金だけでは動かない
翌朝。
佐伯は九条から渡された一枚の紙を見て、しばらく黙っていた。
必要人員。
決済システム開発経験者。
セキュリティエンジニア。
データベースエンジニア。
インフラエンジニア。
監視・運用担当。
カスタマーサポート。
さらに、金融機関とのシステム接続経験を持つ人材。
佐伯は最後まで読むと、九条を見た。
「これ、全部ですか?」
「全部。」
「最低人数は?」
九条は少し考えた。
「開発と技術だけなら、まず十五人くらい。」
橘が反応した。
「十五人?」
九条は頷く。
「できれば二十人。」
「増えましたね。」
「余裕が欲しい。」
「五秒で五人増やさないでください。」
白石が吹き出した。
だが、佐伯だけは笑わなかった。
ARCには現在八十七人いる。
二十人採用すれば、一気に百人を超える。
しかも欲しいのは新卒ではない。金融とITの両方を理解し、大量の取引を扱うシステムに携わった経験のある即戦力だ。
佐伯はもう一度リストを見る。
「かなり難しいですね。」
悠が聞いた。
「金の問題?」
「違います。」
佐伯は即答した。
「人がいません。」
◇
その日から採用が始まった。
求人媒体。
人材紹介会社。
社員からの紹介。
取引先からの紹介。
西園寺の人脈まで使った。
待遇も悪くない。
むしろ、創業数年の企業としてはかなり良かった。
ARCはすでに年間売上四十二億円。現在の月間営業利益は二億円を大きく超え、大手通信会社から十億円の出資も受けている。
金は出せる。
会社の知名度もある。
ARCBOOKなら、ほとんどの候補者が知っていた。
それでも。
採用は思ったように進まなかった。
◇
一週間後。
佐伯が会議室へ資料を持ってきた。
「途中経過です。」
応募自体は多かった。
ARCBOOKを作った会社。
急成長中のIT企業。
学生社長。
大手通信会社との提携。
話題性は十分だった。
しかし、九条が求める条件まで絞ると、一気に人数が減った。
悠が資料を見る。
「こんなに減るの?」
「決済システムの経験者という時点でかなり減ります。さらに大規模システム、セキュリティ、金融機関との接続経験まで求めると、ほとんど残りません。」
「給料上げても?」
「多少は増えるでしょう。ただ、問題はそこだけではありません。」
佐伯は一枚の面接記録を出した。
大手金融系システム会社。
三十五歳。
決済システム開発経験、九年。
九条が最も欲しがった候補者の一人だった。
だが。
辞退。
別の候補者。
銀行系システム部門。
三十二歳。
辞退。
さらに。
大手カード会社のシステム子会社。
三十八歳。
辞退。
悠の表情が変わった。
「理由は?」
佐伯は少し言いにくそうに答えた。
「会社です。」
「ARCが?」
「はい。」
白石が驚く。
「でもARCBOOKって有名じゃん。」
「それと、転職先として信用できるかは別です。」
その言葉に悠は黙った。
また。
信用。
銀行で聞いたのと同じ言葉だった。
◇
数日後。
悠は佐伯に頼み、一人の候補者との面接へ同席した。
四十一歳。
大手金融系システム会社で十五年以上働いている。
決済システムだけでなく、銀行との接続や大規模障害対応の経験もある。
九条が経歴書を見た瞬間、
「欲しい。」
と言った人物だった。
面接は順調だった。
ARCの事業。
新しい決済構想。
必要な技術。
報酬。
権限。
候補者も強い興味を示していた。
「技術的には、非常に面白いと思います。」
悠が聞く。
「では、ぜひ。」
男は少し困ったように笑った。
「ただ、申し訳ありません。」
佐伯が察した。
「何か懸念がありますか?」
男はしばらく考えてから答えた。
「神谷社長。失礼なことを言ってもよろしいでしょうか。」
「もちろん。」
「ARCは、五年後もありますか?」
悠は答えられなかった。
男は続けた。
「私は四十一です。妻も子供もいます。今の会社を辞めれば、おそらく同じ場所には戻れません。」
「はい。」
「ARCが成長していることは知っています。ARCBOOKも使っています。すごい会社だと思います。」
そこで少し間を置いた。
「でも、まだ若い会社です。」
悠は黙って聞いた。
「神谷社長も、まだ大学生ですよね。」
「はい。」
「十年後も経営していますか?」
また。
答えられなかった。
やるつもりだ。
当然だった。
だが。
それを証明する方法はない。
男は頭を下げた。
「挑戦してみたい気持ちはあります。でも家族を巻き込んで賭けるには、私には少し大きすぎます。」
悠はゆっくり頷いた。
「分かりました。」
引き止めなかった。
引き止められなかった。
◇
面接が終わったあと。
悠はしばらく誰もいない会議室に残っていた。
年間売上四十二億円。
月商六億五千万円。
ARCBOOK五百六十八万人。
大手通信会社との提携。
自分たちは、もう十分大きな会社になったと思っていた。
だが。
四十一歳の男にとっては。
まだ人生を預けられる会社ではなかった。
(相棒。)
『はい。』
(会社の信用って、数字だけじゃないんだな。)
『はい。』
(銀行にも言われた。)
『信用は、過去の積み重ねによって形成されます。ARCは急速に成長しましたが、その分、時間という実績が不足しています。』
悠は苦笑した。
(それは金じゃ買えないな。)
『原則として。』
(原則として?)
『時間そのものは買えません。ただし、時間をかけて得るはずだった信用を、別の信用によって補完することは可能です。』
悠の表情が変わった。
(別の信用?)
AIはそれ以上答えなかった。
悠は少し考えた。
そして。
一つ思い当たった。
◇
翌日。
大手通信会社。
ARCとの提携を担当している役員のもとに、一本の電話が入った。
「神谷社長?」
『お世話になっております。少し相談がありまして。』
「珍しいですね。どうされました?」
電話の向こうで悠が笑った。
『人を探しています。』
「採用ですか?」
『はい。ただ、普通のエンジニアじゃありません。』
悠は必要な人材について説明した。
金融システム。
決済。
セキュリティ。
大規模インフラ。
運用。
話を聞くうちに、役員の声が変わった。
「……かなり本格的ですね。」
『だから困ってます。』
「何人ほど?」
『九条は二十人欲しいと言っています。』
「九条さんらしい。」
役員は少し笑った。
そして言った。
「それなら。」
悠は黙って待つ。
「一社、紹介できるかもしれません。」
『会社?』
「正確には。」
少し間を置いた。
「会社ではなく、一人の人間です。」
悠の表情が変わった。
「以前、当社の大規模課金システムにも関わった人物です。金融系システムの経験も長い。」
『今はどちらに?』
役員は答えた。
「独立しています。」
悠は立ち上がった。
『会えますか?』
「本人が了承すれば。」
『お願いします。』
「ただし。」
役員の声が少し低くなった。
「かなり癖のある人ですよ。」
悠は笑った。
『慣れてます。』
電話を切った。
その日の午後。
佐伯のもとへ、一通の経歴書が届いた。
五十二歳。
金融システム開発、二十七年。
銀行。
カード決済。
大規模課金。
セキュリティ。
システム障害対応。
そして。
複数の金融機関とのシステム接続。
佐伯は経歴書を読み終えると、そのまま九条の席へ向かった。
「九条さん。」
「何?」
「この人、どうです?」
九条が経歴書を受け取った。
読む。
数秒後。
手が止まった。
さらに読む。
最初からもう一度読む。
佐伯が聞いた。
「どうです?」
九条は経歴書から目を離さないまま答えた。
「会いたい。」
それだけだった。
ARCが決済事業へ進むために必要な。
最初の一人が。
ようやく見つかった。
ご覧いただきありがとうございます!
「面白かった」「続きが気になる!」と思っていただけたら、ページ下部の【★★★★★】評価やブックマーク登録をしていただけると、執筆の大きな励みになります!




