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金だけでは動かない

翌朝。


佐伯は九条から渡された一枚の紙を見て、しばらく黙っていた。


必要人員。


決済システム開発経験者。


セキュリティエンジニア。


データベースエンジニア。


インフラエンジニア。


監視・運用担当。


カスタマーサポート。


さらに、金融機関とのシステム接続経験を持つ人材。


佐伯は最後まで読むと、九条を見た。


「これ、全部ですか?」


「全部。」


「最低人数は?」


九条は少し考えた。


「開発と技術だけなら、まず十五人くらい。」


橘が反応した。


「十五人?」


九条は頷く。


「できれば二十人。」


「増えましたね。」


「余裕が欲しい。」


「五秒で五人増やさないでください。」


白石が吹き出した。


だが、佐伯だけは笑わなかった。


ARCには現在八十七人いる。


二十人採用すれば、一気に百人を超える。


しかも欲しいのは新卒ではない。金融とITの両方を理解し、大量の取引を扱うシステムに携わった経験のある即戦力だ。


佐伯はもう一度リストを見る。


「かなり難しいですね。」


悠が聞いた。


「金の問題?」


「違います。」


佐伯は即答した。


「人がいません。」



その日から採用が始まった。


求人媒体。


人材紹介会社。


社員からの紹介。


取引先からの紹介。


西園寺の人脈まで使った。


待遇も悪くない。


むしろ、創業数年の企業としてはかなり良かった。


ARCはすでに年間売上四十二億円。現在の月間営業利益は二億円を大きく超え、大手通信会社から十億円の出資も受けている。


金は出せる。


会社の知名度もある。


ARCBOOKなら、ほとんどの候補者が知っていた。


それでも。


採用は思ったように進まなかった。



一週間後。


佐伯が会議室へ資料を持ってきた。


「途中経過です。」


応募自体は多かった。


ARCBOOKを作った会社。


急成長中のIT企業。


学生社長。


大手通信会社との提携。


話題性は十分だった。


しかし、九条が求める条件まで絞ると、一気に人数が減った。


悠が資料を見る。


「こんなに減るの?」


「決済システムの経験者という時点でかなり減ります。さらに大規模システム、セキュリティ、金融機関との接続経験まで求めると、ほとんど残りません。」


「給料上げても?」


「多少は増えるでしょう。ただ、問題はそこだけではありません。」


佐伯は一枚の面接記録を出した。


大手金融系システム会社。


三十五歳。


決済システム開発経験、九年。


九条が最も欲しがった候補者の一人だった。


だが。


辞退。


別の候補者。


銀行系システム部門。


三十二歳。


辞退。


さらに。


大手カード会社のシステム子会社。


三十八歳。


辞退。


悠の表情が変わった。


「理由は?」


佐伯は少し言いにくそうに答えた。


「会社です。」


「ARCが?」


「はい。」


白石が驚く。


「でもARCBOOKって有名じゃん。」


「それと、転職先として信用できるかは別です。」


その言葉に悠は黙った。


また。


信用。


銀行で聞いたのと同じ言葉だった。



数日後。


悠は佐伯に頼み、一人の候補者との面接へ同席した。


四十一歳。


大手金融系システム会社で十五年以上働いている。


決済システムだけでなく、銀行との接続や大規模障害対応の経験もある。


九条が経歴書を見た瞬間、


「欲しい。」


と言った人物だった。


面接は順調だった。


ARCの事業。


新しい決済構想。


必要な技術。


報酬。


権限。


候補者も強い興味を示していた。


「技術的には、非常に面白いと思います。」


悠が聞く。


「では、ぜひ。」


男は少し困ったように笑った。


「ただ、申し訳ありません。」


佐伯が察した。


「何か懸念がありますか?」


男はしばらく考えてから答えた。


「神谷社長。失礼なことを言ってもよろしいでしょうか。」


「もちろん。」


「ARCは、五年後もありますか?」


悠は答えられなかった。


男は続けた。


「私は四十一です。妻も子供もいます。今の会社を辞めれば、おそらく同じ場所には戻れません。」


「はい。」


「ARCが成長していることは知っています。ARCBOOKも使っています。すごい会社だと思います。」


そこで少し間を置いた。


「でも、まだ若い会社です。」


悠は黙って聞いた。


「神谷社長も、まだ大学生ですよね。」


「はい。」


「十年後も経営していますか?」


また。


答えられなかった。


やるつもりだ。


当然だった。


だが。


それを証明する方法はない。


男は頭を下げた。


「挑戦してみたい気持ちはあります。でも家族を巻き込んで賭けるには、私には少し大きすぎます。」


悠はゆっくり頷いた。


「分かりました。」


引き止めなかった。


引き止められなかった。



面接が終わったあと。


悠はしばらく誰もいない会議室に残っていた。


年間売上四十二億円。


月商六億五千万円。


ARCBOOK五百六十八万人。


大手通信会社との提携。


自分たちは、もう十分大きな会社になったと思っていた。


だが。


四十一歳の男にとっては。


まだ人生を預けられる会社ではなかった。


(相棒。)


『はい。』


(会社の信用って、数字だけじゃないんだな。)


『はい。』


(銀行にも言われた。)


『信用は、過去の積み重ねによって形成されます。ARCは急速に成長しましたが、その分、時間という実績が不足しています。』


悠は苦笑した。


(それは金じゃ買えないな。)


『原則として。』


(原則として?)


『時間そのものは買えません。ただし、時間をかけて得るはずだった信用を、別の信用によって補完することは可能です。』


悠の表情が変わった。


(別の信用?)


AIはそれ以上答えなかった。


悠は少し考えた。


そして。


一つ思い当たった。



翌日。


大手通信会社。


ARCとの提携を担当している役員のもとに、一本の電話が入った。


「神谷社長?」


『お世話になっております。少し相談がありまして。』


「珍しいですね。どうされました?」


電話の向こうで悠が笑った。


『人を探しています。』


「採用ですか?」


『はい。ただ、普通のエンジニアじゃありません。』


悠は必要な人材について説明した。


金融システム。


決済。


セキュリティ。


大規模インフラ。


運用。


話を聞くうちに、役員の声が変わった。


「……かなり本格的ですね。」


『だから困ってます。』


「何人ほど?」


『九条は二十人欲しいと言っています。』


「九条さんらしい。」


役員は少し笑った。


そして言った。


「それなら。」


悠は黙って待つ。


「一社、紹介できるかもしれません。」


『会社?』


「正確には。」


少し間を置いた。


「会社ではなく、一人の人間です。」


悠の表情が変わった。


「以前、当社の大規模課金システムにも関わった人物です。金融系システムの経験も長い。」


『今はどちらに?』


役員は答えた。


「独立しています。」


悠は立ち上がった。


『会えますか?』


「本人が了承すれば。」


『お願いします。』


「ただし。」


役員の声が少し低くなった。


「かなり癖のある人ですよ。」


悠は笑った。


『慣れてます。』


電話を切った。


その日の午後。


佐伯のもとへ、一通の経歴書が届いた。


五十二歳。


金融システム開発、二十七年。


銀行。


カード決済。


大規模課金。


セキュリティ。


システム障害対応。


そして。


複数の金融機関とのシステム接続。


佐伯は経歴書を読み終えると、そのまま九条の席へ向かった。


「九条さん。」


「何?」


「この人、どうです?」


九条が経歴書を受け取った。


読む。


数秒後。


手が止まった。


さらに読む。


最初からもう一度読む。


佐伯が聞いた。


「どうです?」


九条は経歴書から目を離さないまま答えた。


「会いたい。」


それだけだった。


ARCが決済事業へ進むために必要な。


最初の一人が。


ようやく見つかった。

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