ソフトを売らない会社
「本日は。」
「ARCが考える、これからのソフトウェアについてお話しします。」
悠の声が、静かな会場に響いた。
記者たちは一斉にペンを走らせる。
前方にはネットショップの開設を検討する企業担当者。
その後ろには既存顧客。
そして最後列には、競合会社から送り込まれた三人の社員が座っていた。
悠は会場をゆっくり見渡す。
「これまで、ソフトウェアは買うものでした。」
スクリーンに、一枚の写真が映し出される。
大きな箱。
その中に入った説明書とCD。
「店へ行く。」
「箱を買う。」
「CDをパソコンへ入れる。」
「インストールする。」
「設定する。」
「使い方を覚える。」
会場にいる多くの人が、当然のように頷いた。
それがソフトウェアというものだった。
「新しい機能が追加されれば、新しいバージョンを買う。」
「またインストールする。」
「場合によっては、以前のデータを移し替える。」
悠は一度言葉を切った。
「私たちは。」
「この当たり前をやめます。」
会場に小さなどよめきが広がった。
最後列。
競合会社の技術担当者が身を乗り出す。
悠は舞台袖へ視線を向けた。
九条が小さく頷く。
スクリーンの画面が切り替わった。
そこに表示されたのは、何も入っていないパソコンだった。
悠が壇上のパソコンを操作する。
インターネットブラウザを開く。
ARCショップメーカーのページへ接続。
IDとパスワードを入力する。
それだけだった。
数秒後。
画面には管理画面が表示された。
会場がざわつく。
「今、インストールしたか?」
「してない。」
「ブラウザを開いただけだ。」
記者たちの声があちこちから聞こえる。
悠は何も説明せず、デモを続けた。
「まず、業種を選びます。」
画面に二十種類の業種が並ぶ。
悠はその中から、日用雑貨を選択した。
クリック。
画面が切り替わる。
商品一覧。
おすすめ商品。
季節商品の表示枠。
カテゴリ。
買い物かご。
必要なものが最初から配置されたネットショップが完成した。
会場から声が上がる。
「もうできたのか?」
「早すぎる。」
悠は続ける。
「色も選べます。」
白。
茶色。
青。
緑。
黒。
ボタンを押すたびに、店全体の印象が変わる。
「業種別テンプレートは二十種類。」
「配色を組み合わせれば、百通り以上から選べます。」
カメラのシャッター音が一気に増えた。
IT専門誌の記者が隣の記者へ小声で話す。
「前のバージョンより、さらに進化してる。」
「あれをネット上で動かしているのか?」
「そう見える。」
悠は商品登録画面を開いた。
商品名。
価格。
説明。
写真。
必要な情報を入力する。
保存。
数秒後。
公開されているネットショップに商品が追加された。
「今、反映された?」
「更新作業は?」
「何もしていないぞ。」
悠は壇上とは別のパソコンを指した。
西園寺がそのパソコンから同じネットショップを開く。
先ほど登録した商品が、すでに表示されていた。
会場が大きくざわめいた。
「別のパソコンだ。」
「本当にインターネットだけで動いてる。」
「データはどこにあるんだ?」
最後列。
競合会社の技術担当者が、手帳へ激しく書き込んでいた。
隣の営業担当が小声で尋ねる。
「どういうことだ。」
「分からない。」
技術担当者は画面から目を離さない。
「ただのネットショップ作成ソフトじゃない。」
悠は次にカード決済画面を表示した。
「カード決済にも対応しています。」
「お客様は商品を選び。」
「その場で支払いを終えられます。」
「振込を待つ必要もありません。」
企業担当者たちの表情が変わる。
便利なソフトとしてではない。
実際に自社の売上を増やす仕組みとして、画面を見始めていた。
悠はさらに、別のページを開いた。
そこには新しい機能の追加通知が表示されている。
「これからARCが機能を追加した場合。」
「お客様が何かをインストールする必要はありません。」
「ARC側で一度更新すれば。」
「次に画面を開いた時には、すべてのお客様が最新バージョンを使えます。」
会場の空気が変わった。
ここまでの機能は、優れたソフトウェアの話だった。
だが、今の説明は違う。
ソフトウェアの提供方法そのものが変わろうとしている。
一人の記者が手を挙げた。
「質問してもよろしいでしょうか。」
悠が頷く。
「どうぞ。」
「つまり。」
「御社は、ソフトをインターネット上で動かしているということでしょうか。」
「はい。」
「利用者側のパソコンには、インストールしない?」
「必要ありません。」
「別のパソコンでも?」
「IDとパスワードがあれば使えます。」
会場が再びざわつく。
記者はさらに尋ねた。
「パソコンが壊れても。」
「データは残るのですか。」
「残ります。」
悠は即答した。
「データはお客様のパソコンの中ではなく。」
「ARCの管理するサーバーに保存されています。」
「新しいパソコンからログインすれば、続きから使えます。」
記者は呆然としたまま席へ座った。
最後列。
競合会社の技術担当者が小さく呟く。
「まずい。」
営業担当が振り返る。
「何がだ。」
「同じものを作るなら。」
技術担当者は答えに詰まった。
「今の商品を改良するだけじゃ無理だ。」
「最初から作り直す必要がある。」
企画担当者の表情も固まる。
「どれくらいかかる。」
「分からない。」
「でも数週間では絶対に無理だ。」
営業担当者は壇上の悠へ視線を戻した。
まだ価格が発表されていない。
高額になる。
きっとそうだ。
これだけの仕組みなら、今までの二十九万八千円を上回る可能性すらある。
そうであれば、価格で対抗できる。
営業網でも勝てる。
会場の企業担当者たちも、同じことを考え始めていた。
便利なのは分かった。
すごいのも分かった。
問題は価格だった。
悠はスクリーンを消した。
会場のざわめきが少しずつ静まっていく。
「ここまでが。」
「新しいARCショップメーカーの説明です。」
悠は一度、舞台袖へ視線を向けた。
西園寺は静かに頷く。
九条は無表情のまま画面を確認している。
白石は両手を握り締めていた。
悠は会場へ向き直る。
「最後に。」
「料金についてお話しします。」
会場の空気が張り詰めた。
記者たちがペンを構える。
企業担当者は資料へ目を落とす。
競合会社の営業担当者も、価格を書き留める準備をした。
悠は静かに告げた。
「新しいARCショップメーカーは。」
一拍置く。
「一週間。」
「無料でご利用いただけます。」
会場が静まり返った。
誰も反応できなかった。
数秒後。
遅れて声が上がる。
「無料?」
「聞き間違いか?」
「一週間だけとはいえ、全機能を?」
悠は続けた。
「テンプレート。」
「カード決済。」
「商品登録。」
「注文管理。」
「すべての機能をご利用いただけます。」
「使用できる機能に制限はありません。」
記者の一人が慌てて手を挙げる。
「その後の購入価格は?」
会場の視線が再び悠へ集まった。
悠は笑った。
「購入していただく必要はありません。」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
「気に入っていただけた場合のみ。」
「月額九千八百円で、継続してご利用いただけます。」
一瞬。
完全な静寂が訪れた。
そして。
会場が爆発した。
「月額?」
「九千八百円!?」
「二十九万八千円じゃないのか?」
「買い切りをやめるということか?」
「一週間試して、気に入らなければ払わなくていい?」
記者たちが一斉に手を挙げる。
カメラのシャッター音が途切れない。
企業担当者たちは隣同士で話し始める。
「これなら稟議を通す必要もない。」
「まず試せる。」
「失敗しても損がない。」
「すぐ申し込めるぞ。」
舞台袖。
西園寺は会場の反応を見つめていた。
営業人生の中で、数え切れないほど価格への反対を受けてきた。
高い。
予算がない。
失敗が怖い。
検討する。
その壁が。
目の前で一気に消えていく。
(勝てる。)
西園寺の中に、確信が生まれた。
(これなら。)
(商品を売り込む必要すらない。)
(使ってもらえばいい。)
悠は騒然とする会場を見渡した。
そして、ゆっくり両手を上げる。
少しずつ声が静まっていく。
「今まで。」
「ソフトウェア会社は、商品を売ってきました。」
「ですが。」
「私たちは、商品を売りません。」
会場が再び静かになる。
「お客様が使い続けたいと思えるサービスを提供します。」
「必要な時に始められる。」
「必要がなくなれば、やめられる。」
「更新のたびに買い直す必要もない。」
「常に最新の機能を使える。」
悠はゆっくりと言葉を続けた。
「ソフトウェアは。」
「買うものから。」
「使うものへ変わります。」
その瞬間。
会場のあちこちで、記者たちが再びペンを走らせた。
翌日の見出しが。
その場ですでに決まり始めていた。
最後列。
競合会社の技術担当者は、画面から目を離せなくなっていた。
隣の営業担当が小声で尋ねる。
「どういうことだ。」
「ブラウザで動いている。」
「それは見れば分かる。」
技術担当者は首を横に振った。
「そういう話じゃない。」
「商品情報。」
「注文。」
「顧客データ。」
「全部が一つの仕組みで動いている。」
「しかも複数の企業が、同時に利用している。」
企画担当者が身を乗り出した。
「うちでも作れるか?」
技術担当者は答えなかった。
壇上では悠が別のパソコンからログインし、先ほど登録した商品を表示している。
更新は一瞬だった。
営業担当がもう一度聞く。
「作れるのか。」
長い沈黙。
そして技術担当者は、小さく息を吐いた。
「無理です。」
その一言で、二人の表情が変わる。
「そんなに難しいのか?」
「難しい、じゃない。」
技術担当者はゆっくり首を振る。
「理解できない。」
「……え?」
「どういう設計思想なのか。」
「どんな構造で動いているのか。」
「何をどう分散しているのか。」
「そのロジックが、まったく見えない。」
営業担当は眉をひそめた。
「中身が見えないだけじゃないのか。」
「違う。」
技術担当者の声が低くなる。
「仮にソースコードを見せられても。」
「今の私たちでは理解できる自信がない。」
営業担当は言葉を失った。
技術担当者は続ける。
「利用者ごとのデータを、どう管理している。」
「同時に注文が入っても、なぜ混ざらない。」
「更新した機能を、なぜ全利用者へ一度に反映できる。」
「サーバーが止まったら、どうする。」
「負荷が十倍になったら、どうする。」
「疑問はいくらでも出てくる。」
「でも。」
「答えが一つも想像できない。」
企画担当者が恐る恐る尋ねる。
「人を集めれば……。」
技術担当者は苦笑した。
「誰をですか。」
「こんな設計ができる技術者を、私は知りません。」
「少なくとも、今まで聞いたこともない。」
二人は息を呑む。
技術担当者はスクリーンを見つめたまま呟いた。
「これは。」
「ソフトじゃない。」
営業担当が聞き返す。
「え?」
技術担当者は静かに言った。
「サービスだ。」
「考え方そのものが違う。」
「今までのソフトウェア開発の延長線じゃない。」
「だから。」
「今のうちでは真似できない。」
「値段を下げても。」
「機能を追加しても。」
「追いつく方法が分からない。」
会場が拍手に包まれる。
その音を聞きながら、技術担当者は静かに目を閉じた。
自分たちが戦っていた相手は。
学生のベンチャー企業ではなかった。
気付かないうちに。
まったく別の時代を見ている会社と戦っていたのだ。
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