黒字
ARCBOOKで、最初の広告配信が始まった。
悠が最初に決めた条件は明確だった。画面を広告で埋め尽くさない。記事を読む邪魔をしない。友人との交流を邪魔しない。そして、広告であることを一目で分かるようにする。
「広告のために利用者が離れたら、本末転倒だからな。」
白石もその考えには賛成だった。広告は目立たせる。しかし、ARCBOOKの使いやすさは壊さない。その条件を守りながら、最初の十四社の広告が一斉に配信された。
◇
最初に反応したのは、大手飲料メーカーだった。
新発売のスポーツ飲料。テレビCM、雑誌、駅広告、そしてARCBOOK。同じ商品の広告を複数の媒体へ出していたからこそ、違いはすぐに見えた。
担当者が画面を見ながら言った。
「部長、ARCBOOKの広告、反応率が想定をかなり上回っています。」
広告部長が資料を受け取る。
「間違いじゃないのか?」
「確認しました。間違いありません。」
ARCBOOKでは、スポーツや部活動に関心を持つ利用者を中心に広告を表示していた。最初から商品へ興味を持つ可能性が高い人間に広告を届ける。その違いが、数字にはっきりと表れていた。
広告部長はしばらく資料を見ると、すぐに決断した。
「予算を倍にしよう。」
「今月からですか?」
「ああ。他社に枠を取られる前に押さえる。」
◇
同じことが、別の企業でも起きていた。
旅行会社では資料請求が増え、ゲーム会社では公式サイトへの流入が想定を上回った。映画配給会社では前売り券ページへのアクセスが伸び、化粧品会社からは次の商品でも広告を出したいという連絡が入った。
結果が出れば、企業は金を出す。
最初は試験的だった広告予算が増額され、その実績を聞いた別の企業から問い合わせが入る。さらに新しい広告が始まり、また結果が出る。
ARCBOOKの広告事業は、西園寺が企業を探す段階から、企業の方がARCへ問い合わせる段階へ入り始めていた。
◇
一方で悠は、広告枠を無制限には増やさなかった。
(相棒、データはどうだ?)
『興味関心と広告内容の一致率が高いほど、反応率も明確に上昇しています。ただし、同一利用者への表示回数が増えるほど反応率が低下する傾向も確認できます。』
(やっぱり、多ければいいってもんじゃないな。)
『はい。過度な広告表示は利用者満足度を低下させる可能性があります。』
悠はすぐに白石と九条を呼んだ。
「広告枠は増やさない。」
白石が意外そうな顔をする。
「問い合わせ、かなり来てるよ?」
「だからこそだ。広告を増やして売上を二倍にするより、広告枠そのものの価値を上げる。」
九条はすぐに理解した。
「単価を上げる。」
「ああ。利用者にとって邪魔にならない。広告主には結果が出る。ARCは利益を得る。この三つを崩さない。」
白石が笑う。
「欲張りだね。」
「全部取れるなら、全部取る。」
◇
広告事業開始から一か月。
ARC本社では月次経営会議が開かれていた。
橘が全員へ資料を配る。
「今日はARCBOOKだけではなく、会社全体の数字を報告します。」
悠が資料を開く。
「珍しいな。」
「今までも報告していました。」
「そうだっけ?」
橘が悠を睨む。
「社長がちゃんと聞いていなかっただけです。」
白石が吹き出した。
「それはありそう。」
「おい。」
橘は気にせず資料をめくる。
「まず、ネットショップ事業です。今月売上、一億六千万円。」
西園寺が頷く。
ネットショップはARCBOOKが始まる以前からARCを支えてきた主力事業だった。規模が大きくなった今も安定して利益を生み続けている。
「次にHP制作事業。今月売上、四千五百万円。」
佐伯が感心したように言う。
「こっちもかなり伸びましたね。」
「法人案件が増えています。ARCBOOKの知名度が上がったことで、問い合わせ自体も増えています。」
悠が笑う。
「本業にも波及してるわけか。」
「そういうことです。」
そして橘は、次のページを開いた。
「ARCBOOK広告事業。」
会議室が少し静かになる。
「初月売上、一億二千八百万円。」
白石の手が止まった。
「……一億?」
西園寺も数字を確認する。
「初月ですよね?」
「初月です。」
白石が悠を見る。
「広告って、こんなにお金になるの?」
「五百万人が集まる場所だからな。」
しかも、これはまだ始まったばかりだった。広告主は十四社から始まり、一か月で三十社を超えた。翌月分の問い合わせもすでに入っている。
橘は三つの数字を並べる。
ネットショップ事業、一億六千万円。
HP制作、四千五百万円。
ARCBOOK広告、一億二千八百万円。
「その他の小規模な売上は除いて、主要三事業だけで。」
橘は一度だけ間を置いた。
「今月の売上は、三億三千三百万円です。」
会議室が静かになった。
白石が呟く。
「三億……。」
西園寺が笑う。
「いつの間にか、すごい会社になりましたね。」
だが、橘は笑わなかった。
「売上だけ見ても意味はありません。」
悠が苦笑する。
「財務らしいな。」
「当然です。」
橘は次の資料を開く。
ネットショップ及びHP制作部門の運営。
サーバー。
通信回線。
オフィス。
広告。
営業。
開発。
そして、急成長するARCBOOKを維持するために増え続けた設備費と人件費。
「今までネットショップとHP制作は、ずっと利益を出していました。」
橘の言葉に、悠も頷く。
「でも、その金を。」
「はい。」
橘はARCBOOKの欄を見る。
「ほとんどARCBOOKが食べていました。」
白石が苦笑する。
「言い方。」
「事実です。」
サーバー増強。
回線増設。
人員採用。
広告宣伝。
新機能開発。
利用者が増えれば増えるほど、金が消えていった。
ARCBOOKが巨大になるまで、既存事業が稼いだ利益を何度も注ぎ込んできた。
橘は悠を見る。
「社長に何度『もう限界です』と言ったか覚えていますか?」
「……何回だっけ。」
「覚えてないんですか。」
また笑いが起きる。
だが、橘はすぐに資料へ視線を戻した。
「今月は違います。」
ページをめくる。
会社全体の費用。
すべて計算済みだった。
仕入れも。
給与も。
サーバー代も。
回線費用も。
開発費も。
広告費も。
オフィス費用も。
すべて。
橘は最後の数字を指差した。
**営業利益 八千万円。**
悠の表情が変わった。
白石も数字を見つめる。
「これって……。」
「はい。」
橘は悠を見る。
これまで何度も金を使った。
何度も止めようとした。
そのたびに悠は言った。
必要な投資だ。
ここは通してくれ。
あと少しだ。
そして今日。
初めて。
そのすべてを差し引いても、金が残った。
橘は笑った。
「社長。」
「今月。」
「八千万円、残りました。」
一瞬の沈黙。
白石が最初に声を上げた。
「やった!」
佐伯が拍手し、西園寺も笑う。高橋も資料を見ながら嬉しそうに頷いた。
悠自身も少し驚いていた。
「会社全部で?」
「全部です。」
「ネットショップも、HP制作も、ARCBOOKも?」
「全部合わせてです。」
橘はもう一度、はっきりと言った。
「ARCBOOKプロジェクト開始以降、初の全社単月黒字です。」
会議室に拍手が起こった。
白石が九条を見る。
「九条君、黒字だって。」
「聞いてた。」
「嬉しくないの?」
九条は少し考えた。
「サーバー、増やせる?」
橘が勢いよく振り返った。
「黒字になった初日に使おうとしないでください!」
会議室に笑い声が響いた。
悠も笑った。
そして少しして、橘を見る。
「ありがとう。」
橘が少し驚く。
「何がです?」
「ずっと無茶な投資を通してくれた。」
橘は黙った。
「何度も止めたかっただろ?」
「何度どころじゃありません。」
「それでも最後まで付き合ってくれた。」
橘は資料へ視線を落とし、少しだけ笑った。
「社長が絶対に必要だと言うからです。」
「うん。」
「だから、結果を出してもらわないと困ります。」
悠は笑った。
「出しただろ?」
「ようやくです。」
また笑いが起きた。
◇
会議が終わったあと、悠は一人でARCBOOKを開いた。
登録者数は五百万人を超え、今も増え続けている。毎日大量の記事が投稿され、メッセージが飛び交い、無数のコミュニティが生まれている。
ARCBOOKだけではない。
ネットショップも成長を続けている。
HP制作事業にも、次々と法人案件が入っている。
そして今、その上に新しい巨大な収益源が生まれた。
広告。
かつてARCは、既存事業で稼いだ金をARCBOOKへ注ぎ続けていた。
今は違う。
人が人を呼ぶ。
人が集まるから企業が来る。
企業が金を払う。
その金で、さらにサービスを成長させる。
初めて、循環が完成した。
(相棒。)
『はい。』
(ここまで来たな。)
『はい。』
少し間があった。
『ですが、まだ途中です。』
悠は笑った。
(分かってるよ。)
月商三億三千三百万円。
営業利益八千万円。
大学二年生の会社としては、十分すぎる数字だった。
だが。
悠が目指している場所は。
まだ遥か先だった。
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