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俺たちの商品に、名前がない

初めての契約を終えた日の夜。


三人は大学近くの居酒屋にいた。


決して高い店ではない。


学生でも気軽に入れる、ごく普通の居酒屋だ。


木のテーブルには焼き鳥、枝豆、唐揚げ。


そして、大きなジョッキが三つ並んでいた。


悠はジョッキを持ち上げる。


「それじゃあ。」


九条と白石もグラスを手に取る。


「ARC、初契約おめでとう。」


「乾杯!」


カラン。


三つのグラスが軽くぶつかる。


悠は一口飲むと、大きく息を吐いた。


「……うまい。」


「今日は格別ですね。」


白石が笑う。


九条も静かに頷いた。


「確かに。」


その一言だけだった。


だが、その「確かに」には、ここ数か月の苦労が全部詰まっていた。


何度も作り直した。


何度も断られた。


それでも諦めず、ようやく初めて、自分たちのソフトにお金を払ってくれる人が現れた。


その事実だけで十分だった。


しばらくは仕事とは関係ない話で盛り上がる。


大学の講義。


教授の癖。


学食の新メニュー。


そんな他愛もない話が、今日はやけに楽しい。


唐揚げを口に運びながら、白石がふと思い出したように言った。


「そういえば。」


「今回の契約って、いくらだったんですか?」


悠はジョッキを置く。


「二十万円。」


白石の箸が止まる。


「二十万円……。」


少し計算してから、驚いたように顔を上げた。


「えっ。」


「結構利益ありますよね?」


悠は少し笑った。


「今はな。」


「今は?」


「今は事務所もアパートだし、社員も三人だけだ。」


「給料も最低限しか出してない。」


「HP制作の方もまずまず。」


「だから利益は残る。」


白石は安心したように頷く。


「じゃあ順調なんですね。」


「いや。」


悠は首を横に振った。


「会社は大きくなるほど金がかかる。」


九条が興味深そうに顔を上げる。


悠は指を折りながら続けた。


「まず事務所を借りる。」


「社員を増やす。」


「パソコンも増える。」


「サーバー代も増える。」


「広告も出す。」


「社会保険も税金もある。」


「利益なんて、あっという間に消える。」


白石は目を丸くした。


「社長って、大変なんですね……。」


悠は苦笑する。


「だから利益が出た時ほど気を引き締める。」


「会社は儲かった時に調子に乗ると、一番危ない。」


九条が静かに頷く。


「合理的だ。」


「だろ?」


悠は笑った。


「だから今日くらいしか、安心して飲めない。」


三人は思わず笑う。


その笑いが落ち着いた頃。


白石が何気なく口を開いた。


「そういえば。」


「一つ聞いてもいいですか?」


「何?」


「私たちのソフトって……。」


「名前、何ていうんですか?」


店の空気が止まった。


悠と九条が同時に固まる。


白石が不思議そうに二人を見る。


「え?」


「ありますよね?」


九条が答える。


「販売管理ソフト。」


「それは種類です。」


白石は即座に突っ込んだ。


「正式名称です。」


「正式名称でもありません。」


契約書には会社名とサービスしか書いていない。


商品名を書く欄はまだない。


ここまで誰も気付かなかった。


九条は作ることしか考えていない。


白石は使いやすさしか考えていない。


悠は売ることしか考えていなかった。


三人とも、一番大事なことを忘れていた。


「じゃあ決めるか。」


悠が腕を組む。


「まず九条。」


「お前から。」


九条は少し考えた。


「ARC販売管理システム Version1.0。」


悠は即答した。


「却下。」


「なぜ。」


「説明書みたいだ。」


白石も苦笑する。


「夢がないです。」


「事実を表している。」


「夢も表してください。」


続いて白石。


「ARC Link。」


悠は首をひねる。


「何するソフトか分からん。」


九条も頷いた。


「機能を推測できない。」


「二人ともセンスないですね。」


白石は少し膨れた。


「じゃあ最後は俺。」


悠は胸を張る。


数秒考え、


自信満々に言った。


「ARCショップオーナー。」


沈黙。


白石がゆっくり口を開く。


「……ダサいです。」


「何でだ。」


「そのまますぎます。」


九条も真顔で言う。


「思考時間に対して成果が低い。」


「お前まで。」


悠は納得がいかない。


「でも何するソフトか、一発で分かるだろ?」


白石と九条は顔を見合わせた。


反論できない。


白石が小さく笑う。


「確かに。」


「覚えやすいです。」


九条も頷いた。


「説明コストは低い。」


悠は満足そうに笑った。


「じゃあ決まり。」


「もっといい名前を思いつくまで。」


「ARCショップオーナー。」


三人はもう一度ジョッキを持ち上げる。


「乾杯。」


カラン。


店の片隅で鳴った小さな音は、


まだ誰にも知られていない、一つの商品の産声だった。


数年後。


その少しだけ野暮ったい名前が、日本中の店主に知られることになるとは。


この時の三人は、まだ知らない。

読んでいただきありがとうございます!

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