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広がった可能性

九条玲司がARCへ加わった、その日の夜。


悠は一人、事務所に残っていた。


机の上には、これまで受注したホームページ制作の資料が並んでいる。


売上。


制作期間。


保守契約。


数字だけを見れば順調だった。


「相棒。」


『はい。』


「今のARCを分析してくれ。」


一瞬で視界に数字が並ぶ。


『売上は増加傾向です。』


『顧客満足度も高水準です。』


『紹介による受注も増えています。』


「悪くないな。」


悠は一枚の資料を手に取る。


制作費二十五万円。


完成まで三週間。


その後も更新依頼が続いている。


成功した案件だった。


だが、その資料を机へ戻す。


「大きくはなれない。」


『はい。』


「否定しないのか。」


『事実と異なる回答はできません。』


悠は苦笑した。


「売上を二倍にするには?」


『制作能力も二倍必要です。』


「十倍なら。」


『原則として十倍です。』


「やっぱりか。」


ホームページを一件作れば、一件分の売上。


二件なら二件分。


人を増やさなければ、それ以上にはならない。


忙しくはなる。


だが、それは会社が強くなったわけではない。


「前の人生でも見た景色だ。」


『労働時間と売上が比例する事業です。』


「そういうことだ。」


悠は椅子にもたれた。


このままでも会社は続く。


社員を増やせば売上も伸びる。


だが、それは未来ではない。


『ですが今は状況が違います。』


「九条玲司の加入か。」


『はい。』


四台のパソコンを並べ、当たり前のように分散処理を考えていた男。


あれほどの技術者は、前の人生でもほとんど見たことがない。


「今までは思いついても作れないものが多かった。」


『はい。』


「だから、作れる仕事しか選べなかった。」


『正確です。』


悠は少し前へ身を乗り出す。


「今はどうだ。」


AIはすぐに答えた。


『九条玲司の能力を加味した場合、選択可能な事業領域は大幅に拡大します。』


「どのくらい。」


『従来、実現困難と判断した案の約七割が再検討可能です。』


悠は思わず息を止めた。


「一人増えただけで。」


『人数ではありません。』


『能力です。』


その一言で十分だった。


悠はようやく理解する。


九条が増やしたのは、制作速度ではない。


会社の可能性だ。


『作れるものが増えた結果、選べる経営戦略が増えました。』


悠は静かに笑った。


その言葉が一番しっくりきた。


今までは、


「何が作れるか。」


を考えていた。


これからは、


「何を作るべきか。」


を考えられる。


この違いは大きい。


「相棒。」


『はい。』


「今までのARCは忘れろ。」


『条件を更新します。』


「九条がいる今のARCで考える。」


『了解しました。』


悠は机の資料を一つにまとめる。


「条件は四つ。」


『どうぞ。』


「九条の技術を生かせること。」


「今の顧客にも売れること。」


「一度作れば、何社にも提供できること。」


「継続して利益が出ること。」


少しの沈黙。


『条件を設定しました。』


悠は窓の外を見る。


街には無数の会社がある。


数年後、そのほとんどがインターネットを使うようになる。


その未来を、悠は知っていた。


だが知っているだけでは意味がない。


今のARCで、その未来に何ができるのか。


それを考える時が来た。


「候補を出してくれ。」


『分析を開始します。』


悠はゆっくり目を閉じた。


昨日まで見えなかった道が、今は見えている。


どの道を選ぶか。


それを決めるのは、自分だ。


AIはすぐに分析を始めた。


『条件に一致する事業を算出します。』


悠は黙って待つ。


視界の端に候補が並び始めた。


ホームページ制作支援。


予約管理システム。


企業向け顧客管理。


広告配信。


ネット販売。


悠は一つずつ眺める。


「ホームページ制作は却下だ。」


『賢明です。』


「同じことの繰り返しだからな。」


一件作って、一件納品する。


それでは会社の限界は変わらない。


「予約管理。」


『需要はあります。』


「業種が限られる。」


『はい。』


「顧客管理。」


『競合が多くなります。』


悠は頷いた。


どれも悪くない。


だが、未来を変えるほどではない。


最後に残った文字へ目を向ける。


ネット販売。


悠は小さく笑う。


「やっぱりそこか。」


『候補の中では最も条件に近いと判断しました。』


一度作れば、多くの企業へ提供できる。


保守契約も見込める。


九条の技術も生かせる。


未来の市場も大きい。


条件には、確かに合っていた。


悠は腕を組む。


「なら。」


「楽地市場を先に作るか。」


『推奨しません。』


即答だった。


悠は苦笑する。


「早いな。」


『理由は明確です。』


『楽地市場はすでに運営されています。』


『利用者。』


『出店店舗。』


『営業組織。』


『資金。』


『知名度。』


『いずれもARCを大きく上回ります。』


悠はため息をついた。


未来を知っているからこそ分かる。


今の楽地は、まだ巨大企業ではない。


だが、だからといって勝てる相手でもない。


「技術で勝てないか。」


『モール事業において。』


『技術は決定的な優位性になりません。』


『店舗が求めるのは。』


『優れたシステムではなく。』


『客です。』


その一言で十分だった。


楽地には客がいる。


ARCにはいない。


それが現実だ。


「……あと数年早く転生していればな。」


『転生時期は変更できません。』


「そういう話じゃない。」


『また、数年前であっても。』


『当時の資金、人脈、年齢を考慮すると。』


『楽地市場を先行できた可能性は低いと──』


「もういい。」


『了解しました。』


悠は笑う。


「このポンコツ。」


『ありがとうございます。』


「褒めてない。」


少しだけ部屋が静かになる。


その沈黙を破ったのはAIだった。


『ただし。』


悠は顔を上げる。


「まだあるのか。」


『楽地市場と同じ市場で戦う必要はありません。』


「どういう意味だ。」


『楽地市場は店舗を集める事業です。』


『一方で。』


『自社のブランド。』


『自社の顧客。』


『自社のホームページ。』


『それらを維持したい企業も存在します。』


悠の表情が変わる。


「……自分の店か。」


『はい。』


『楽地の中に店を出すのではありません。』


『自分のホームページを店にします。』


悠は立ち上がった。


部屋の中をゆっくり歩く。


頭の中で、今まで作ったホームページが浮かぶ。


飲食店。


町工場。


雑貨店。


製造業。


どの会社も、ホームページは持っている。


見るだけのホームページを。


「待て。」


「俺たち、もう客を持ってるじゃないか。」


『はい。』


「ホームページを作った会社だ。」


『はい。』


「なら、新しい客を探す必要はない。」


「今の客に次の商品を売ればいい。」


AIは短く答えた。


『顧客獲得コストを大幅に削減できます。』


悠は笑った。


ようやく形になった。


楽地を追わない。


楽地と競争しない。


ホームページ制作会社だからこそ作れるEC。


既存顧客だからこそ売れるEC。


「決めた。」


『はい。』


「楽地は作らない。」


「俺たちは。」


「会社のホームページを、店に変える。」


AIは静かに答えた。


『事業計画を更新しました。』


悠は机の上の資料を閉じる。


次に会う時、九条へ渡すものは決まった。


必要なのは相談ではない。


仕様書だ。


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