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売れない理由

翌日の午後。


悠と九条は、完成したソフトを持って一軒の洋菓子店を訪れた。


駅から少し離れた商店街にある、小さな店だった。


店内には焼き菓子が並び、奥から甘い匂いが漂っている。


店主は四十代ほどの女性で、悠がネット販売の話をすると、興味深そうに身を乗り出した。


「うちのお菓子を、遠くの人にも売れるんですか?」


「はい。自分の店専用のネットショップを持てます」


悠が答える。


「商品を登録して、注文が入ったらこの画面で確認できます。在庫や売上も自動で管理できます」


「それは便利ですね」


反応は悪くない。


悠は少し安心した。


隣では、九条が当然だという顔をしている。


ノートパソコンを開き、店主に画面を見せた。


「実際に触ってみてください」


店主は少し緊張した様子で、マウスを握った。


「まず、商品を登録したいんですが……」


画面を見つめる。


しばらく動かない。


「どこを押せばいいんでしょうか」


「商品管理です」


九条が答える。


店主は言われた場所を押した。


次の画面が開く。


さらに複数の項目が並んだ。


店主の手が止まる。


「この中のどれですか?」


「商品基本情報」


「これですね」


画面を開く。


今度は、入力欄と設定項目が大量に表示された。


店主はゆっくりと画面を眺めた。


「商品名は……ここですか?」


「はい」


「値段は……」


「その下です」


「写真はどこに入れるんでしょう」


「表示設定から登録します」


「表示設定?」


「左側の項目です」


店主は一度、悠を見る。


それからもう一度画面を見た。


数分後。


マウスから手を離した。


「便利なのは分かるんですが……」


嫌な予感がした。


「私には、少し難しいかもしれません」


悠は隣を見た。


九条は表情を変えなかった。


「慣れれば使えます」


「そうだとは思うんですけど」


店主は困ったように笑った。


「店の仕事もありますし、パソコンの勉強までとなると……」


結局、契約には至らなかった。


店を出たあと、しばらく誰も話さなかった。


商店街を歩きながら、悠が口を開く。


「これで分かっただろ」


九条は前を向いたまま答えた。


「説明が足りなかった」


「そういう問題じゃない」


「操作方法が分かれば使える」


「その操作方法が分からないんだよ」


「なら、分かるように説明すればいい」


悠は足を止めた。


「九条」


しかし九条は、もう別のことを考えていた。


「説明書を作る」


「待て」


「全機能の操作方法を書く」


「話を聞け」


「画面付きで説明すれば迷わない」


九条は一人で納得し、そのまま歩き始めた。


悠はその背中を見て、小さく息を吐いた。


その日から、九条はマニュアル作りを始めた。


すべての画面を保存し、操作方法を一つずつ書いていく。


どの項目に何を入力するのか。


設定を変えた場合、何が起きるのか。


エラーが出たときは、どう対処するのか。


数日後。


九条は分厚い紙の束を、机の上に置いた。


鈍い音がした。


悠はそれを見下ろす。


「……これ、何ページある」


「三百十二」


「誰が読むんだ」


「必要な部分だけ読めばいい」


「必要な部分がどこか分かるのか?」


九条は目次を開いた。


目次だけで、何ページもあった。


「分類してある」


悠は嫌な予感しかしなかった。


だが、九条を納得させるには、もう一度客に見せるしかない。


二軒目は、駅前にある小さな雑貨店だった。


店主は五十代の男性で、ネット販売そのものには強い興味を示した。


悠が説明を終えると、何度も頷いた。


「店を閉めたあとでも注文を受けられるのはいいね」


「はい。遠方のお客さんにも販売できます」


「それなら、ぜひ一度見てみたい」


今度こそいけるかもしれない。


悠がそう思った直後。


九条がマニュアルを机の上に置いた。


ドン、と重い音が響く。


店主の視線が、紙の束へ落ちた。


「これは?」


「操作マニュアルです」


九条が答える。


「分からないことは、すべて書いてあります」


店主はゆっくりとマニュアルを手に取った。


厚さを確かめるように、横から見る。


「これを全部覚えるんですか?」


「全部ではありません」


九条は目次を開いた。


「店を作るなら第一章から第五章。商品登録は第六章。在庫管理は第十一章からです」


店主は数ページめくった。


細かな文字と、画面の説明が並んでいる。


さらに数ページめくる。


そして静かに閉じた。


「すみません」


その声で、悠は結果を悟った。


「私には無理です」


「まだ使っていません」


九条がすぐに言った。


「使えば分かります」


「いやあ……」


店主は困ったように笑う。


「これだけ読まないと使えないなら、私には難しいですよ」


商談は、それで終わった。


店を出た九条は、立ち止まったまま動かなかった。


一軒目のときとは違う。


今回は、明らかに動揺していた。


「……なぜだ」


悠は黙っていた。


「機能はある」


九条が呟く。


「動作もする」


「説明も全部書いた」


「それなのに、なぜ使わない」


悠は九条を見る。


今までの九条なら、客の理解力が足りないと言い切っていただろう。


だが今回は違った。


本気で分からない顔をしていた。


「まだ、ソフトに触れてすらいない」


「だからだよ」


悠が答える。


「使う前に、無理だと思われたんだ」


「なぜ」


「難しそうに見えたからだ」


九条はマニュアルを見下ろした。


「説明が多い方が、分かりやすい」


「九条にとってはな」


「では、どうすればいい」


その言葉に、悠は少し驚いた。


九条が初めて、自分から答えを求めた。


だが、悠にも明確な答えはなかった。


使いにくいことは分かる。


しかし、どう直せばいいのか。


未来のサービスを知っていても、それを一から設計できるわけではない。


『分析が完了しました』


AIの声が響く。


悠は小さく息を吐く。


「原因は?」


『問題は機能ではありません』


「説明でもないのか」


『はい』


『利用者が理解しなければならない情報量が多すぎます』


悠は九条の持つマニュアルを見る。


「簡単にしろってことか」


『それだけでは不十分です』


『画面を見た瞬間に、何をすればよいか分かる設計が必要です』


「見た瞬間に?」


『はい』


『押す場所に迷わない』


『専門用語を知らなくても理解できる』


『説明書を読まなくても、自然に操作できる』


AIは淡々と続けた。


『ユーザーインターフェース設計を専門とする人材が必要です』


「ユーザーインターフェース……」


『UIです』


悠は初めて、その言葉を意識した。


九条には、ソフトを作る力がある。


だが、それを誰にでも使える形にする力は別物だ。


「新しい人間が必要ってことか」


『はい』


悠は少し考えたあと、言った。


「求人を出そう」


『東京大学内で十分です』


悠は足を止めた。


「東大の中で?」


『必要な人材が見つかる可能性は高いです』


その瞬間、今まで散らばっていたものが一本につながった。


九条と出会ったのも東大だった。


これから必要になる人間も、この場所にいる。


悠は思わず笑った。


「なるほどな」


悠は答えず、頭の中のAIに向かって言った。


「だから俺を東大に入学させたのか」


『はい』


AIは即答した。


『東京大学は、知識を学ぶためだけの場所ではありません』


『未来を作る仲間と出会う場所です』


悠はしばらく黙っていた。


知識なら、未来の記憶がある。


技術なら、九条がいる。


だが、人だけは未来から連れてくることができない。


だから、ここに来る必要があった。


悠は前を向いた。


「求人を出すぞ」


九条が聞く。


「誰を募集する」


悠は少し考え、答えた。


「俺たちのソフトを、誰にでも使える形にできる人間だ」


その翌日。


東京大学の学内掲示板に、一枚の募集要項が貼り出された。


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