AI式成長法
脳内に浮かんでいた学習画面が、静かに消えた。
俺はゆっくりと目を開ける。
机の上には、古びた参考書と、何度も消しゴムをかけた跡の残るノート。
何も変わっていない。
変わったのは、俺の頭の中だけだった。
「……それで、いつから始める?」
『すでに開始しています。』
「は?」
『先ほどの会話から、相棒の集中力、理解速度、記憶保持率を測定しています。』
「勝手に人の頭を調べるなよ。」
『ありがとうございます。』
「褒めてない。」
返事をしながら、俺は数学の参考書を開いた。
『最初は、その問題ではありません。』
「じゃあ、どれだ?」
『三ページ戻ってください。』
「簡単すぎるだろ。」
『解いてください。』
言われた通りに解く。
答えは合っていた。
『途中式を省略しました。』
「答えが合ってるんだからいいだろ。」
『よくありません。』
次の問題。
今度は途中式を書いた。
『二行目で計算の順序が乱れています。』
「細かいな。」
『その細かさで、相棒はこれまで十三点失っています。』
「十三点……?」
『推定値です。』
俺は黙って鉛筆を握り直した。
英語は、単語を最初から詰め込まなかった。
長文を読まされ、止まった場所だけを記録された。
古文は文法からではなく、意味を取り違えた原因だけを繰り返した。
世界史は年代順ではなく、出来事の因果関係をつなげられた。
覚える。
忘れる。
忘れる直前に、もう一度思い出す。
間違えた問題は、同じ形では出てこない。
数字が変わり、文章が変わり、問い方が変わった。
それでも解けるまで、AIは先へ進ませなかった。
「もう覚えた。」
『覚えていません。』
「覚えたって。」
『では、三日前に学習した単語の意味を答えてください。』
脳内に英単語が一つ浮かぶ。
「……。」
出てこない。
『忘れています。』
「このポンコツ。」
『ありがとうございます。』
「褒めてねぇ。」
そんな日々が続いた。
そして、一か月後。
最初の模試の結果が返ってきた。
教室の前で、担任が一人ずつ答案を配っている。
俺の番になると、担任の手が止まった。
「神谷。」
「はい。」
「お前、今回……何かあったのか?」
教室が少し静かになる。
「別に、何も。」
担任は俺の顔と答案を見比べた。
それから、用紙を差し出す。
総合偏差値。
**49.8**
一瞬、数字の意味が分からなかった。
以前の偏差値は、40.2。
九・六も上がっている。
「……本当に?」
思わず声が漏れた。
『はい。』
AIの返事が脳内に響く。
『想定範囲内です。』
俺は答案を見つめた。
英語。
数学。
国語。
すべてが劇的に良くなったわけではない。
だが、以前なら落としていた問題を、確実に拾えている。
分からない問題に時間をかけすぎていない。
計算ミスも減っている。
勘で選んだ答えではなく、理由を持って選んでいる。
俺が、解いた答案だった。
「神谷が偏差値五十近いって、マジかよ。」
後ろから声が聞こえた。
「前、四十くらいじゃなかった?」
「一か月で?」
教室がざわつき始める。
担任もまだ納得できない顔をしていた。
「神谷。」
「はい。」
「誰かに勉強を教わっているのか?」
俺は少し考えた。
「まあ……そんなところです。」
『私は教師ではありません。』
「分かってるよ。」
小さく答えると、担任が眉を寄せた。
「何か言ったか?」
「いえ、何も。」
席へ戻り、もう一度数字を見る。
49.8。
東大には、まだ遥かに遠い。
それでも。
人生で初めて、努力が数字になって返ってきた。
胸の奥が熱くなる。
八十年生きた。
失敗も、後悔も、嫌というほど味わった。
だが、成績表を見て、こんな気持ちになったのは初めてだった。
「……上がったな。」
『はい。』
「俺でも、上がるんだな。」
今度の返事は、少しだけ間があった。
『当然です。』
『相棒は、正しい方法を知らなかっただけです。』
俺は答案を折らずに、丁寧に鞄へしまった。
その日から、勉強の量は増えなかった。
精度だけが上がった。
理解できている部分は飛ばす。
曖昧な部分だけを戻る。
集中力が落ちれば休む。
記憶が薄れる直前に復習する。
睡眠が不足すれば、AIは容赦なく参考書を閉じさせた。
「あと一問だけ。」
『拒否します。』
「まだできる。」
『現在の正答率は、二十分前より十一%低下しています。』
「気合いで何とかなる。」
『なりません。寝てください。』
「鬼か。」
『AIです。』
春が終わった。
梅雨が過ぎた。
二度目の模試。
偏差値、58.4。
もう誰も、偶然とは言わなかった。
担任は結果表を見たまま、しばらく黙っていた。
クラスメイトの視線も変わった。
驚きから、疑いへ。
疑いから、警戒へ。
そして夏。
俺は同じことを続けた。
派手な裏技はない。
一日で天才になる方法もない。
ただ、間違えた原因を潰し、忘れる前に思い出し、それを毎日繰り返した。
三度目の模試。
偏差値、67.1。
結果を見た瞬間、周囲の声が遠くなった。
六十七。
偏差値四十だった俺が、ここまで来た。
「……東大が見えてきたな。」
俺は小さく笑った。
だが、AIの返事は冷静だった。
『まだ足りません。』
笑みが止まる。
「六十七だぞ。」
『はい。』
「普通なら十分すごいだろ。」
『東大に合格するために、普通である必要はありません。』
「厳しいな。」
『合格圏の目安は七十です。』
俺は結果表を見つめた。
あと三。
偏差値四十から六十七まで上げた。
なら、あと三くらい簡単に思える。
だが、不思議なことに。
ここまで来たからこそ分かった。
最後の三が、一番遠い。
伸びしろが減る。
周囲も努力している。
一つのミスが、そのまま順位に響く。
「……あと三か。」
『はい。』
「たった三。」
『はい。』
「でも、遠いな。」
AIは否定しなかった。
『ここからは、弱点を減らすだけでは届きません。』
「じゃあ、どうする?」
『得点する力を、完成させます。』
俺は結果表を机に置いた。
偏差値67.1。
まだ足りない。
まだ届いていない。
だからこそ、面白いと思った。
「やろう。」
『はい、相棒。』
『ここからが本番です。』
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