アポイント
「会うことです。」
相棒の静かな声を思い出す。
悠はベンチに座ったまま、空を見上げる。
(会う……。)
(会えないから始まらない。)
(じゃあ、どうやって会う?)
しばらく考えた末、悠はゆっくり立ち上がった。
「アポイントだ。」
白石が首を傾げる。
「アポイント?」
「予約がないから会えない。」
「だったら、先に約束を取ればいい。」
九条が腕を組む。
「どうやって。」
悠は短く答えた。
「電話だ。」
三人は顔を見合わせた。
法人営業。
その最初の一歩は、受話器の向こう側にあった。
◇
翌日。
ARCの事務所。
机の上には白紙のノートが広げられていた。
悠はペンを持ったまま止まる。
「……電話番号がない。」
白石も困った顔をする。
「会社って、どうやって探すんですか?」
九条はパソコンを開く。
「検索してみる。」
しかし表示される会社はわずかだった。
「ホームページが少ない。」
(二〇〇一年じゃ、まだまだ少ないか。)
悠は部屋を見回した。
その時、棚の隅に分厚い黄色い本が目に入る。
「これだ。」
手に取ったのはタオンページだった。
白石が目を丸くする。
「こんな本、初めて開きました。」
悠はページをめくる。
「ネットにないなら、紙を使う。」
九条は画面を見つめたまま言った。
「ネットにある会社だけでも一覧にしてみる。」
「ないよりはいい。」
その日の夜。
九条は簡単な一覧を作り上げた。
ネットから集めた会社。
タオンページから調べた会社。
二つを合わせると、それなりの数になった。
悠は深呼吸する。
「始めよう。」
◇
一本目。
プルルルル――
「はい、○○株式会社です。」
悠は緊張で喉が渇く。
「あ、あの……株式会社ARCの神谷と申します。」
「販売管理ソフトのご案内で――」
ガチャ。
電話が切れた。
部屋が静まり返る。
白石が苦笑する。
「早かったですね……。」
悠も苦笑した。
「三秒だった。」
二本目。
「必要ありません。」
ガチャ。
三本目。
「担当がおりません。」
ガチャ。
四本目。
「間に合っています。」
ガチャ。
五本目。
「結構です。」
ガチャ。
午前中だけで三十件。
成果はゼロだった。
◇
昼休み。
悠は缶コーヒーを飲みながら天井を見つめる。
(何が悪い。)
AIが静かに答える。
『営業と判断されるまで三秒でした。』
悠は目を閉じる。
(……どうすればいい。)
『考えてください。』
それだけだった。
悠はノートを開く。
会社名。
自己紹介。
商品説明。
一つずつ線を引いていく。
「長いな……。」
午後。
もう一度電話をかける。
「お忙しいところ失礼いたします。」
「株式会社ARCの神谷と申します。」
「少しだけ、お時間をいただけませんか。」
前より少しだけ長く話せた。
それでも最後は断られた。
電話を切る。
AIが一言だけ告げる。
『改善しています。』
悠は小さく笑った。
「そうか。」
◇
日が変わる。
電話。
電話。
電話。
百件。
成果なし。
白石は受話器を置いた。
「もう無理ですよ!」
「百社ですよ!」
「全部断られてるじゃないですか!」
「本当に意味があるんですか!」
部屋が静まり返る。
悠も疲れていた。
それでも受話器を持ち上げる。
「まだ百件だ。」
白石は呆れた顔をする。
悠は静かに言った。
「百回断られただけだ。」
「百一社目は、まだ断られてない。」
その一言に、白石は何も返せなかった。
◇
それからも電話は続いた。
受付で止められる。
担当につながる。
断られる。
また考える。
また電話をかける。
AIは時折、小さなヒントだけを残した。
『受付の役割を考えてください。』
『相手の立場を分析してください。』
『改善されています。』
答えは教えない。
考えるのは、いつも悠だった。
少しずつ。
本当に少しずつ。
担当者につながる回数が増えていった。
それでも。
アポイントは一件も取れない。
◇
受話器の横には付箋が積み重なった。
タオンページには赤い印が増えていく。
飲みかけのコーヒー。
書き直された台本。
「……四百九十九。」
悠は小さく呟いた。
深呼吸をする。
五百本目の電話だった。
プルルルル――
「はい。」
受付の女性の声。
悠は落ち着いて名乗る。
用件を伝える。
担当部署へつないでもらう。
受話器の向こうで保留音が流れる。
(頼む。)
やがて男性の声が聞こえ要件を無駄なく伝える。
「来週の火曜日でしたら、お時間を取れます。」
悠は一瞬、言葉を失った。
「……ありがとうございます。」
電話を切る。
部屋には静寂が流れた。
白石が恐る恐る尋ねる。
「今……。」
「約束、しました?」
悠は静かに笑う。
「ああ。」
「やっと会える。」
商品は、まだ一つも売れていない。
それでも。
五百本目の電話で。
初めて、法人と約束を交わした。
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