選んだ資金
一週間後。
ARC本社に、大手通信会社から正式な回答が届いた。
会議室には悠、橘、高橋、西園寺が集まっている。
高橋が契約書を確認しながら言った。
「かなり譲歩してきましたね。」
悠が資料を見る。
「どれくらい?」
「最初の提案とは別物です。」
出資額そのものは縮小された。
ARCはすでに黒字化している。必要以上の資金を受け取るために、大量の株式を渡す理由はない。
その代わり、ARCが要求した条件の多くが盛り込まれていた。
大容量通信回線の優遇提供。
データセンター利用に関する長期契約。
障害発生時のバックアップ回線。
将来的な設備増強への優先対応。
さらに、法人向けサービスにおける協力。
そして。
経営への直接的な介入は行わない。
悠が最後の項目を見る。
「これが一番大事だな。」
高橋が頷く。
「はい。取締役派遣についても今回は見送られました。」
橘が聞く。
「出資額は?」
「十億円。」
白石が横から資料を覗き込んだ。
「減ったのに十億?」
悠が笑う。
「十分すぎる。」
「十億だよ?」
「今のARCが欲しいのは、二十億の現金じゃない。」
悠は通信インフラの項目を指差した。
「こっちだ。」
九条も資料を見る。
「データセンター。」
「ああ。」
「回線も。」
「ああ。」
九条は少し考えてから言った。
「いい。」
橘が笑う。
「九条さんがそう言うなら、技術的には決まりですね。」
高橋はまだ契約書を見ていた。
「法務としても、この条件なら大きな問題はありません。」
西園寺も頷く。
「営業面でもメリットは大きいです。大手通信会社と資本提携しているというだけで、ARCの信用力は一段上がります。」
悠は全員を見る。
「じゃあ、受けよう。」
誰も反対しなかった。
◇
数日後。
ARCと大手通信会社は、資本・業務提携を正式に発表した。
急成長する学生ベンチャー。
登録者五百万人を超えるARCBOOK。
そして国内大手通信会社。
発表はすぐにニュースになった。
『大学生が経営するIT企業、大手通信会社と資本提携』
『ARCに十億円出資』
『急成長するARCBOOK、次の段階へ』
『学生ベンチャーに大企業が賭けた理由』
問い合わせの電話が増えた。
取引希望。
広告掲載。
採用。
提携。
そして、新たな投資話。
佐伯が電話を切りながら苦笑する。
「また増えました。」
悠が聞く。
「何が?」
「全部です。」
「全部?」
「広告も、採用も、提携も。」
西園寺が笑う。
「信用ってすごいですね。」
だが、悠は浮かれなかった。
十億円が入ったからではない。
もっと大きなものを手に入れた。
これからARCBOOKが一千万人になっても。
さらにその先へ進んでも。
戦える土台。
それを手に入れた。
◇
同時に、ARCは他の投資提案を整理した。
二十億円。
三十億円。
中には、それ以上の資金を示唆する話もあった。
だが、悠はほとんどを断った。
橘が少し惜しそうに資料を見る。
「これ、本当に断るんですね。」
「ああ。」
「三十億ですよ?」
「いらない。」
「昔の社長に聞かせたいです。」
悠が笑う。
「昔なら飛びついてたな。」
西園寺が聞く。
「理由は?」
悠は答えた。
「金を集めることが目的になったら終わりだから。」
会社を大きくするために金が必要なら使う。
時間を買えるなら使う。
自分たちだけでは手に入らないものがあるなら、誰かと組む。
だが。
ただ銀行口座の数字を増やすために、会社の一部を売る必要はない。
悠は残った提案書を閉じた。
「必要になったら、その時また考える。」
橘は少し笑った。
「本当に変わりましたね。」
「だから前は何だったんだよ。」
「金を使う人です。」
「それもういいだろ。」
会議室に笑いが起きた。
◇
冬。
ARCBOOKはさらに成長を続けた。
広告事業も拡大した。
ネットショップも伸びた。
HP制作には大企業からの依頼まで入るようになった。
新しい社員も増えた。
オフィスには、悠が名前を知らない社員まで現れ始めた。
ある日、廊下を歩いていた悠に一人の社員が頭を下げた。
「お疲れ様です、社長。」
「お、お疲れ。」
通り過ぎる。
悠は少しして止まった。
白石が隣で笑う。
「今の人、名前知らないでしょ。」
「……知ってる。」
「何て名前?」
「……。」
「社長?」
悠は目を逸らした。
白石が笑った。
少し前まで。
全員の名前を知っていた。
誰が何を作っているのかも知っていた。
今は違う。
会社そのものが。
悠の想像より速く大きくなっていた。
◇
そして。
季節は春へ向かう。
大学二年生として過ごした一年が、終わろうとしていた。
ARCBOOKを作った。
百万人を超えた。
競合が現れた。
追いつかれた。
交流機能を投入した。
コミュニティを作った。
競合を振り切った。
広告事業を始めた。
初めて全社黒字になった。
そして。
大企業と肩を並べて交渉するところまで来た。
一年前。
大学二年生になったばかりの悠には、想像もできなかった景色だった。
だが。
まだ。
二年生は終わっていない。
ARCBOOKの中には。
悠たちの知らない場所で。
この一年によって人生が変わった人間たちがいた。
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