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株式会社ARC

大学生活は、悠が思っていた以上に自由だった。


決まった教室はない。


制服もない。


チャイムが鳴っても誰も急がない。


それぞれが自分の時間を、自分の意思で使っている。


「やっと大学生って感じだな。」


『分析。』


「何だ。」


『高校との最大の違いは自由です。』


「そうだな。」


『その代わり、管理する人もいません。』


「全部自己責任ってことか。」


『はい。』


悠はキャンパスを歩きながら、小さく頷いた。


自由とは、自分で選び、自分で責任を負うこと。


それは今の自分には、むしろ心地よかった。


最初の講義が始まる。


教授は出席も取らず、教壇に立つと淡々と話し始めた。


高校の授業とは違い、「覚えなさい」ではなく「考えなさい」が中心だった。


学生たちも黙って聞くだけではない。


疑問があればその場で質問し、教授も当たり前のように議論を始める。


『分析。』


「またか。」


『この授業は正解を教える授業ではありません。』


「だろうな。」


『考え方を学ぶ授業です。』


悠は少し笑った。


「やっと勉強らしくなってきた。」


午前の講義が終わると、人の流れは自然と学食へ向かう。


広い食堂には学生たちの笑い声が響いていた。


友人同士で昼食を囲む者。


レポートの話をする者。


昨日の飲み会を反省する者。


どこを見ても、ごく普通の大学生活だった。


悠も定食を受け取り、空いている席へ座る。


隣のテーブルでは、


「プログラミング研究会行く?」


「いや、今日はテニス。」


「飲み会もあるぞ。」


そんな会話が聞こえてくる。


高校時代にはなかった空気。


ほんの少しだけ、悠は羨ましいと思った。


もし前の人生も大学に進学していたら。


きっと自分も、こんな何気ない時間を過ごしていたのかもしれない。


食事を終えると、キャンパスでは相変わらず新歓が続いていた。


「テニスサークルでーす!」


「軽音部です!」


「映画研究会!」


気が付けば両手には何枚ものチラシ。


『分析。』


「何。」


『現在十二枚です。』


「そんなにもらったのか。」


『断るのが苦手ですね。』


「……否定できない。」


結局、いくつかのサークルを見学し、気付けば夕方になっていた。


初めての大学。


初めての講義。


初めての大学生活。


どれも新鮮だった。


「悪くないな。」


そう呟きながらアパートへ戻る。


玄関のドアを閉めた瞬間、世界が切り替わった。


昼間までの賑やかな声は消え、部屋には静寂だけが残る。


机の上には新品のパソコン。


プリンター。


積み上げられた資料。


メールの受信音が鳴った。


『クライアントから返信です。』


悠は学生証を机の隅へ置く。


代わりにノートパソコンを開き、スケジュール帳を広げた。


今日の夜は、ホームページの修正が二件。


新規デザインの打ち合わせ資料作成が一件。


さらに見積書の作成。


時計を見る。


午後七時。


「よし。」


昼は東大生。


夜は仕事。


それが、自分で選んだ人生だ。


椅子に腰を下ろし、キーボードへ手を伸ばす。


『分析。』


「何だ。」


『大学生活一日目、終了。』


悠は画面を見つめたまま、小さく笑う。


「違う。」


「まだ終わってない。」


「ここからが、今日の本番だ。」


カタカタカタ——。


静かな部屋に、キーボードを叩く音だけが響く。


ホームページの更新。


画像の差し替え。


メールの返信。


見積書の作成。


時計を見ると、日付が変わろうとしていた。


「……ふぅ。」


大きく息を吐き、背もたれに体を預ける。


高校時代から始めたホームページ制作。


実績は少しずつ積み重なり、紹介だけで仕事が舞い込むようになっていた。


大学生活を送りながらでも生活には困らない。


だが、一通のメールが、その現実を突き付ける。


> 誠に申し訳ございません。

> 今回のお取引は法人様のみとさせていただいております。


悠は画面を見つめたまま苦笑した。


「またか。」


『同様のメールは今月三件目です。』


AIが淡々と告げる。


「技術が足りないわけじゃない。」


『はい。』


「実績もある。」


『はい。』


「それでも駄目か。」


『信用が不足しています。』


悠は静かに目を閉じた。


前世でも嫌というほど見てきた。


良い商品だけでは売れない。


良い技術だけでも契約は取れない。


人は会社という「看板」に安心する。


「……法人化する。」


AIは即座に答えた。


『分析開始。』


『資本金、問題ありません。』


『年齢、設立可能です。』


『条件を満たしています。』


悠は笑う。


「よし。」


「会社を作ろう。」


しかし、ペンを持ったまま手が止まった。


「……待て。」


『どうしました。』


「会社って。」


「名前がいるよな。」


部屋に沈黙が流れる。


AIが答えた。


『その通りです。』


『会社名を決定してください。』


白紙の紙を机へ置く。


悠はペンを走らせる。


未来ネット。


未来システム。


NEXT。


Japan IT。


神谷ソフト。


書いては消し。


書いては丸める。


十分後。


紙はぐしゃぐしゃになっていた。


「全部ダサい。」


『現在の候補数、四十八件。』


「四十八も却下したのか……。」


『平均的な名称です。』


「平均じゃ困る。」


「何十年も使う名前なんだ。」


AIは少しだけ間を置いた。


『質問します。』


「何だ。」


『何を作る会社ですか。』


「ホームページじゃない。」


『はい。』


「ソフトでもない。」


『はい。』


「人と人をつなぐ。」


「情報と人をつなぐ。」


「技術で未来へ橋を架ける。」


そこまで言った瞬間だった。


AIが沈黙する。


『解析中……。』


数秒。


静かな部屋にパソコンのファンの音だけが響く。


『候補を一件更新しました。』


画面に表示された三文字。


**ARC**


悠は小さく読み上げる。


「……アーク。」


『Arc。』


『弧。』


『架け橋。』


『人と人を結ぶ。』


『未来へつながる一本の軌跡。』


悠は画面を見つめたまま動かなかった。


短い。


覚えやすい。


余計な飾りがない。


「ARC……株式会社ARC。」


何度か口に出してみる。


驚くほど自然だった。


悠は静かに笑う。


「決まりだ。」


「この名前でいこう。」


AIが確認する。


『正式名称。』


『株式会社ARC。』


「そうだ。」


「今日から、この名前で未来を創る。」


翌日。


講義を終えた悠は必要書類を持って法務局へ向かった。


受付で書類を提出する。


担当者が確認し、静かに頷く。


「お預かりいたします。」


それだけだった。


会社が生まれる瞬間とは思えないほど、あっけない。


それでも悠の胸は高鳴っていた。


数日後。


一本の電話が鳴る。


「神谷様でしょうか。」


「はい。」


「登記が完了しました。」


「本日より、株式会社ARCとして正式に登録されました。」


その一言で、世界が少しだけ変わった。


受話器を置く。


部屋は何も変わらない。


六畳一間。


机が一つ。


新品のパソコン。


プリンター。


電話。


社員は一人。


社長も一人。


それでも。


もう、この部屋は「会社」だった。


悠は会社名が印刷された登記書類を両手で持つ。


「株式会社ARC。」


もう一度読む。


「株式会社ARC。」


何度読んでも、不思議と笑みがこぼれた。


前世では数え切れないほど会社を見てきた。


有名企業。


上場企業。


巨大企業。


だが。


自分の会社は初めてだった。


『分析。』


AIが静かに言う。


『心拍数上昇。』


『感情の高揚を確認。』


『涙腺反応を——』


「やめろ。」


悠は苦笑しながら目元を指で拭った。


「こういう時くらい、分析しなくていい。」


AIは少しだけ沈黙した。


そして、いつもより少しだけ柔らかい声で言った。


『……おめでとうございます。』


悠はゆっくりと頷く。


「ああ。」


「ありがとう。」


部屋を見渡す。


何もない。


まだ何も始まっていない。


だが、ここから始まる。


悠は静かに会社のロゴが印刷された書類を机に置き、ゆっくりと口を開いた。


「ようこそ。」


「株式会社ARCへ。」


春の風が、少しだけ開いた窓から部屋へ吹き込んだ。

読んでいただきありがとうございます!

ようやく会社を設立しました!

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