完敗
発表会が終わった。
競合会社へ戻る車内。
営業担当。
技術担当。
企画担当。
三人とも一言も話さなかった。
窓の外には夕暮れの街並みが流れていく。
営業担当が何度も口を開こうとした。
だが、言葉が出てこない。
ようやく絞り出した声は、小さかった。
「……信じられないな。」
技術担当は外を見たまま答える。
「私もです。」
「大学生が。」
「ここまで考えていたとは。」
再び沈黙が訪れる。
企画担当が手元の資料を見つめながら呟いた。
「俺たちは……。」
「何と戦っていたんだ。」
誰も答えられなかった。
◇
本社。
役員会議室。
社長をはじめ、役員全員が集まっていた。
営業部長が立ち上がる。
「それでは、ご報告します。」
会場の様子。
デモ。
記者たちの反応。
そして最後の価格発表。
一週間無料。
月額九千八百円。
報告が終わると、役員たちは顔を見合わせた。
誰もが困惑していた。
「無料ですか。」
「利益が出ませんね。」
別の役員も頷く。
「学生らしい発想です。」
「目先の話題作りでしょう。」
「そのうち資金が尽きます。」
社長は何も言わなかった。
静かに技術担当へ視線を向ける。
「君はどう見た。」
技術担当はゆっくり立ち上がった。
「価格は問題ではありません。」
会議室が静まる。
「問題は。」
「仕組みです。」
役員たちは首を傾げる。
技術担当は続けた。
「我々が作っているのは。」
「ソフトです。」
「ARCが作ったのは。」
少し間を置く。
「サービスです。」
役員の一人が苦笑する。
「言い方が違うだけじゃないか。」
「違います。」
技術担当は首を横に振った。
「ソフトは、お客様のパソコンで動きます。」
「ですがARCは違う。」
「お客様はブラウザを開くだけ。」
「処理も。」
「更新も。」
「データ管理も。」
「すべて向こう側です。」
誰も口を挟まない。
「私は。」
「発表会でずっと考えていました。」
「どうやって実現しているのか。」
「商品データ。」
「注文。」
「会員情報。」
「複数企業のデータをどう分けている。」
「同時アクセスをどう処理している。」
「更新した機能をどう全企業へ反映している。」
「サーバー障害が起きたらどうする。」
「バックアップは。」
「そもそもこの負荷をどう処理している。」
「考えれば考えるほど疑問が増えました。」
技術担当は苦笑した。
「ですが。」
「答えが一つも見つかりません。」
役員たちの表情が少しずつ変わっていく。
営業部長が尋ねた。
「時間をかければ。」
「作れるんじゃないか。」
技術担当は静かに首を振る。
「いいえ。」
「今の我々には作れません。」
「人を増やしても。」
「予算を増やしても。」
「ロジックが分からない。」
「設計思想が分からない。」
「そもそも。」
「何を作れば同じものになるのか。」
「それすら分からないんです。」
会議室が静まり返る。
技術担当は最後に一言だけ付け加えた。
「私が知る限り。」
「この仕組みを設計できる技術者は、いません。」
その言葉の重みが、ゆっくりと役員たちへ伝わっていった。
◇
長い沈黙のあと。
営業担当役員が口を開く。
「社長。」
「でしたら。」
「さらに値下げしましょう。」
「紹介キャンペーンも続けます。」
「こちらには資本力があります。」
「まだ戦えます。」
別の役員も頷く。
「無料体験も始めましょう。」
「月額制も検討すれば。」
「追いつけるかもしれません。」
社長は静かに目を閉じた。
そして小さく首を横へ振る。
「……もう無理だ。」
その一言で、全員が黙った。
社長は営業部長を見る。
「現在の利益率は。」
営業部長は俯いた。
「ほぼありません。」
「七万八千円まで値下げしました。」
「紹介キャンペーンで一件につき二万円。」
「広告費も増額しています。」
「営業も増員しました。」
社長は静かに頷く。
「最初から。」
「その計画だった。」
「赤字でも市場を取る。」
「競合を撤退させる。」
「その後。」
「価格を戻す。」
「保守契約で利益を回収する。」
「長期戦で勝つ。」
役員全員が頷く。
それが、この会社の勝ち筋だった。
社長はゆっくり続ける。
「だが。」
「ARCは。」
「市場そのものを変えた。」
誰も反論できない。
「我々は。」
「商品を売っていた。」
「彼らは。」
「継続して使うサービスを売り始めた。」
「もう。」
「同じ土俵ではない。」
営業担当役員が苦しそうに言う。
「それでも。」
「様子を見るべきでは。」
社長は静かに笑った。
「様子を見る?」
「勝てる見込みのない市場へ。」
「赤字を増やし続けるのか。」
「それは。」
少し間を置く。
「経営ではない。」
「ただの意地だ。」
会議室が静まり返る。
社長は立ち上がり、窓の外を見つめた。
「......撤退しよう。」
重い一言だった。
役員たちが息を呑む。
営業部長が思わず立ち上がる。
「社長!」
「まだ早すぎます!」
「もう少しだけ——」
社長は振り返った。
その表情は驚くほど穏やかだった。
「撤退も。」
「経営判断だ。」
「勝てない戦いを続けることが勇気ではない。」
「社員を守る。」
「会社を守る。」
「そのために退く。」
「それも経営者の仕事だ。」
営業部長は何も言えなかった。
一人、また一人と役員たちが静かに頭を下げる。
誰も納得したわけではない。
だが。
誰も社長の判断が間違っているとは言えなかった。
社長は机の上に置かれた発表会の資料を手に取る。
壇上で笑う神谷悠。
その写真をしばらく見つめる。
そして、小さく笑った。
「見事だった。」
「神谷君。」
「完敗だ。」
その声には悔しさもあった。
だが、それ以上に相手への敬意があった。
競合会社は、その日。
ネットショップ作成ソフト事業からの撤退を決断した。
それは逃げではない。
勝てない現実を受け入れ、会社の未来を選んだ。
一人の経営者の、潔い決断だった。
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