第75話 均形の意味
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その日は、奥へ進まなかった。
無理に攻略を続けても意味がないと、カナが言ったからだ。
崩れた柱の陰。風の通り道から少し外れた場所に腰を下ろし、エンは小球を手の中で転がしていた。
滑らかな金属の感触。
均形鍛冶で作られた、完全な球。
今まで何度も助けられてきたはずのそれが、今日はうまく働いてくれない。
「……球は、悪くないんですよね」
「悪くないよ」
カナは即答した。
「むしろ完璧。だって私のお手製よ?」
そう言って、小球を一つ手に取る。
光を受けて、表面が静かに反射する。傷も歪みもない、均一な金属の塊。
「これ、どこから転がしても同じ動きするでしょ」
「はい」
「だから今まで上手くいってた」
カナは球を床に置き、軽く押した。
球は滑らかに進み――途中で、わずかに進路を変えた。
床の傾斜に沿って、自然に。
「でもここはさ」
カナは周囲を見回す。
「床が同じじゃない」
崩れた石。斜面。段差。風。
どこも均一ではない。
「均形ってさ」
カナは少し考えるように言った。
「同じ形を作るって意味だけど」
エンは顔を上げる。
「うん」
「同じ場所でしか使えないって意味じゃないんだよね」
その言葉に、エンは黙る。
今まで、自分はどうしていただろう。
球が戻ってくる位置を作り、流れを閉じていた。
循環させていた。
だがそれは――。
「……戻ってくる前提でした」
「うん」
カナは頷く。
「戻らない場所だと、止まる」
風が吹き込む。
遠くで、小石が転がる音がした。
エンは目を閉じる。
今までの戦い方を思い出す。
球が回り、流れができ、自然に次へ繋がる。
それが正しいと思っていた。
だがここでは違う。
戻ってこない。
流れが途切れる。
「じゃあ」
エンはゆっくりと呟いた。
「戻らなくてもいいんですか」
カナは少しだけ笑った。
「いいんじゃない?」
軽い口調だった。
だが、言っていることは大きかった。
「別に、同じところ回らなくてもさ」
カナは指で空中に線を描く。
「次に動けばいいだけでしょ」
エンは目を開いた。
小球を一つ、前へ転がす。
球は斜面を滑り、少し離れた場所で止まった。
戻ってはこない。
だが――そこにある。
「……次の場所」
ぽつりと呟く。
今まで考えていなかった。
流れを続けることばかり考えていた。
だが本当は違う。
球が動き続ける必要はない。
動きが、次に繋がればいい。
エンは立ち上がった。
「やってみます」
「うん」
カナも立ち上がる。
表情はいつも通りだが、少しだけ楽しそうだった。
次の戦闘。
エンは小球を循環させなかった。
一つを左へ流す。
もう一つを奥へ置く。
戻そうとしない。
その代わり、敵の進路を次々と変えていく。
獣が進む方向が限定される。
自然と、逃げ場が減る。
「……あ」
エンの口から、小さな声が漏れた。
繋がっている。
戻ってこないのに、流れは続いている。
最後は大球の転進。
斜面を利用して速度を乗せた一撃が、獣を吹き飛ばした。
静寂が戻る。
風だけが通り抜けていく。
「どう?」
カナが聞く。
エンは少し考えてから答えた。
「……これなら、いけそうです」
球を追っていない。
場所を見ている。
次を考えている。
それだけで、動きが軽かった。
カナは満足そうに頷いた。
「じゃあ正解だね」
風の遺跡は、まだ終わっていない。
だがエンの中で、何かが確実に変わっていた。
流れは、戻らなくても続く。
その意味を、ようやく理解し始めていた。
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