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有名人

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「いつものパンを一つ。」


昼休み。


工学部の佐伯教授は、大学近くのパン屋に立ち寄っていた。


「ありがとうございます。」


店主は笑顔で袋を差し出す。


「そうだ先生。」


「ちょっと見てもらいたいものがあるんです。」


店主がパソコンの画面を見せる。


画面に映し出されたのは、新しくなった店のホームページだった。


「ほう。」


佐伯教授は静かに画面を眺める。


派手ではない。


しかし、どこに何があるのか一目で分かる。


商品の写真も見やすい。


注文まで迷わない。


「使いやすいですね。」


「でしょう?」


店主は嬉しそうに笑う。


「東大の学生さんが作ってくれたんですよ。」


「うちの学生が?」


「ええ。」


「ホームページだけじゃないんです。」


店主がレジ横のパソコンを操作する。


売上。


在庫。


仕入れ。


発注。


すべてが分かりやすく整理されている。


「この販売管理ソフトも、その子たちが作ったんです。」


佐伯教授は画面を操作する。


クリック。


入力。


検索。


動作は軽い。


必要な情報がすぐ見つかる。


「なるほど……。」


「正直、最初は学生だから半信半疑でした。」


店主は笑いながら続ける。


「でも今じゃ、このソフトなしじゃ仕事になりません。」


「売上も上がりましたし、仕事も早くなりました。」


「商売が本当に楽になったんです。」


教授は静かに頷いた。


「いい仕事をしましたね。」


その一言だけだった。


しかし、その言葉には十分な重みがあった。


翌週。


佐伯教授の講義。


教室には二百人近い学生が座っている。


講義が始まる前。


教授は資料を閉じた。


「今日は本題に入る前に、一つだけ。」


教室が静かになる。


「先日、面白いものを見ました。」


スクリーンに一枚のホームページが映し出された。


「あるパン屋のホームページです。」


学生たちは不思議そうに眺める。


教授は続けた。


「これを作ったのは、本学の学生です。」


教室がざわついた。


「東大生?」


「誰?」


「知ってる?」


教授はざわめきが収まるのを待ってから話を続ける。


「ホームページ自体もよくできています。」


「販売管理ソフトも、非常に実用的でした。」


学生たちは真剣に聞き始める。


教授は静かに言った。


「しかし、私が感心したのは技術だけではありません。」


教室が静まり返る。


「大学では、優れた研究や優れた技術は数多く生まれます。」


「ですが、それらが社会で使われるところまで辿り着く例は、決して多くありません。」


教授はパン屋で聞いた言葉を思い出していた。


『商売が本当に楽になったんです。』


「技術を作ることは難しい。」


「しかし、その技術で誰かの生活や仕事を変えることは、もっと難しい。」


教授は学生たちを見渡す。


「彼らは、それを実際にやっていました。」


「研究室の中ではなく、社会の中で。」


そう言って教授は資料を開いた。


「では、講義を始めましょう。」


たった五分の雑談だった。


しかし、その五分で十分だった。


講義が終わると同時に、教室中で声が上がる。


「誰なんだ?」


「情報工学らしいぞ。」


「会社まで作ってるって。」


「販売管理ソフトも作ったらしい。」


噂は昼休みには工学部中へ。


翌日には経済学部へ。


数日後には東大中へ広がっていた。


翌朝。


悠たち三人は、いつものようにキャンパスを歩いていた。


「あの……。」


突然、一人の男子学生が声を掛ける。


「神谷さんですよね?」


悠は足を止めた。


「そうだけど。」


「教授が講義で紹介してました!」


「パン屋のホームページ、すごかったです!」


「会社、頑張ってください!」


そう言って頭を下げ、走っていった。


悠はしばらく立ち尽くした。


「……何だ今の。」


白石も驚いている。


「私たち、知り合いでしたっけ?」


その直後。


今度は女子学生が駆け寄ってきた。


「あの!」


「白石さんですよね!」


「画面デザインされたって聞きました!」


「すごく見やすかったです!」


「私、将来デザイナーを目指してるので憧れます!」


白石は顔を真っ赤にした。


「えっ……。」


「あっ……ありがとうございます。」


女子学生が去った後も、白石はしばらく動けなかった。


「わ、私……褒められました。」


悠が笑う。


「当然だ。」


その日の午後。


九条は研究室の前で学生に呼び止められた。


「九条君。」


「販売管理ソフトのプログラム、本当に一人で書いたの?」


「ああ。」


「今度見せてくれない?」


九条は少し考えた。


「……いい。」


短い返事だった。


だが、その口元は少しだけ緩んでいた。


昼休み。


三人は学食で向かい合って座っていた。


周囲から時折、視線を感じる。


白石が小声で言う。


「……見られてません?」


「見られてるな。」


悠は平然とカレーを食べている。


九条は味噌汁を飲みながら一言。


「落ち着かない。」


悠は少しだけ笑った。


「有名人ってのも大変だな。」


白石がすぐに突っ込む。


「調子に乗ってます?」


「少し。」


頭の中でAIが静かに告げた。


『現在、自己満足度が過去最高値を更新しました。』


悠は心の中で笑う。


(今日は許せ。)


『了解しました。』


窓の外では、新入生たちが楽しそうに歩いている。


昨日まで何者でもなかった三人。


けれど今日だけは。


東大で、一番名前を知られている三人だった。

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