信用の値段
数日後。
悠、橘、高橋、西園寺の四人は、ARCの取引銀行を訪れていた。
以前、この銀行からARCへ融資の申し出があった。
当時、担当者は笑顔で言った。
「今後、設備投資や事業拡大で資金需要がございましたら、ぜひ当行へご相談ください。」
あの時は、金を借りる必要がなかった。
そして今。
ARCはさらに成長している。
年間売上四十二億円。
現在の月商は六億円を超え、大手通信会社との資本・業務提携も成立した。
だから悠は、少なくとも話を聞いてもらうところまでは難しくないと思っていた。
応接室へ案内される。
以前と同じ担当者が、笑顔で四人を迎えた。
「神谷社長、お久しぶりです。」
「お久しぶりです。」
「大手通信会社との提携も拝見しました。ARCさんの成長速度には、本当に驚かされます。」
「ありがとうございます。」
そこまでは、いつも通りだった。
飲み物が運ばれ、簡単な近況報告が続く。
そして担当者が聞いた。
「本日は資金調達のご相談でしょうか?」
「いえ。」
悠は首を振った。
「今日は別の話です。」
「と、おっしゃいますと?」
悠は持ってきた資料を机の中央へ置いた。
「ARCで、独自の決済機能を作ろうと考えています。」
担当者の笑顔が止まった。
ほんの一瞬だった。
だが、悠は見逃さなかった。
「……決済ですか。」
「はい。」
担当者は資料を見る。
ARCショップメーカー。
約二万八千店舗。
ARCBOOK。
五百六十八万人。
HP制作事業。
広告事業。
それらを決済によってつなぐ構想が、簡単にまとめられていた。
担当者は最後まで読むと、資料を机へ戻した。
「なるほど。」
声の調子が変わっていた。
先ほどまでの営業担当者の声ではない。
「少々、お待ちいただけますでしょうか。」
担当者が部屋を出た。
悠は隣の橘を見る。
「空気変わったな。」
「変わりましたね。」
西園寺も小さく頷いた。
「融資の話とは明らかに違います。」
高橋は何も言わず、資料を見ていた。
◇
十分ほどして。
担当者が戻ってきた。
一人ではなかった。
融資部門。
システム部門。
さらに決済関連業務を担当する社員。
三人が加わった。
悠は少しだけ姿勢を正した。
そこから質問が始まった。
「御社が想定されている決済方法は?」
「加盟店舗の審査はどのように行う予定でしょうか。」
「売上金の精算主体は?」
「不正利用が発生した場合の負担は?」
「カード情報は御社で保持される予定ですか?」
「障害発生時の補償については?」
「加盟店との契約主体は?」
次から次へと飛んでくる。
悠が答える。
高橋が補足する。
橘が数字を説明する。
西園寺が事業モデルを説明する。
だが。
答えられない質問もあった。
まだ構想段階だから当然だった。
一時間ほど経った頃。
銀行側の責任者が資料を閉じた。
「率直に申し上げます。」
悠は相手を見る。
「現段階で、当行がこの構想へ全面的に協力することは難しいです。」
橘の表情が少し固くなる。
悠は聞いた。
「理由を教えていただけますか?」
「実績です。」
即答だった。
「ARCさんの業績を疑っているわけではありません。むしろ、取引先企業としては非常に高く評価しています。」
責任者は少し間を置いた。
「しかし、決済事業者としての実績はゼロです。」
悠は黙って聞いた。
「年間売上四十二億円。」
「はい。」
「大手通信会社との資本提携。」
「はい。」
「五百万人を超えるサービス。」
「はい。」
責任者は頷いた。
「素晴らしい実績です。ただし、それらは決済を安全に運用できる証明にはなりません。」
悠の表情が変わった。
言われてみれば当然だった。
会社として金を稼げる。
利用者を集められる。
巨大なシステムを運営できる。
それと。
他人の金を正確に扱えることは。
別の話だった。
◇
責任者は続けた。
「神谷社長。以前、当行から融資をご提案したことがありますね。」
「はい。」
「今でも条件次第では、かなり大きな金額をご融資できます。」
悠は少し笑った。
「でも決済は駄目。」
「意味が違うからです。」
責任者も少しだけ笑った。
「融資なら、当行が御社を審査します。そして当行がリスクを取る。」
その表情が再び真剣になる。
「しかし今回の構想では、御社のシステムを通じて大量の利用者と加盟店の取引が行われることになります。」
悠は理解した。
金を貸すだけなら。
銀行とARCの問題だ。
しかし決済は違う。
その向こうに。
何万人。
何十万人。
やがて何百万人もの人間がいる。
「つまり。」
悠が言った。
「俺たちを信用できるかだけじゃない。」
責任者が頷く。
「御社を信用した結果、当行のお客様にまで影響が及ぶ可能性があります。」
「なるほど。」
信用の意味が違う。
悠はようやく、それを実感した。
◇
西園寺が聞いた。
「では、現時点では不可能ということでしょうか。」
責任者は少し考えた。
「不可能とは申し上げません。」
悠が顔を上げる。
「では、何が必要ですか?」
「神谷社長?」
「今のARCでは足りない。それは分かりました。」
悠は身を乗り出した。
「なら、何があれば話ができるようになりますか?」
責任者は悠を見た。
「断られたから帰るつもりはありません。決済事業者として実績がないのは、始めていない以上当然です。」
高橋が隣で少しだけ笑った。
悠は続ける。
「実績がない会社が最初の一歩を踏み出すには、何を証明すればいいんです?」
部屋が静かになった。
責任者はしばらく考えたあと、資料をもう一度開いた。
「まず。」
一つ目。
システムの安全性。
大量の取引を正確に処理できること。
障害が起きても取引記録が失われないこと。
不正アクセスへの対策。
「次に、運用体制です。」
二つ目。
人と組織。
二十四時間の監視。
障害対応。
問い合わせ。
返金。
不正取引への対応。
システムだけ作って終わりではない。
「そして。」
三つ目。
責任能力。
何かが起きた時。
誰が責任を持つのか。
どこまで補償できるのか。
十分な資金はあるのか。
契約上の責任範囲はどうするのか。
「最後に。」
責任者が悠を見る。
実証。
「いきなり二万八千店舗で始めるのではなく、限定された環境で実際に運用し、安全性を確認する必要があるでしょう。」
悠は頷いた。
「小さく始める。」
「はい。」
高橋が聞く。
「これらを満たした場合、再度協議していただくことは可能ですか?」
責任者は即答しなかった。
しばらく考えてから答えた。
「少なくとも。」
一度言葉を選ぶ。
「今日よりは、具体的な話ができると思います。」
十分だった。
◇
銀行を出た。
四人は駅へ向かって歩いていた。
橘が大きく息を吐く。
「厳しかったですね。」
西園寺は笑っていた。
「でも、収穫は大きいですよ。」
高橋も頷く。
「何が必要なのかは分かりました。」
悠は歩きながら、銀行でもらった資料を見る。
安全性。
運用体制。
責任能力。
実証。
昨日までは。
決済システムを作れば始められると思っていた。
違った。
技術は。
入口にすぎない。
(相棒。)
『はい。』
(面白くなってきたな。)
『先ほど一時間以上、困った顔をしていましたが。』
(それとこれとは別だ。)
『便利な理屈です。』
悠は笑った。
西園寺が振り返る。
「社長。」
「何?」
「次はどうします?」
悠は足を止めた。
銀行から提示された四つの条件を見る。
その中の一つを指差す。
システムの安全性。
「まず。」
悠は笑った。
「作れるって証明する。」
◇
ARC本社。
九条は悠から渡された資料を黙って読んでいた。
五分。
十分。
誰も声をかけなかった。
やがて九条が最後のページを閉じた。
悠が聞く。
「どう?」
九条は少し考えた。
「足りない。」
悠の表情が止まる。
「何が?」
九条は立ち上がり、ホワイトボードへ向かった。
「人。」
悠が九条を見る。
「今の開発チームじゃ無理?」
「ARCBOOKを止めない。」
一本線を引く。
「ショップメーカーも止めない。」
もう一本。
「新しい決済システムも作る。」
さらに一本。
九条は振り返った。
「全部やるなら、足りない。」
佐伯の表情が変わった。
悠はその顔を見る。
「佐伯。」
「はい。」
「出番らしい。」
佐伯は少しだけ笑った。
「何人必要です?」
九条は答えた。
「かなり。」
橘が嫌そうな顔をした。
「その言い方、ものすごく嫌なんですが。」
悠は笑った。
金融の壁を越えるために。
ARCが最初に必要としたものは。
金でも。
銀行でもなかった。
人だった。
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