第92話 できること
毎日20時投稿
カナの作業場に、静かな時間が流れていた。
炉の火は落ち、窓から入る光だけが床を照らしている。
その中央で、三つの小球が空中に浮かんでいた。
揺れは小さい。
ぶつかることもない。
ゆっくりと位置を変えながら、一定の距離を保ち続けている。
エンはそれを見上げながら、静かに呼吸を整えていた。
もう力んでいない。
浮かせているという感覚も薄い。
そこにある状態を維持しているだけだった。
「……安定してるね」
カナが言う。
作業台に腰掛けたまま、しばらく球の動きを眺めていた。
「うん。もう崩れない」
エンは頷く。
最初は一つを浮かせるだけで精一杯だった。
次に二つ。
三つ目は、できた瞬間に分かった。
これはもう落ちない、と。
球を一つずつ操作している感覚はない。
三つの位置関係を、まとめて維持している。
それが今のやり方だった。
ノアが壁にもたれたまま言う。
「動いても大丈夫ですか」
「大丈夫です」
エンは小さく笑う。
三つの小球が、ゆっくりと軌道を変える。
前へ、横へ、後ろへ。
ノアが踏み込む。
槍が伸びる。
だが球はわずかに軌道を変え、当たらない。
止まらない。
落ちない。
そのまま、空中を動き続ける。
「……もう、普通に戦えますね」
ノアが言った。
その声には、確信があった。
エンも同じ感覚だった。
これは修行ではなく、もう戦い方の一部だ。
やがてエンは小球をゆっくりと下ろす。
床に触れた瞬間、肩から力が抜けた。
「三つは、これで大丈夫そうです」
「うん」
カナが頷く。
「十分だね」
そして、視線が自然と大球へ向く。
小球とは違う重さ。
違う存在感。
エンは静かに息を吸った。
大球が、ゆっくりと浮かび上がる。
動きは遅い。
小球のように軽くはない。
常に重さを感じる。
だが、落ちない。
揺れながらも、空中に留まり続ける。
時間が過ぎる。
十秒。
二十秒。
三十秒。
それでも崩れない。
「……これも、いけますね」
ノアが言った。
エンは頷く。
「一つだけなら」
二つ同時にやろうとは思わなかった。
無理だと分かっている。
今はここまでだ。
やがて大球を下ろす。
床に触れた瞬間、どっと疲労が押し寄せた。
小球三つとは、まるで違う負荷だった。
「……これ以上は、まだ無理ですね」
「十分でしょ」
カナが笑う。
「できること増えたって成長が大事」
作業場の隅には、巨大球が置かれている。
エンはそちらを見たが、何も言わなかった。
今はまだ触れるものではない。
それは三人とも分かっている。
エンは小球を一つ手に取る。
浮かせる。
自然に空中へ留める。
もう迷いはない。
できることが、はっきりした。
小球なら三つ。
大球なら一つ。
空中で動かし続けることができる。
それが今の自分の限界であり、到達点だった。
カナが立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ試しに行こうか」
ノアも槍を手に取る。
「はい」
エンは小さく笑った。
長かった修行が、ようやく終わる。
次は、確かめる番だ。
流れは止まらない。
形を変えて、次の戦いへ向かっていく。
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