第57話 霧の遺跡
毎日20時投稿
ギルドから新しく提示されたE級ダンジョンは、これまで潜ってきた場所とは少しだけ空気が違っていた。
石造りの入口をくぐった瞬間、視界が白く霞む。
「……霧ですね」
エンは思わず足を止めた。
濃くはない。だが遠くがぼやける。十数メートル先から先は輪郭が曖昧になる程度の霧が、遺跡全体に漂っていた。
「うん。ずっとこのままらしい」
カナが周囲を見回す。
構造自体は普通の遺跡だ。石の壁、通路、ところどころに崩れた柱。特別複雑ではない。
だが、見通しが悪い。
それだけで、感覚が変わる。
「球、見えなくなりますね」
「うん」
カナはあっさり頷いた。
「だから来た」
エンは小球を一つ前へ出す。
いつも通り転がる。
だが数秒後には、霧の中に輪郭が溶けて見えなくなった。
「……これ、距離感分かりにくいですね」
位置は分かる。
感覚では追えている。
だが、目で確認できないと微妙な調整が難しい。
地下水路とは別のやりにくさだった。
最初の敵は、霧の向こうから突然現れた。
小型の魔物――四足の獣型だ。
低く唸りながら駆けてくる。
「来ます!」
エンは小球を動かす。
だが一瞬、位置を見失った。
「……あ」
思ったより手前にあった。
軌道がずれ、魔物が横を抜ける。
カナが前に出てハンマーで叩き落とした。
「大丈夫?」
「はい……」
エンは小さく息を吐く。
操作自体は問題ない。
だが、確認が遅れる。
ほんの一瞬の遅れが生まれる。
さらに進む。
霧は一定の濃さを保ったままだ。
遠くの音が聞こえにくい。
球が壁に当たる音も、いつもよりぼやけて聞こえる。
「……やりにくいですね」
「うん。でも理由は分かる?」
カナが言う。
エンは少し考えてから答えた。
「……見て操作してました」
「そう」
カナは頷く。
「今までは、ずっと見えてたから」
確かにそうだった。
洞窟でも地下水路でも、球は常に視界の中にあった。
だから細かく調整できた。
だがここでは違う。
見えなくなる。
霧の向こうから、今度は二体同時に現れる。
エンは小球を流す。
位置は分かっている。
だが、霧で距離が掴みにくい。
触れるタイミングが遅れる。
魔物が踏み込んでくる。
「エン、右!」
「はい!」
慌てて大球を出す。
衝突音。
なんとか押し返すが、いつもより動きが大きい。
戦闘が長引いた。
倒し終えたあと、エンはしばらく黙っていた。
球は霧の中で転がり続けている。
見えない。
だが、どこにあるかは分かる。
「……変ですね」
「なにが?」
「位置は分かるのに、操作が遅れます」
エンは小球の動きを感じ取りながら言う。
「見えてないと、不安になるというか」
カナは少しだけ笑った。
「じゃあ、見なくていい」
「え?」
「どうせ霧の中入るんだから」
当然のように言う。
「見えない前提でやればいい」
エンは小さく頷いた。
球を目で追うのをやめる。
音と、感覚だけで位置を把握する。
転がる音。
床を擦る微かな振動。
完全には分からない。
だが、少しだけ――違う感覚があった。
見えないからこそ、無理に動かそうとしない。
球の動きに任せるしかない。
霧の奥へ進みながら、エンは気づき始めていた。
地下水路では「止めない」ことを覚えた。
ここでは違う。
――見なくても動き続ける状態。
それを作らなければならない。
霧の遺跡は、静かに次の課題を突きつけていた。
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