。
「じゃあ、どこ?」
悠は答えず、穏やかに笑った。
男子学生は鼻を鳴らす。
「ああ。」
「名前を聞いても分からない大学か。」
悠は否定しなかった。
「まあ、三流大学じゃ就職活動の常識なんて教えてもらえないか。」
「仕方ないよな。」
「常識?」
悠が首を傾げる。
男子学生は待っていましたとばかりに、悠の服装を指した。
「その格好だよ。」
「まさか本当に、それで説明会へ出るつもり?」
「そうだけど。」
男子学生は呆れたように息を吐く。
「就活を舐めすぎだろ。」
「会社説明会は、会場に入ってから始まるんじゃない。」
「ホテルへ入った瞬間から選考は始まってるんだよ。」
「服装。」
「髪型。」
「靴。」
「受付での挨拶。」
「待っている時の態度。」
「企業側は全部見てる。」
「私服で来た時点で、常識がないと思われて終わりだ。」
悠は感心したように頷いた。
「詳しいね。」
「当然だろ。」
男子学生は得意げに胸を張る。
「就活は情報戦だからな。」
「学歴があるのは最低条件。」
男子学生は悠の持つ資料へ視線を落とした。
「まさか履歴書も持ってきてないの?」
「持ってないよ。」
男子学生は笑った。
「本気かよ。」
「何しに来たんだ?」
「会社の説明をしに。」
「説明を聞きに、だろ?」
「似たようなものかな。」
男子学生は肩をすくめた。
「日本語まで怪しいのか。」
「まあ、どうせ三流大学なら、周りにまともな就活をしてる奴もいないんだろうけど。」
悠は何も言い返さない。
それが、男子学生をさらに調子に乗らせた。
「ARCは今、一番注目されてる企業の一つだぞ。」
「東大生が作って、大企業を撤退させたって会社だ。」
「応募者だって山ほどいる。」
「早稲口や慶央でも簡単には入れない。」
悠をもう一度見下ろす。
「君みたいな大学の学生が、私服で来て採ってもらえるほど甘くないよ。」
「君は受かる自信があるんだ?」
悠が尋ねる。
男子学生は即答した。
「当然。」
「早稲口で成績も上位。」
「ゼミでは就活を研究してる。」
「少なくとも。」
わずかに顎を上げる。
「君よりは、会社が欲しがる人材だと思うよ。」
「そうかもしれないね。」
悠が素直に認めると、男子学生は満足そうに笑った。
「素直なのは悪くない。」
「社会へ出たら、自分より上の人間の話はちゃんと聞いた方がいい。」
「プライドだけ高い三流大学の学生は、それができないから失敗するんだ。」
『自己評価と客観評価に、大きな差があります。』
AIが淡々と分析する。
(俺でもそれは分かる。)
『承知しました。』
男子学生は悠の顔を改めて見る。
「でも君。」
「学生にしては妙に落ち着いてるな。」
「よく言われる。」
「浪人した?」
悠は答えなかった。
男子学生は、それを肯定と受け取ったらしい。
「ああ、やっぱり。」
「一浪?」
「二浪くらいか?」
「その年でやっと卒業なら、なおさら焦った方がいいぞ。」
「新卒採用は年齢も見られる。」
「ただでさえ学歴で不利なのに、浪人までしてるなら相当厳しい。」
先輩が後輩を諭すような口調で続ける。
「悪いことは言わないから、ARCみたいな人気企業は諦めた方がいい。」
「もっと小さい会社を受けろ。」
「人手不足の中小企業なら、君でも拾ってもらえるかもしれない。」
「高望みして全部落ちたら、取り返しがつかないからな。」
悠はしばらく相手を見た。
怒る気にはならなかった。
むしろ、何も知らない相手をここまで決めつけられることに、少し感心していた。
男子学生は腕時計を見る。
「そろそろ受付が始まるな。」
「俺は前の席を取るから行くよ。」
数歩進み、振り返る。
「君も次はスーツくらい用意しな。」
「今日は不採用の見本にならないよう、後ろで静かに聞いておくことだな。」
悠は笑って答えた。
「ありがとう。」
「勉強になったよ。」
その時だった。
ホテルスタッフが、小走りで近づいてくる。
「神谷社長。」
「開始五分前です。」
「皆様がお待ちです。」
男子学生の笑顔が止まった。
「……え?」
悠はスタッフへ頷く。
「分かりました。」
そして男子学生へ振り返る。
先ほどまでと変わらない、穏やかな笑顔だった。
「それじゃ。」
「またあとで。」
◇
会場の照明が落ちた。
司会を務める西園寺が壇上へ上がる。
「本日は、株式会社ARC新卒採用説明会へお越しいただき、ありがとうございます。」
会場が静まる。
「それでは。」
「株式会社ARC代表取締役。」
「神谷悠です。」
拍手の中、悠が舞台へ現れた。
服装はロビーにいた時と変わらない。
それでも壇上へ立った瞬間、誰も場違いだとは思わなかった。
男子学生の口が、わずかに開く。
「……嘘だろ。」
隣の学生が小声で言う。
「お前。」
「さっきあの社長に説教してたのか?」
男子学生は何も答えられない。
頭の中で、自分が口にした言葉が何度も繰り返されていた。
三流大学。
浪人。
就活の常識を知らない。
中小企業なら拾ってもらえる。
不採用の見本。
悠は何事もなかったように、会社の理念を語り始める。
「ARCがここまで来られたのは、一人の力ではありません。」
「技術を作る仲間。」
「使いやすさを考える仲間。」
「お客様へ価値を伝える仲間。」
「多くの人に支えられてきました。」
悠は会場を見渡す。
「私たちが求めているのは、完成された人材だけではありません。」
「経験が足りなくても。」
「今できないことがあっても。」
「これから学べばいい。」
「ただし。」
悠の声が少しだけ強くなる。
「仲間を尊重できること。」
「お客様を尊重できること。」
「肩書や見た目だけで、相手の価値を決めないこと。」
「それだけは、能力よりも大切にしています。」
男子学生は俯いた。
説明会の内容は、ほとんど頭に入らなかった。
◇
説明会終了後。
男子学生は、人混みをかき分けて悠の前まで来た。
そして深く頭を下げる。
「先ほどは。」
「大変失礼なことを言いました。」
「本当に申し訳ありませんでした。」
悠は穏やかに答える。
「顔を上げてください。」
男子学生が恐る恐る顔を上げる。
「怒ってはいません。」
「自分から謝りに来たことは、立派だと思います。」
男子学生の表情に、わずかな安堵が浮かぶ。
「ありがとうございます。」
少し迷った後、口を開いた。
「今日のお話を聞いて。」
「本気でARCに入りたいと思いました。」
「選考を受けさせていただけませんか。」
悠は静かに首を横へ振った。
「申し訳ありません。」
男子学生の顔が固まる。
「ARCは、能力だけで仲間を選ぶ会社ではありません。」
「仲間を大切にできる人。」
「お客様を大切にできる人。」
「相手を肩書や見た目だけで判断しない人。」
「そういう人と一緒に働きたいと考えています。」
悠は声を荒らげない。
嫌味も言わない。
ただ、会社の方針を説明するように続けた。
「先ほどの発言への仕返しではありません。」
「ですが、今日の時点では。」
「当社が求める価値観を共有できているとは思えません。」
一拍置く。
「申し訳ありませんが。」
「今回は、ご縁がありませんでした。」
男子学生は唇を噛み締めた。
それでも反論はしなかった。
やがて、もう一度深く頭を下げる。
「……ありがとうございました。」
悠は小さく頷いた。
「人は変われます。」
「今日、謝りに来られたことは最初の一歩です。」
「次に誰かと会った時は。」
「肩書ではなく、その人自身を見てあげてください。」
男子学生はしばらく悠を見つめた後、静かに頭を下げた。
「はい。」
今度こそ、その場を離れていく。
その背中に、先ほどまでの傲慢さはなかった。
白石が悠の隣へ来る。
「怒らなかったんだね。」
「怒る理由がないからな。」
「でも採らない。」
「会社の仲間を選ぶのは、仕返しじゃない。」
悠は会場に残る学生たちを見渡した。
「能力だけじゃなく。」
「誰と未来を作りたいかを選ぶ仕事だ。」
新卒採用への応募用紙が、次々と回収されていく。
ARCの広い事務所を埋める、新しい仲間たち。
その中にはきっと。
次の時代を共に作る人材もいるはずだった。
読んでいただきありがとうございます!
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