戦う場所
競合会社が紹介キャンペーンを始めてから、一か月。
市場はさらに熱を帯びていた。
価格重視の企業は競合へ。
使いやすさを重視する企業はARCへ。
どちらも売れている。
しかし、その勢いは少しずつ変わり始めていた。
営業部。
西園寺が新しい契約書を机へ置く。
「今月も目標は達成しました。」
その声に、事務所の空気が少しだけ和らぐ。
だが、西園寺の表情は晴れていなかった。
「ですが……。」
悠が顔を上げる。
「追い上げられてます。」
西園寺は販売推移のグラフを机へ広げた。
「紹介キャンペーンの効果が出始めています。」
「相見積もりになると、価格差とキャッシュバックで持っていかれるケースも増えてきました。」
白石がため息をつく。
「やっぱり資本がある会社は強いね……。」
悠は静かに頷いた。
「ああ。」
「資本の力は恐ろしい。」
その言葉に、誰も反論しなかった。
まだ戦えている。
だが、勝ってるとは言えない。
競合もまた、大企業の資本力を武器に、着実に追い上げてきていた。
◇
その日の夜。
事務所には悠一人だけが残っていた。
窓の外には、深夜になっても消えない都会の灯りが広がっている。
机の上には販売データ。
競合会社のキャンペーン資料。
そして、自分で書き込んだ市場分析。
悠はそれらを静かに見つめ、小さく呟いた。
「戦う場所を変える……か。」
昼間、AIが残した言葉だった。
価格競争。
紹介キャンペーン。
資本力。
どれも今のARCでは真正面から戦えば不利になる。
悠は椅子にもたれ、ゆっくりと目を閉じた。
前世の記憶を辿る。
(そういえば……。)
(昔はソフトって、みんなCDで買ってたよな。)
ワープロソフト。
画像編集ソフト。
会計ソフト。
箱を開けて。
CDを入れて。
インストールする。
それが当たり前だった。
(でも……。)
(いつからだったかな。)
(気付いたら。)
(ネットでログインするだけで使えるようになってた。)
(ほとんどがそうなってた。)
(あれなら。)
(ソフトを売るんじゃなくて。)
(ネットを通して、みんなで同時に使えるようにすれば……。)
悠はそこで言葉を止めた。
(あれ。)
(なんて言うんだっけ。)
AIが静かに答える。
『SaaSですね。』
悠は小さく笑う。
「そうだ。」
「そんな名前だった。」
『Software as a Service。』
『ソフトウェアを販売するのではなく、サービスとして提供する形態です。』
悠は頷いた。
「便利だとは思ってた。」
「でも。」
「仕組みまではよく分かってなかった。」
AIが続ける。
『利用者はソフトを購入しません。』
『毎月利用料を支払います。』
『販売ではなく、継続利用によって利益を得る仕組みです。』
悠は机へ図を書き始める。
CD。
↓
お客様。
そこへ大きく×を書く。
代わりに。
ARC。
↓
インターネット。
↓
全国のお客様。
「なるほど……。」
「ソフトを配るんじゃない。」
「サービスを提供するのか。」
『はい。』
『売り切りではありません。』
『利用される限り、毎月売上が積み重なります。』
悠は笑った。
「これなら。」
「価格競争をする必要がなくなる。」
「ソフトは無料でもいい。」
「毎月利用してもらえればいいんだから。」
AIは静かに肯定する。
『未来では一般的な経営モデルです。』
悠はペンを置いた。
「でも。」
「今の技術で本当にできるのか。」
AIは少しだけ間を置く。
『相棒。』
『九条玲司なら可能です。』
悠は首を傾げる。
「あれか」
『大学へ入学した頃。』
『四台のパソコンを並べて研究していました。』
その瞬間。
悠の脳裏に、あの大学研究室が浮かぶ。
机いっぱいに並んだ四台のパソコン。
配線だらけの床。
「分散。」
あの時は驚いた。
AIが続ける。
『九条玲司は。』
『一台へ処理を集中することを避け、複数のコンピューターへ仕事を分散する研究を続けていました。』
悠は思わず立ち上がった。
「確かに使えそうだな。」
『彼はSaaSという言葉は知りません。』
『ですが。』
『必要になる技術は、すでに研究しています。』
悠は笑みを浮かべる。
「相変わらず。」
「時代を先取りしすぎだ。」
◇
翌朝。
悠は九条の机へ向かった。
「九条。」
九条はキーボードを打つ手を止める。
「何。」
悠は紙を一枚取り出した。
CDの絵を描き、大きく×を付ける。
「ソフトを売るのをやめたい。」
九条が初めて顔を上げた。
「……?」
「無料で配る。」
「は?」
「毎月利用料。」
悠はさらに図を書き足す。
ARC。
↓
サーバー。
↓
インターネット。
↓
全国のお客様。
「お客様は。」
「CDを買わない。」
「ブラウザを開くだけ。」
「更新も全部こっち。」
「開けば、いつでも最新版。」
九条は紙を見つめたまま動かない。
長い沈黙。
やがて、小さく呟いた。
「……処理が追いつかない。」
悠は笑う。
「やっぱりそうか。」
九条は紙を裏返し、新しい図を書き始める。
四つの四角。
「画像。」
「商品。」
「注文。」
「会員。」
一本だった線を四本へ分ける。
「仕事を分ける。」
「負荷も分かれる。」
「アクセスが増えても落ちない。」
悠は思わず笑った。
「分散処理。」
「できるかの......?」
「あの研究をずっと続きをやりたかった。」
「やっとここで使える。」
AIが静かに分析する。
『分散処理構造。』
『将来のクラウドサービスとの親和性を確認。』
『九条玲司。』
『実現可能と判断します。』
悠は九条の肩を軽く叩いた。
「九条。」
「今度はソフトを作るんじゃない。」
「時代を作るぞ。」
九条は少しだけ笑った。
「面白い。」
その一言を残すと、すでに新しい設計図を書き始めていた。
悠はその背中を見つめながら、小さく笑う。
「反撃じゃない。」
「ここからが、本当の勝負だ。」
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