第70話 流れを作るもの
毎日20時投稿
小球が、前線の端を横切った。
ただそれだけのことだった。
だが、ゴブリンの動きがわずかに止まる。
一体が足を止め、後ろの個体が詰まる。
ほんの一瞬の停滞。
その隙に、前衛の剣が振り下ろされた。
「……あ?」
前に立っていた冒険者が、思わず声を漏らす。
偶然のように見えた。
だが、次の瞬間も同じことが起きた。
横へ回り込もうとしたゴブリンの進路を、別の小球が遮る。
進めない。
群れが詰まる。
「今、押せるぞ!」
誰かが叫ぶ。
前線が半歩、前に出た。
エンは前に出ない。
後ろから小球の動きを見ている。
いや、正確には見ていない。
音と流れだけを追っている。
どこに群れが集まり、どこが空くか。
それだけを考えていた。
「……いいですね」
「うん」
カナが短く答える。
はたから見れば、ただダンジョンの中で突っ立っているように見えただろう。
しかし、カナにはエンが何をしているかは、もう分かっている。
敵を倒しているわけではない。
詰まりを作っている。
ゴブリンが再び押し寄せる。
だが今度は、横に広がれない。
小球が通路を横切り、動線が限定される。
前に出られる個体が減る。
結果として、数の圧力が弱まる。
「なんだ……急に楽になったぞ」
前衛の一人が呟く。
理由は分からない。
だが確実に、呼吸が戻っていた。
エンはもう一つ小球を流した。
三つの小球が、前線の少し手前で循環し始める。
ゴブリンが進もうとする場所に、自然と球が入り込む。
止まる。
迷う。
その一瞬が、前衛の余裕になる。
カナが横に出て、一体を叩き伏せた。
「エン、いい感じ」
「はい」
エンは小さく頷く。
やることは変わらない。
霧の遺跡と同じだ。
ただ今回は、敵の数が多いだけ。
少しずつ、前線が前へ進み始める。
誰かが強くなったわけではない。
だが、崩れない。
無理に押し込まなくても、自然と押し返せている。
「……あの球のやつか?」
後ろの冒険者が気づいたように言う。
「さあな。でも動きやすい」
答えは曖昧だった。
誰も仕組みを理解していない。
ただ、戦いやすくなったという事実だけがある。
エンは一歩だけ位置を変えた。
小球の循環が少し前へ移る。
それだけで、戦線も少し前へ動く。
敵の流れが変わる。
詰まる場所が変わる。
戦場が、ゆっくりと形を変えていく。
「……これ」
エンは小さく呟いた。
「一人でやるより、簡単ですね」
「そりゃそう」
カナが笑う。
「一緒に戦う人が多いから」
前衛が止め、後衛が削る。
その間を、小球が埋める。
流れが途切れない。
奥から、さらにゴブリンの群れが現れる。
数はまだ多い。
だがもう、さっきのような圧力はない。
前線は崩れない。
エンは静かに理解していた。
これは自分が倒している戦いではない。
戦場そのものが、倒している。
小球が静かに転がり続ける。
その音に合わせるように、前線は少しずつ前へ進んでいった。
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