使う人の天才
部屋の空気が静まり返っていた。
九条はノートパソコンを見つめたまま、何も言わない。
美咲は少し申し訳なさそうに笑った。
「ごめんなさい。勝手なことばかり言っちゃって。」
「別に。」
九条は短く答えた。
「問題があるなら聞く。」
悠は少し驚いた。
昨日まで何を言っても譲らなかった九条が、自分から続きを求めている。
美咲は少し考えてから言った。
「紙、ありますか?」
悠はコピー用紙とペンを差し出した。
美咲は迷うことなく紙に四角を描き始める。
「私だったら、最初の画面はこうします。」
紙には大きなボタンが三つだけ描かれていた。
**商品を登録する**
**注文を見る**
**売上を見る**
九条は眉をひそめる。
「少なすぎる。」
「機能が足りない。」
美咲は首を振った。
「足りてます。」
「隠してあるだけです。」
「隠す?」
「はい。」
紙の端に、小さく一つのボタンを書き足す。
**▼詳しい設定**
「必要な人だけ、ここを押します。」
九条は腕を組んだ。
「隠す意味が分からない。」
「全部見せた方が便利だ。」
美咲は笑った。
「九条さん。」
「はい。」
「初めてゲームをするとき、最初から全部の技を覚えますか?」
「……。」
「最初は歩くだけですよね。」
「少しずつ覚えるから遊べます。」
「最初から百個説明されたら。」
「私は遊びたくなくなります。」
九条は何も言わなかった。
美咲はもう一枚紙を取り出す。
「商品登録も同じです。」
そこには、
**商品名**
**価格**
**写真**
それだけが書かれていた。
九条がすぐに口を開く。
「税率は。」
「あとで。」
「在庫設定。」
「あとで。」
「配送方法。」
「あとで。」
「商品分類。」
「あとで。」
美咲は笑顔のまま答えた。
「最初から全部聞かれたら。」
「私は帰ります。」
悠は思わず吹き出した。
昨日の店主も、ほとんど同じことを言っていた。
九条はまだ納得していない。
「だが。」
「結局やることは同じだ。」
「デザインを変えただけで、本当に売れるのか。」
その質問に、美咲は迷わなかった。
「売れます。」
即答だった。
九条の眉がわずかに動く。
「なぜ言い切れる。」
美咲は二枚の紙を並べた。
一枚目。
**商品登録**
↓
入力
↓
保存
二枚目。
**管理画面**
↓
商品管理
↓
商品基本情報
↓
販売条件
↓
配送設定
↓
税率設定
↓
保存
「どっちが早いですか?」
九条は答えない。
「どっちが迷いませんか?」
沈黙。
「どっちが怖くないですか?」
九条は紙を見つめたままだった。
美咲は続ける。
「人って、考えるのが嫌なんです。」
「選択肢が増えると止まります。」
「止まると不安になります。」
「不安になると閉じます。」
「だから最初は考えさせちゃ駄目なんです。」
悠は黙って聞いていた。
その説明は驚くほど自然だった。
理論を話しているようには聞こえない。
まるで当たり前のことを話しているだけのようだった。
『分析開始。』
AIが静かに告げる。
『白石美咲の発言を解析します。』
美咲はさらに紙へ書き足した。
「あと、この保存ボタン。」
「右上にありましたよね。」
九条が頷く。
「入力が終わる場所は、一番下です。」
「だから。」
紙の一番下に大きく四角を描く。
**保存する**
「ここにある方が自然です。」
「入力が終わったら、そのまま押せます。」
九条は小さく呟く。
「……なるほど。」
美咲は止まらない。
「あと、この赤いボタン。」
「重要だから赤にした。」
九条が答える。
「でも。」
「赤って怖い色なんです。」
「押したら消えそうって思います。」
「だから押したくありません。」
「逆に、新しく作るボタンなら。」
美咲は青い丸を描いた。
「こっちの方が押したくなります。」
九条は画面と紙を何度も見比べる。
『分析完了。』
AIの声が響く。
『白石美咲の提案は、人間工学および認知心理学の理論と高い一致率を示しています。』
『一致率、九十八・九パーセント。』
悠は思わず美咲を見た。
「白石さん。」
「はい?」
「こういうの、どこで勉強したの?」
美咲は首を傾げる。
「勉強?」
「してません。」
「じゃあ、どうしてそんなことが分かるの?」
「え?」
美咲は不思議そうに笑った。
「だって。」
「普通じゃないですか?」
悠は言葉を失った。
普通。
本人は、本気でそう思っている。
だが、その"普通"を昨日まで誰一人言葉にできなかった。
『才能です。』
AIが静かに言う。
『本人は理論を知りません。』
『しかし、結論は専門家と一致しています。』
悠は心の中で笑った。
(また見つけた。)
(とんでもない天才を。)
長い沈黙が流れた。
九条は紙を見つめ続けている。
やがて、小さく息を吐いた。
「……俺は。」
誰も口を開かない。
「作る人としてしか、考えていなかった。」
その一言で十分だった。
九条はゆっくりと立ち上がる。
そして、美咲の前まで歩いた。
「白石。」
初めて名前で呼んだ。
「一緒に作ってくれ。」
美咲は少し驚いたあと、笑顔で答える。
「はい。」
「でも、プログラムは書けませんよ?」
九条は静かに首を振る。
「コードは俺が書く。」
少しだけ間を置き、
「画面は任せる。」
それは九条にとって、最大級の信頼の言葉だった。
悠は二人を見ながら笑う。
技術の天才。
そして、使う人の天才。
欠けていた最後のピースが、ようやく揃った。
ARCは、この日初めて、一つのチームになった。




