第59話 動き続けるもの
毎日20時投稿
霧の遺跡に入ってから、エンは球に触れる回数が明らかに減っていた。
小球を前へ流す。
霧の中へ消えていくのを、目では追わない。
転がる音だけを聞く。
石に当たる軽い音。床を擦る微かな振動。
それだけで、どこにあるかを想像する。
「……触らないね」
後ろからカナが言った。
「はい」
エンは視線を前に向けたまま答える。
「触るほど、止まる気がして」
実際そうだった。
見えなくなった球を確認しようとして動かすと、流れが切れる。
地下水路で覚えた感覚が、ここではよりはっきりと出ていた。
霧の奥から、小型の魔物が二体現れる。
低く唸りながら距離を詰めてくる。
エンは小球を動かさない。
そのまま流す。
小球が壁に当たる音がした。
カン、と乾いた音。
少し遅れて、別の方向から転がる音が近づいてくる。
魔物がその音に反応して足を止めた。
次の瞬間、小球が霧の中から現れ、足元を横切る。
体勢が崩れる。
「今」
カナが踏み込み、一体を叩き伏せた。
もう一体が横へ逃げようとする。
エンは大球を出すが、強くは動かさない。
小球の戻ってくる軌道を少しだけずらす。
小球が魔物の進路を塞ぐ。
逃げ場が消えたところへ、大球が滑り込む。
短い衝突音。
戦闘はすぐに終わった。
エンはしばらく黙っていた。
「……今の」
「うん?」
「ほとんど動かしてません」
自分でも不思議だった。
球は勝手に動くままにしていた。
自分は、調整のためにほんの少し触れただけだ。
「いいんじゃない?」
カナはあっさり言う。
「楽だったでしょ」
「はい」
エンは頷いた。
疲れていない。
それが一番大きかった。
さらに奥へ進む。
霧は変わらず視界を遮る。
だが、エンの意識は変わっていた。
球を探さない。
止めようとしない。
動いていることを前提にする。
小球が壁に当たり、方向を変える。
また別の壁に当たり、戻ってくる。
その動きが、自然に通路を往復していた。
「……これ」
エンが呟く。
「止めなければ、ずっと動きますね」
「うん」
カナが頷く。
「じゃあ?」
エンは少し考える。
今までは、必要なときに動かしていた。
だが逆ならどうだろう。
最初から動き続けていれば。
毎回動かす必要はなくなる。
そのときだった。
霧の向こうから、別の小球が転がってきた。
さっき流したもう一つの球だ。
互いに気づかず、二つの小球がぶつかる。
軽い金属音。
片方が止まり、もう片方が新しい方向へ転がっていく。
「……あ」
エンは思わず声を漏らした。
止まったはずの球が、また動き出している。
自分は触っていない。
「今の見た?」
カナが言う。
「はい」
エンの目が少しだけ見開かれる。
球が球を動かした。
それだけのことだ。
だが――。
---
帰り道、エンはずっと考えていた。
球は止めなくてもいい。
見えなくてもいい。
動き続けていれば、次の動きが生まれる。
「……もし」
ぽつりと呟く。
「わざと当てたら、動き続けますよね」
カナは少しだけ笑った。
「難しそうだけどね」
「はい」
エンも笑う。
角度が少しでもずれれば、全く違う方向へ飛ぶ。
簡単ではない。
だが。
もしできれば。
球は、自分が触らなくても動き続ける。
霧の中でも、止まらない。
エンはようやく気づき始めていた。
次に目指すのは、操作の数を増やすことではない。
――動きが続く仕組みを作ること。
E級の戦い方が、また一段階変わろうとしていた。
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